エテレア
まず、感じたのは、柔らかな光だった。
こもれびのような、風にそよぐレースのカーテンに翻る光のような。
意識が焦点を結ぶと同時に、背後から覗きこむようにして、声をかけられた。
「〈れいう〉で来られたのね。ようこそ。初めてですよね?」
〈れいう〉と聴いて、即座に「霊浮」という漢字が閃いた。
テレポートのことを、ここでは、そう呼ぶらしかった。
とはいえ、テレポートを体験したこと自体、初めてだった。
声に振り向くと、穏やかに微笑む女性が佇んでいた。
これほど穏やかに微笑む女性を見たことがない、と思った。
私は、彼女の「初めてですよね?」との問いに、かろうじて頷いた。
とかく、驚き、戸惑っていた。
目一杯、目を瞠っていたと思う。
自分が誰で、どこから来て、ここはどこで、なぜ、どうして「霊浮」して、ここに来たのかの記憶を、私は一切欠いていた。
混乱しつつ、辺りを見回してみると、そこは柔和な光に満ちた部屋だった。
10人ほどの人がいたが、皆、声をかけてくれた女性同様、穏やかで、朗らかで、親切そうだった。
その部屋に満ちている明るさに、同期しているように感じた。
彼らは皆、どこか、光をまとうようでもあった。
彼らは、私が突然現れたにも関わらず、何の疑念も警戒も向けず、無言でありながらも、自然な敬意をもって迎えてくれていた。
そう感じた。
彼らの事もない受容は、困惑する私の心身を慰め、徐々に落ち着かせた。
彼らは皆、驚くほど物静かだった。
話し声はなく、足音や衣擦れの音すらしなかったと思う。
沈黙を湛えている、というのか。
なのに、互いに談笑するような、打ち解け合うような雰囲気もあった。
「この人たちは、実は、テレパシーで会話しているのでは?」との疑念さえ、よぎるほどだった。
しかし、一部そうであったかもしれないが、そうでもないと、すぐにわかった。
「エテレアを開会します」
と、一人の青年が呼びかけた。
テレパシーではなく、音声での伝達だった。
エテレア、と聞こえた、と思った。
初めて聴く言葉だった。
直観的に察するに、どうやら、エテレアとは、いわゆる、ミーティングのことであるらしかった。
彼らの移動の流れに、無言のうちに誘導され、私は、彼らにならい、大きな円卓を囲む一席に着席した。
全員が席に着くと、「エテレア」は開かれた。
開会を呼びかけた青年から、発言は始まった。
赤い小舟形の積木の上に、他に幾つかある積木の一つを積荷のように載せてから話し始める、というのが、エテレアのルールであるらしかった。
他の者は、じっと傾聴する。
話す内容は何でも良い。
話す時間の長さにも制限はない。
短くても、一言でも良い。
もちろん、話さなくても良い。
それは、赤い小舟に載せる積荷を変えることによって、意志提示できるようだった。
逆に、一通り話したあと、誰かに意見を訊きたい、複数人、あるいは全員でディスカッションしたい、という意志表示もできるようだった。
意見や対話を求められた者は、必ず応じなければならないルールであるらしかった。
ゆえに、対話やディスカッションを示す積木が赤い小舟に載せられたときには、エテレアの場の空気は、少し引き締まった。
聞き流す、ということが決してできないからだ。
とはいえ、エテレアの円卓に集う者は皆、元来真剣であり、誰のどんな話も聞き流すこともなければ、聞き逃すこともなかった。
そして、皆、研ぎ澄まされつつ、終始、朗らかだった。
また、エテレアでは、誰も名のらなかった。
名は、誰にでもあるものではないのかもしれない。
