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詩人の部屋

孤児たちの集まる、大所帯の食卓。
皆が集まる頃には、食事はとうに冷めている。
驚くほどに冷めている。

泣く子らを宥めながら、わたしも、この寺に預けられ、身を寄せる孤児であると、あらためて気づく。
故郷はないのだ。

詩人の部屋へ降りていく。
螺旋階段と、洞窟のような廊下の連なる、狭く、薄暗い階段室。
迷宮のようでもある。
先を行く案内人がいなければ、一歩も進むことができなかったにちがいない。

寺は、孤児が入居するたびに部屋が増築されるため、誰も全貌を把握できないほどに、複雑に入り組んでいる。
ゆえに、あることは知りながらも、ありかは知らず、詩人の部屋へ赴くのは初めてだった。

案内人は、緩急なく淡々と、しかし丁寧に歩みをすすめる。
かれの背を追いながら、深く深い地下へと、一段一段、確かめながら降りていく。

踊り場には、薄明かりが灯っている。
踊り場の壁には、詩人が飾ったと思われる、絵画の絵葉書や写真、手紙が見える。
詩人の好みと趣向が感じられる。
あたたかく、ささやかなもの。
所々に灯る薄明かりは、足元ではなく、壁に貼られた〈思い出〉を照らしているのだと、そのとき気づいた。

(底面だ)
詩人の部屋の床面に降り立ったことは、はっきりとわかった。
この床面の地続きに、詩人の部屋がある、と。
ある意味、詩人の心の底面に降り立ったのだ。

敷居を踏み越えると、視界が開けた。
畳の上に絨毯敷きの、十畳ほどの縦長の部屋。
埃っぽく湿っぽいにおいがする。

地下深くへ降りてきたはずなのに、正面には窓があった。腰高窓。
レースのカーテン越しに見える空は、ぼんやりとした薄曇りだった。
近景には無機質に立ち並ぶ民家の屋根、遠景には青い稜線が見えた。
地理的に鑑みて、どうやら東を向いた窓であるらしかった。

しかし、薄暗い。
明かりは、小さな吊り下げランプが、二つ、あるきりである。
畳敷きの和室であるのに天井高があり、そのせいもあって暗さが増している。
空間に対して、光量が少ないのだ。

窓を正面にして、両側は壁であり、本棚がある。
両側共、壁一面本棚である。
しかも、奥行のある。

左側(北側)の棚の一つは、ガラス戸の引戸のついた飾り棚を本棚に代用したもの。
中の棚板が外れ、本が、曇ったガラスに押しつけられるようにして、乱雑に落ちている。

本の乱れに、ちくりと心が痛む。
しかし、勝手に直すわけにもいかない。
ふれるなど、おこがましい。
ある意味、詩人の心のなかなのだから。

右側の本棚には、最上部の棚板にまで、ぎっしりと本が積まれ、天井に届くほどである。
本だけでなく、小冊子や同人誌の類も、整頓されて、律儀に並んでいる。
詩人が、大家の言葉だけを読んでいたのではないことが、そこからも見て取れる。

ローテーブルには、読みさしと思われる本が複数冊開かれ、その脇には何冊も、関連書が積まれている。

このすべてを、詩人は読んだのだ。
この薄暗い部屋で。

感慨が湧いた。
目を凝らしながら真剣に読み、胸に灯し、宿し、また、深く暗い部屋のなかで、繊細でありつつ強靭な詩を、こつこつと書き続ける詩人の姿が、ありありと思い浮かんだ。
切なる気もちも込み上げた。

これほどの蔵書である。
すべては読了していないかもしれない。
しかし、読んでいなかったにせよ、大切に並べ、ともに暮らしていたのだ。

背表紙のタイトルを一通り眺めるだけでも、詩人そのひとが浮かび上がってくる。
背表紙は、古びて褪色し、くたびれているが、親しげなまなざしを向けてくれるようでもある。
久々にひとにまなざされて、喜んでいるようにも感じる。

とかく、個人が所有するにしては、膨大な数の蔵書だった。
憧れの詩人の蔵書であるから、隈なく点検してみたい、詩人の読書歴を辿ってみたい、という興味や好奇心、思惑が、なかったと言えば嘘になる。
しかし、蔵書の数に圧倒され、到底無理だと観念した。

そもそも、存命の詩人である。
すでに家を出ているとはいえ、部屋を勝手に探索するような真似は申し訳なく、いたたまれない。
しかし、詩人の部屋であるからだろう、居心地が悪いわけではなかった。

詩人は、これほどの深さと広さの部屋に、多くの蔵書を有した。
一方、寺に住む孤児たちは大抵、わたしも然り、わが身一つを横たえるに足る空間しか、築こうとはしなかった。
なぜかはわからない。
自分には居場所はないと、はじめから諦めていたのかもしれない。
詩人が、元々この寺の子であったか、わたし同様故郷喪失者であったかは不明であるが、何にせよ、この部屋を築いたのは、詩人みずからのちからである。

思いめぐらせているうちに、案内人が言った。

詩人の師の『金の書』が、この部屋にあるはずだが、見つからない。
あてはないか。
探してはもらえないだろうか。
きみにとっても、悪い話ではないだろう。

なるほど、わたしは、『金の書』を探すために、詩人の部屋へ連れて来られたようだ。

詩人の師は、わたしの師でもある。
詩人は、同じ師に師事した兄弟子にあたる。

おそらく、この世で数人しか目にしたことのない、師の本、『金の書』を、もちろん、わたしは知っていた。
文庫本より一回り小さめの、掌に収まるほどの小さな本。
金、とは言われるが、くすんだ藍色。
しかし、ひとつ秘密があって、掌にのせると、金色に光る。

案内人に促されるまま、部屋を歩き、本棚の背表紙を見ながら探すが、見つからない。
なにぶん部屋が暗く、どの本の背表紙も青みを帯びて見えたからだった。

見つけたい、とは思った。
しかし、必ず、とは思わなかったし、あえて見つけようとしなかった向きもある。
案内人に知られたくなかった。
大切な本であるからこそ、詩人そのひとに、肌身離さず、持ち出していてほしかった。

ふれてはならない、と自制していたものの、詩人の蔵書に、ふいに手が伸びた。
はっとして、伸びた自分の手を翻し、省みた。
手相など読めないのに、掌の皺をじっと見た。
さらに、はっとした。

「『金の書』はここにある。掌のなかにある」と。

驚きは、喜びでもあった。
心臓が早鐘を打っていた。
高揚しつつも、探すふりを続けた。
案内人に悟られてはならない。

無数の砂粒のなかに潜む砂金。
夜空の星々のなかで、とりわけ瞬くわたしだけの星。
それらを見つけるが如くに、わたしは、おびただしい意味と言葉に満ちた宇宙にあってなお、わたしだけの詩を掬い、享け、書くのだ。
金色の掌で、『金の書』を。

金色の掌で書かれた詩は、掌にのせられ、読まれたときにこそ『金の書』となる。

案内人は、そのことに気づかない。
宝の地図か、高値で売れる稀少本のように、『金の書』を探している。

しかし、詩人も、気づいたのだ。
薄暗く、すべてがくすんだ藍色に見える部屋のなかで、金色の掌と『金の書』の秘義に。
ゆえに、携えるまでもなく、はじめからわが身にあるために失うこともない黄金とともに、詩人は部屋をあとにしたのだ。

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