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新国立美術館の古典×現代2020 闇に浮かぶ仏像を見つめて

鴻池朋子さんの皮緞帳が観たくて、こちらも日時指定チケットを買って向かった国立新美術館(六本木)の「古典×現代2020 時空を超える日本のアート」

八つの古典と現代のアートがコラボ。「八つのびっくり箱をどうぞお楽しみください」という主催者インタビューの言葉どおり、全部の展示に見どころがあってとっても面白かった!「目まぐるしかった」といってもいいぐらい笑

祈りの部屋、光と闇のコラボレーション

わたしが最も印象に残っているのは、建築家の田根剛さんの作品。834年(鎌倉時代)に「光が差す池から現れた」と伝わる、滋賀・西明寺の日光菩薩立像・月光菩薩立像との、光のインスタレーションでした。没入してずっとぼぉっと眺めていた。感動した。

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(画像は「古典×現代2020」のサイトの動画から)

カーテンの隙間から暗い部屋に入ると、闇にぼんやり照らされた仏像が浮かんでいる。西明寺の勤行が流れるなか、像の周囲を上下に動く照明の高さによって、その見え方が全然変わってくる
日光菩薩を見つめていたら、隣の月光菩薩が下から急に登場してくるように見えたり。後光が差しているように感じたり。

座ってOKなら何時間でも観ていられそう。仏教徒でもなんでもないのに、過去の人々が仏の前で捧げた祈りや、神々しいオーラを感じて神妙な気持ちになった。

このインスタレーションのポストカードがほしかった……のに、無くて残念だった……。ここでしか出来ない体験をぜひしてみてほしい。

境界を行ったり来たりするものは?

鴻池朋子さんの「皮緞帳」は想像どおり素敵だった。なぜ「刀」とのコラボ展示なんだろう?と思ったけど、「切る」ことは「分断すること」と同時に、「結界に裂け目を開け、外との通路ができる」「喰うか喰われるか、不意に出会う異界と連絡をつける役目がある」という鴻池さんの視点になるほどなぁと感じた。

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鴻池さんが長野県東御市の刀匠・宮入法廣さんの鍛錬場を訪れて、刀を持ち上げたとき、ある地点でフッと重さが消えて「あ、地球の中心とつながった…」とつぶやいた、という、この感覚もいいなぁと思った。

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鴻池さんのコメントから、さらにいいなと思ったところを抜粋↓

皮に絵を描くことは、地球を引っ掻き、傷をつけるような感触の喜びがある
(皮緞帳の間の)境界を往来するものは? 幻想虫なら捕まえて家に帰ってしっかりと触ってみなければならない

「手ざわり」をとても大切にしているアーティストなんだなぁ。わたしも自分の心の中の幻想虫を捕まえて、アートという異界を行ったり来たりして何を感じたのかしっかり触って感じ直さなきゃな。

「へんなやつ」が描いた可笑しな三十六景

しりあがり寿さんが、北斎の代表作「冨嶽三十六景」から着想を得たパロディ「ちょっと可笑しなほぼ三十六景」は、さすがしりあがりさんって感じ。クスッとしたり、この発想すごいな!とハッとしたり。

しりあがりさんの「200年後もへんなやつがいたんだなと思ってほしい」という言葉にも笑った。きっと北斎は喜んでいると思うなぁ。

命の見つめ方の違い

川内倫子さんの、命やその営み・亡骸をおさめた映像や写真にもかなり衝撃を受けた。

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↑これは川内さんの写真の絵はがきなんだけど、映像に出てくる鳥の群舞はまるでヒッチコック…!いや、なんかもののけ姫で祟り神にまとわりつく「祟り」のようにも感じる…。
若冲の花鳥画に表現される生き物の見つめ方とはまた少し違うような。同じ生き物を描いていても、全く違う作品になるんだな。
ただ、川内さんのコメント「写真がない時代だったら、筆で描いていただろうか」には、「絶対絶対そうだと思う…!!!」と勝手に頷いてしまった。

ほかにも18世紀に京都で活躍した奇才・曽我蕭白への「悪意あるオマージュ」という横尾忠則さんの作品も面白かった。寒山拾得の巻物がトイレットペーパーと掃除機に……

大事なのはMONEY MONEY、ときたまLOVE、「ART」はネズミに食わせとけ……というアート界隈への痛烈な皮肉に感じるような作品「戦場の昼食」もあった。刺激的だな~。

丸太から生まれた円空の仏像、棚田康司さんの女性の像も印象的だったなぁ。丸太の中に〝ある〟ものが事前に分かっていて、それを彫りだしているんだろうか……と思うぐらいの造形。

超てんこ盛りの展示会だけど、日時指定のおかげでいつもの新美術館に比べたらぜんぜん空いてる。
長蛇の列に並ぶのはすごくしんどいので、今後も日時指定がスタンダードになるといいなぁ。
こうしてアートを楽しめる日が戻ってきてよかった。ただ、前と同じようにはいかず経営的な厳しさがあるとは思う。なにか持続可能な方法が見つかるといいなぁ……。

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