少なくとも、エテレアでは必要はなかった。
エテレアで鍵となるのは、座標だった。
エテレアは、円卓を時計に見立て、初めの青年を0時とし、話す順番は、彼から時計回りに進んだ。
対話者の指名は、短針の指す時刻によって示された。
そういうエテレアのありようとルールを、私は、初めの青年の発言が始まった瞬間には、ある程度直観し、理解した。
0時の青年は、スターダストについての研究を発表した。
スターダストとは、ほうき星の軌跡に残される〈星の塵〉。
ほうき星は、見かけは箒(ほうき)状だが、掃かない(はかない)。むしろ、逆に、塵を散らすものである。
ある意味では、放棄(ほうき)であり、そして、儚い(はかない)。
スターダスト〈星の塵〉は、さらにハカナイ(墓ない、果ない)が、流星として尽きるまで、宇宙の闇を旅する。それは、永く孤独な旅である。
正直、何の言葉遊びかと思ったが、彼は大真面目だった。
「課題は、エントロピーの無限増大です」と、彼は述べ、発表を終えた。
そのあと、途方もない研究であること、なかなか周囲の理解が得られないことの愚痴も、少し吐露した。
次の1時の女性は、「地下神殿へ降りていくなら、つながります。けれども、つながりすぎてしまうこともあるのです」とだけ述べた。
少し憂いを帯びた声色だった。
他に一切の発語はなく、彼女はまたすぐに、深い沈黙へ身を沈めた。
そのさまは、どこか、蛍の、ひととき発光し、また闇と化す明滅を思わせた。
彼女は、彼女の述べたいことを述べただけなのだろうが、それは、エテレアに集う誰かへのメッセージのようでもあり、謎かけのようでもあった。
その誰かが誰なのか、もしかしたら私だったのかは、わからない。
エテレアの場で明かされること自体に、意味があるのかもしれなかった。
スターダストといい、地下神殿といい、私には、はかりしれぬ事柄だった。
ただ、ひたすらに聴いた。
共感も反感もなく、判断も想像もなく。
とはいえ、スターダストの旅する宇宙の闇、地下神殿の深みのビジョンは、みえた気がした。
彼らが共有してくれたのだ。
次の2時の女性と、その次の3時の女性、続く4時の男性は、話さない、という意志を、赤い小舟の積荷で表明した。
つまり、パスだった。
彼らの存在感は、どこか、蜉蝣のような、ゆらゆらと彷徨えるものを思わせた。
次は、5時。
初めに声をかけてきてくれた女性だった。
「生きたかけらは、ここそこにあります。散り落ちています。たからものは、分散させておいて良いのでしょうか?」
と、彼女は話した。
穏やかさのなかに、どこか切実さを感じさせる声音だった。
彼女は、9時の男性を指し、意見を求めた。
「かけらを分散させておくからこそ、たからを守れるのかもしれません。私にとって、無数の砂のうちに砂金を見つけるのは、幼年時代の喜びでした。われわれは、ほんとうに、金塊に惹かれるでしょうか。私は、砂金にこそ、惹かれます」
と、9時の彼は応えた。
彼女は満足げに頷き、対話は終わった。
次は、6時に座る私の番だった。
パスも考えたが、何を話しても良い場であること、何を話しても馬鹿にも無下にもされないことが明らかであり、集う人々の様子からも安心を得ており、発言することにした。
緊張はなかった。
緊張さえ、予め受けとめられ、共有されていた。
「はじめまして。初めてここに来ました。なぜ自分がここにいるのか、わかりません。けれども、何かの縁か必然かで、ここにいるということは、わかります。
お訊きしたいのは、エテレアとは何か、ということです。
0時さん、お応えいただけますか」
