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喪失は邂逅だった

花の頃、最愛の、敬愛する先生を亡くした。まだ、ふとした瞬間に涙が出る。
訃報を聞いてから十日余りは、文字通り、泣き暮らした。
けれども、そのさなか、先生から学んだことや、先生の思い出を書き始め、毎日数千字、書き続けた。それが、慰めになった。
先生の言葉は、次々と思い起こされた。尽きることはなかった。
また、本を開けば、先生の朗読の声が聞こえてくるようだった。そうして、また泣いて泣いて泣いた。

これまで、わたしにとって、過去とは、忌まわしいものでしかなかった。思い出したくないことばかりであり、「思い出す」ということ自体が苦痛だった。
なのに、先生を亡くして、すべての過去を、いとおしく思えるようになった。世界が百八〇度変わったかのようだった。不可思議であり、驚きだった。

先生を喪うことを、ずっと恐れてきた。近い未来に必ず喪うことを理解しつつ、目を背けてきた。先生のお加減の優れないときは、わたしも体調を崩すほどだった。先生のいない未来を想像できなかった。先生のいなくなるときは、わたしも死ぬとさえ思っていた。
なのに、先生を亡くして、喪失の恐怖がなくなると、未来への恐怖もなくなった。ゲンキンなものだという思いもよぎるが、希死念慮も消えた。やはり、驚きだった。

過去、未来、そして現在の意味が、わたしのなかで、大きく転換した。
いま、後悔はない。不安もない。
それは、何より、先生が生き抜いてくれたからだろう。感謝しかない。

わたしのなかには、先生の言葉が、いまなお遺されている。もはや、血肉である。心の臓である。
見える世界の、もうどこにも先生はいないけれど、胸の真ん中にいる。生きている。
逆説的ではあるが、先生を亡くして、もうずっと一緒なのだという安堵すらある。ようやく先生と共に歩み始めた気さえする。

遺されたものは、託されたものだ。
先生にあったのは、愛と使命の熱ばかりだった。その熱に、あらためて気づかされ、感じ入る。
先生からの学びをすべて、継承することや恩返しすることは、わたしには、一生をかけても、できそうにない。何せ、受けたものが無量である。
だが、それを生きていくことはできる。
生きていく。
生きて、何度でも思い出し、何度でも出会い直し、出会い続けるのだと思う。

先生の亡くなるひと月ほど前、ある拙詩に、「喪失は邂逅だった」と書いていた。なぜそう書いたのかを思い出せないが、いまの想いを記していたのかもしれない。


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