トキオ

意識を取り戻して目を開けたとき、瞬時に、「隣を見るな」と覆いかぶさられた。先輩の服のにおいがした。煙草と泥と血のにおいだ。良い気分とは言えない。

「見るな」とは言われたが、見えていた。

隣と、先輩と、ぼんやりとした薄暗さのみならず、頭に包帯を巻かれ、首を固定されている我が身も、重苦しい空気も、異様なにおいも、ただならぬ痛みも、感じ分けていた。

隣には、同僚の遺体がある。しかも、遺体の状態は良くない。「一名死亡、一名重体」の私たちは、異例だが、並んで措かれ、搬送されている途中だった。

ふと、何かを手に固く握りしめていることに気づいた。私が僅かに身じろぎすると、「ああ、これか」と、先輩は身を起こし、「おまえ、ずっと、これ握りしめていたんだ」と言った。

これ?ん?そうだ、名札。しかし、名札?

動かない手で、自分の左胸を確認しようとすると、「いや、おまえのじゃない、こいつの名札」と、先輩は亡き同僚のほうを、しゃくり上げて、言った。

「おまえの名札は見つかっていない。おかげで、一報を受けたとき、死んだのと生きているの、どっちがどっちか、わからなかった。会って、わかった。会えて良かった。骨が拾える。真っ先に呼ばれて確認できたから、手間も省けた。離さないでいてくれて、ありがとな。形見だ。おまえが持っていてくれてもいい。おまえは、ひとまず、大丈夫みたいだ。あちこち折れてはいるが。おまえだけでも生きていてくれて、本当に良かった」

先輩の声は、詰まっていた。

息もできないくらいの慟哭がこみ上げた。えずくほどだった。

私こそ彼だったかもしれない。いや、死んだのは、私のほうではなかったか?しかし、流れる涙が温かかった。

死んだ彼、私の同僚は、先輩の子だ。

ふと、思い出す。

あるとき、訪ねてみたら、大伯母が、心筋梗塞の発作(のちに検視で判明)を起こして、息絶えていた。事件性は見られないが、変死ではある。県警本部が来る。若干、おおごとになる。正直、やれやれと思った。

一報を入れてから、私は、大伯母を、まじまじと見た。彼女は、一切れの紙を、固く握りしめていた。ミステリー小説だと、ダイイング・メッセージか何かになるようなシチュエーションだ。

私は、彼女の硬直した指を一本ずつ慎重に解き、紙を抜いた。丸められた紙を開いたとき、ハッとした。紙には、一人の名が記されていた。彼女の子の名だった。戦時中、一歳で病死した子。胸を突かれた。

大伯母は、夫も戦地で亡くしている。骨の一かけ、形見の一つ、戻って来なかったと聞いている。

夫子を亡くしたあと、彼女は生涯、自ら人を遠ざけ、孤立するように生きていた。私にとっても、物心のついた頃からずっと、気難しく厄介な、親戚の老婆だった。様子を見に行ったのも、縁者に頼まれて仕方なく、否応なくだった。

大伯母が、吾子の名を握りしめて死んだということは、吾子の名を握りしめて生きたということだろう。時代か、幼すぎたからか、その子の遺影はなかった。

私は、一人の名の書かれた一切れの紙を、再びくしゃくしゃに丸めて元通りにすると、自分の上着のポケットに、そっと忍ばせた。聴取から解放されたら、真っ先に、あの小さな骨壺に入れてやろうと思った。

自分を呼ぶ母の声、母の遺書だ。その子にだけ届けばいい。母も、そう望むだろう。何となくにすぎないけれど。許せ。

ふと意識が遠のき、夢をみた。

暗い夜空に、スカイランタンが、幾つも上がるのが見えていた。私は、細い登り坂を、一人で歩いていた。商店の立ち並ぶ、「何とか銀座」のような通りだ。店は、どこも営業しておらず、ひっそりとしていた。そうした夜道でも、次々と浮かぶランタンが明るいため、歩くのに支障はなかった。

登り坂の突き当たり、坂のてっぺんに、小さな書店があった。書店の左右にも、シャッターの閉まった店が並んでいた。坂上にも、商店街通りがあるらしかった。アーケードもあった。しかし、アーケードに遮られて、空は見えなかった。

書店にだけ明かりが灯っており、店先には、まばらに人が集まっていた。

「お一人ずつ、どうぞ」と、店主らしき男性が案内をしていた。静かな声、落ち着き払った佇まいだった。一方、私はそれまで、ランタンを見上げながら登り坂を歩いてきたせいか、どこかお祭りの気分で、少し高揚していた。だが、店主に接し、一気に厳かな気分になった。緊張感を覚えた。

順番が回ってきて、一人、店に入ると、同僚がいた。急にほっとして、「なんだ、おまえも来ていたのか」と、おどけて小突いたが、彼は小さく微笑むだけだった。

「これ、おまえの」と、同僚が、どこかぶっきらぼうに、私に一冊の本を手渡してきた。「ああ」と、私は特に気にもとめず、受けとった。

店主が「お決まりですか。こちらをお持ち帰りですね。それでは、どうぞこちらへ」と、声をかけてきた。暗に、退店を促していた。気まずさを目配せしようとして振り向くと、同僚は、もういなかった。

そのとき、この書店は間口こそ狭いが、相当奥行きがあるのだと気づいた。しかし、それ以上奥を覗くことは、無言のまま有無を言わせぬ門番のような店主を鑑みるに、できそうもなかった。

やむなく店を出て、一人、坂道を下り始めた。往きとは違い、ランタンは一つも見えなかった。両側の街灯が、夜道を青白く照らしていた。眼下には、街の明かりも見えた。あの明かりの下には、一人ひとり、一つひとつの人生と生活がある。

「あいつ、何だってんだ。何だ、この本は」と、半ば腹立たしく、いぶかしく思っていた。私が全く本を読まない人間だということは、彼だってよく知っているはずだ。私たちは、生まれてこの方、長らくの親友でもあるのだ。いや、私こそ、読書などしないのに、なぜ書店へ行ったのか。たまらず、足を止め、街灯の下で、本を開いた。

「時生」とだけ書かれていた。彼の名だ。

ふと思い起こされた。「東京なんて、てんで縁がないってのに、おまえ、トキオなんだよな」と絡んだこと。三人で飲んでいたときだった。名付けた当の本人の先輩も面白がって、「名前負けする名前、付けちまったなぁ、トキオ」と笑っていた。時生も「全くだよ。だが、名前負けで言うなら、おまえもな」と、私にツッコミながら笑っていた。

夢のなかで、夢と現実と記憶とが、交差し、交錯していた。

(そうだ、あいつは、時生は、死んだんだ)と思い出した。私が握りしめていたのは、彼の名札だった。そして、彼から手渡された一冊の本にも、彼の名しか書かれていない。

(そうか、私は生涯、この本を書き、この本を読むのか。時生を書き、時生を読むのだ。そのために、私は還っていくのだ)と思った。

しかし、はたと、(実は、時生のこと、全然知らないのではないか。私は、時生の、何を知るのか)と愕然とした。この本は、書き終えることも、読み終えることもないのだ。

そして、(あの書店には、未だ、読まれていない本、手渡されていない本も、無数にあるのだ)と思った。無尽蔵の蔵書。途方もなくて、めまいがするほどだ。

私は、流れる涙とともに、坂道を降りた。降りるしかなかった。振り向かなかった。振り向いても、さいげんのない闇しかないことは、どこかで見えていた。

時生、おまえは、いま、いかなる時を生きているのか。

夢から覚めた。私は、これから、時生なき時を生きていく。彼の名を握りしめて。

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