私は、真正面の0時を指名した。
0時の青年は頷き、微笑み、応えた。
「6時さん、エテレアへようこそ。
エテレアは、自由な発言の場です。
宇宙の時空間のなかの、ある座標に、突発的に生じます。いつどの座標に生じるかは、預かり知れぬことです。それは、エテレア自身か、より高次元存在の意志のようです。あるいは、われわれの潜在意識の意志かもしれません。
エテレアの発生座標を感知した者が、時空を超えて、12人、集います。
6時さんは、霊浮して来られましたが、そうして集う者が大半です。
ですが、ある者は、地続きに歩いてきます。何せ、いつどの時空座標に生じるか、予測不可能ですから、ある者は、歩いて来られることもあるのです。
というよりは、既に、ほぼ、その場に居ることになります。今回でいうと、私がそうです。
エテレアに集うのは、エテレアの存在を知っており、目的意識をもつ者が殆どですが、皆、初めは、6時さんのように、エテレアそのものに呼ばれて、わけもわからず、ここに来ます。
わけは、そのうち、おわかりになるでしょう。
6時さんにも通路は開かれたので、今後、エテレアの発生座標は感知されるはずです。参加したければ参加すれば良いですし、そうでなければ不参加でも良いのです。
しかし、参加の意志がなくても、エテレアに呼ばれることはあります。初参加のときと同じように。それは、誰も抗えません。
それから、エテレアでは、自身の話はせずとも、誰かから意見や感想を求められたら、必ず応えなければなりません。それは、エテレアの不文律です。
応えない自由がない、というのではありません。
エテレアに集う者は皆、宇宙探究のために真剣に生きる者です。そうでなければ、ここには呼ばれません。
ですから、同志から投げかけられた問いに対して誠意をもって応えるのは、むしろ、それこそ、われわれの真の自由なのです。
エテレアは、意志ある者と、呼ばれた者が集うのではありますが、決して、特別な者だけが、選ばれて来る場ではありません。
自惚れてはなりません。自惚れてしまえば、そもそも、エテレアは感知されないのですが、それどころか、すっかり忘却されてしまいます。
ここは、ふだん悪戦苦闘している者たちの悪戦苦闘が、ひととき預けられる場とも言えます。
自分が特別など、ゆめゆめ思わないことです。きっと夢にも思わないでしょうけれどね。(彼は、言葉遊びが好きらしい)
われわれは、皆、ひとしくあります。かけがえなく、自由であることにおいて、われわれは、宇宙のどこにいてもひとしいのです。
……なんて、能書きを垂れましたけれど、それもこれも、すべて先人の受売りです。6時さん、どうぞ気軽に参加してください。
ところで、エテレアの、この、意志表示の赤い舟は、元はトマトの皮と実の部分だったそうですよ。
トマトを12等分のくし切りにして種をとり、発言に応じて、好きな具をトマトの舟に載せ、発言後には、発言者が食べていたそうです。
くり抜いた種は、次のエテレアの赤い舟のために、エテレアに捧げられ、エテレアがそれまで守り育んでいたそうです。
いまでは、積木に代わっているのですけれどね。
おそらく、これは私の仮説ですが、トマトの育つスパンと、エテレアの開かれるスパンが合わなくなったために、植物寄りの鉱物か、鉱物寄りの植物かである積木に置き換えられたのです。
エテレアなら、本来なら、時間など自在に変幻させられるのでしょうが、トマトの生育を歪めないのは、エテレアの〈ことわり〉なのだと思います。
あ、6時さん、トマトは、ご存じですよね?
