見出し画像

埼玉ピースミュージアムって知ってた?

チェルノブイリやアウシュビッツ、クライストチャーチ、ペリリュー島、ソウルの南北境界線などなど、戦争や災害に思いをはせて学ぶ旅「ダークツーリズム」が好きで世界各地を旅してきました。
が、コロナ禍で旅に行けず落ち込んでいたところ、友人から「埼玉県の平和資料館いかない?」と誘われました。えっ?埼玉にそんな資料館があったの??という感じ。

調べてみたところ埼玉県こども動物自然公園のそば!ここは、世界一しあわせな動物と呼ばれるクオッカを、オーストラリア以外で唯一飼育しているところなんです(クオッカのかわいさは、この動画を見てね。疲れた時はこの動画をループ再生)。

ということで、クオッカ(動物園)→平和資料館を巡ろう!と思い立ち、友人とレンタカーを借りて埼玉へ。まさにマイクロツーリズム。すごい久しぶりの旅だ……!

動物園ではまた色んなことがあったので別で書くとして。平和資料館、とても考えさせる展示でした。わたしが一番興味深かったのは、戦時中の子どもの1日を疑似体験させるもの。

画像5

再現された国民学校の教室の中で(ガラスや教卓は当時のものを使っているそう)、戦争の意義をとうとうと語る先生と生徒のやりとりを聞く。すると、途中で空襲警報が流れて、近くにある防空壕に避難する……というもの。

上映しているのは「修身(道徳)」の授業の再現映像なんだそう。ホームページに狙いが書いてあった

戦争に勝ちぬくための人間を育てる授業風景です。戦争中の教育は、純粋な子どもたちを戦争へと駆り立てる大きな役割を果たしました。現在の教育と比較して考えていただくのがねらいです

コロナの影響なのか、空襲警報の音量は小さくて、臨場感があったかといえば「うーん……」なんだけど、「こんな刷り込みを受けていたら、そりゃあ……」とぞわぞわしたし、来場者はみんな熱心に聴き入ってました。

埼玉県の熊谷は、終戦前日の14日に空襲があったところというのも初めて知った。この空襲についても詳しく学びたかったな~。

iOS の画像 (43)

コンパクトに展示がまとまっていて、日本がなぜ戦争へ突き進んでいったか概要を学ぶにはよさそう。でも、戦争を「自分ごと化」できるように、体験者の声や平和への思いが伝わるものがもっとあるとよかったなぁ……コロナで証言を聞くコーナーが封鎖されていたから余計にそう感じたと思うんだけど……。

資料館には展望台もあって、関東の山並みが一望できる。めっちゃ暑くてクラクラしたけどいい眺め!

画像1

(でも、どのあたりに軍事工場があったのかや、当時の様子を、地図や写真パネルで教えてもらえたら、今と過去がリンクするのになぁ……とか考えてしまった)

このピースミュージアム、なんと入館無料。ぜひぜひふらりと訪ねてみてほしい。

そして、「まだ居酒屋が開くまで時間あるね~。国の史跡みたいだし、吉見百穴も行っとく?」って感じで訪れることにした吉見百穴。1400年前の横穴墓群が見られるところ。

画像2

行ってよかった。なんとそこには太平洋戦争の時代に作られた軍需工場跡地のトンネル入り口があったのだ……!

画像3

太平洋戦争末期、各地の飛行機部品工場は空襲に遭い、生産能力が急激に低下。空襲の被害をうけない地下に工場をつくる必要があったそう。

現在のさいたま市にあった中島飛行機工場の移転の必要性が急速に高まり、生活物資の調達に便利で、掘削に適した場所である吉見百穴地域に軍需工場が造られることになった。(吉見町観光・見どころガイドより)

工事は難航し、作業を進めながら設計・修正するという状況。7月ごろに機械が搬入されてエンジン部品が製造され始めたけど、本格生産の前に終戦を迎えたんだって。

この工事に携わったのは全国から集められた3,000~3,500人の朝鮮人労働者で昼夜を通した突貫工事であった。掘削工事に従事した最後の人の帰国に際し、日本と朝鮮との平和を希望して植えられたムクゲの木は現在でもこの地で成長を続けている。(吉見町観光・見どころガイドより)

トンネルから吹き抜けてくる冷風。当時もこんな風が吹いていたんだろうか。落盤におびえつつ、完成にはほど遠く、何度も計画が変更され……昼夜を通して働きづめだった労働者はどんな思いだっただろう。

iOS の画像 (41)

やっぱり「現地」を訪れると、胸に刺さってくるものが違う。

落盤の調査のため、今は入ることができないんだけど、いつか入れるようになったらいいなぁ。

というわけで、埼玉へのマイクロツーリズムを計画している方は、こども動物自然公園(クオッカ)→平和資料館→吉見百穴と軍需工場跡地をめぐってみてほしい。バスも結構出てるけど、特に暑い季節は車で巡るのをおすすめします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?