地球の、野菜の、トマトです。私の国では、トマトは、野菜ではなく、果実の分類になるのですけれど。
何ぶん、6時さんが、いつどこからいらしているか、おおよそはお察しするものの、正確にはわからないものですから」
0時青年の話は、親切で、誠実で、真心もユーモアも感じられ、楽しかった。
わからないなりに、わかりやすかった。
そうした矛盾も包括されて存在するのが、エテレアであるらしかった。
私は頷き、微笑み、対話を終えた。
彼の応えに満足していた。
謝意は伝えるまでもなかった。
謝意だけであるような場なのだ。
思いが既に十分伝わっているのが、十分に伝わっていた。
7時の青年、8時の女性もパスだった。
そう、彼らの沈黙も非常に重要だった。
傾聴のために必要なのは、何よりも、みずからの沈黙なのだから。
発声はなかったが、彼らの沈黙は、聴覚にはふれぬ重低音を響かせているように感じた。
9時の男性は、「駐車場は、待ってくれません。待つ場所ではないのです。一時的に置く場所ですから、長く留め置かれると、置き去りも同然です。それが、どれほど、宙に浮いた孤独か」と、気難しさと渋い苦悩を滲ませながら述べた。
とはいえ、彼はなお、朗らかであり、場の空気を暗くすることもなかった。
駐車場についても、やはり、私には不可解であり、謎の話でしかなかったが、何の思考も感情も働かせずに、しかし真剣に聴いた。
エテレアの場は、それが容易くできるような、不可思議な空間だった。
10時の女性の話は、彼女の夢の体験談だった。
「渇きから、高校の売店で烏龍茶を買って飲んだのです。烏龍茶しか、選択の余地はありませんでした。
私は、高校生ではないのに、そのときはなぜか高校にいて、高校の制服を着ていました。それがまた、華やかな制服なのです。かわいらしくて。遠い昔に通った高校とは大違い、どころか段違いです。制服は隠れ蓑のように、私の正体をうまく隠してくれました。
高校の教室では、エテレアのような場が、授業として開かれていました。白熱したディスカッションでした。
そこでは、生のトマトでしたよ。まだ、食べる必要があるのです。
充実していましたが、私は疲弊し、渇いてしまったのです。一切れのトマトでは、癒えない渇きでした。
高校の売店なのに、なぜか烏龍茶は割高で、観光地価格でした。私にとっては、もはや、高校も観光地みたいなものだったのですけれどね。
とかく、価格など気にも留められないほど、私は渇いていました。たぶん、スターシード〈星の種〉たちの、熱量と光量に気圧されたのです。
購入した烏龍茶は、凍頂烏龍茶であったらしく、黒くはなく、金色でした。苦みもなく、さわやかな香りが鼻を抜けました。喉だけでなく身体全体を潤すイメージをしながら飲みました。それほどに渇いていたのです。爽快な香りが体中に浸透していくことを感じ、気分が良くなり、渇きも癒えました」
彼女は、「凍頂烏龍茶は、凍った頂の、烏と龍のお茶、と書きます。すてきなネーミングですよね」と加えて終えた。
エテレアでは、共感も同意も、特に示されないのではあるが、10時の女性の最後の一言には、皆、静かに顔を綻ばせていた。
彼女の話す夢の話には、どこか、勇気と希望を抱かせるものがあった。
11時は、幹事である0時の、まさに右腕であり、書記を務める役であるらしかった。
実は、0時の幹事や、11時の書記官然り、エテレアの席順は、エテレアによって予め決められていたことが、そのときにわかった。
エテレアは自由なようで自由ではない、と一方では思った。
しかし、それが、エテレアの自由なのだ。
その証に、席順に違和感はまるでなかったし、異を唱える者もなかった。
自分、というものから自由になるのが、真の自由なのだ。
おのずから、みずからに由る、自由。
11時の書記官の男性は、宇宙音楽についての話をした。
天空で弾き語りをしていること、エテレアの場のような、〈詩の座〉という座があること。
11時の彼は、どうやら、宇宙詩人でもあるようだった。
初参加の私への気遣いもあってか、彼は、ことわるように加えた。
「書記として、宇宙音楽家として、お伝えしますと、このたびの円卓のアスペクトの記録も、即時、宇宙へと反映されます。皆さま、各々の座標から、ぜひ眺めてください。このエテレアで紡がれた宇宙音楽が、皆さまのまなざしによって解かれ、流れ出し、懐かしみ、尊ぶよすがとなります」
皆の顔に、また微笑みが浮かんだ。
全員の笑顔を見回すと、0時青年は、閉会の宣言をした。
「それでは、エテレアを終えます。皆さま、また、お会いできますことを!」
その瞬間、エテレアの座標は解かれた。
われわれは、四方八方、散り散りに放たれた。
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