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《感想文》『映画プリキュアオールスターズF』

注意:重大なネタバレを含みます。

23年秋公開の映画プリキュア。オールスターズ系は実に5年ぶりで、期待が高まる。20周年の節目の映画でもあるので、制作サイドにも気合いが入っている。

映画館前の横断幕. 写真を撮っていて1点だけ気になったことがある. それは……

今作では4人一組のチームが4つ存在しており、それぞれのチームが仲間と合流するためにランドマークとなる塔を目指していく。

各チームの取り合わせが面白く、スカイチームは主人公枠が揃っており、大変パワフルだ。スカイが今の自分たちの行動に不安を覚えた時、プレシャスとサマーが互いの信念と決め台詞でスカイを勇気づけるシーンは本当に格好良い。主人公キュアの本気を見せつけられたという感じがする。伊達に踊ったりご飯を食べたりしているわけではないのだ。

他チームに関してもメンバー同士の新しい化学反応が見られて始終楽しい。プリズムとラメール、ウィングとフローラ、バタフライとミルキーなどの関係性は笑顔無しには見られない。
個人的には、スタプリならミルキー推し、プリアラならマカロン(とホイップ)推しなので、ミルキーとマカロンの掛け合いは本当に嬉しかった。このシーンだけで既に2000円のチケット代を払った価値があると言える。

物語半ば、塔に全チームが集結し、塔のてっぺんに潜むラスボスをあっさりと倒してしまう。2桁ものプリキュアが集まっているのだから当然と言えば当然である。しかし、実質的な本編はここから始まる。

今映画から新登場のキュアシュプリームが、ラスボス撃破に対する不満を漏らしはじめる。そしてキュアマカロンをぶっ飛ばす。一瞬で全員が殺気立つ。
そして時は映画の冒頭シーン以前に遡る。ある敵対勢力を制圧すべく、全プリキュアが総力を決して挑んだが敗北し、地球は存在ごとを抹消された。その敵は自分を追い詰めたプリキュアという存在に強い興味を覚え、新しい地球を生成、そこに弱き人間とそれを支配する敵陣営を配置した上で、自分がその星でプリキュアを模倣する「プリキュアごっこ遊び」を行っていた。この際、妖精枠としてプーカも生み出したのだが、プーカは自分の強大な力を行使することに消極的だったため、シュプリームはプーカを見放し、一人でごっこ遊びを行っていた。
そこに倒したはずのプリキュアたちが紛れ込んだものだから、シュプリームはプリキュアの何たるかを知るために、自分もプリキュアなのだと偽ってプリキュアたちと行動を共にすることにしたのだった。

「もしかすると、今作のタイトルにあるFはFakeのFでもあるのかもしれないな……」

実を言うと、自分はこのようなことを映画鑑賞前からずっと考えていた。理由は予告編のシュプリームの雰囲気があまりにも悪役的だったからだが、映画館前の横断幕を見た時、その疑念はほとんど確信に近くなっていた。横断幕に肝心のシュプリームが描かれていなかったからだ。彼女が本作で正当にプリキュアになるというのなら、彼女は中央に堂々と陣取っているのが自然だからだ。

化けの皮が剥がれたシュプリームは圧倒的な強さを誇り、プリキュアたちでは太刀打ちできなかった。彼女らは2度目の敗北を喫する。しかし、スカイとプリズムは自分たちがこの新しい地球に存在していた意味を考える。
時を同じくして、プーカも己のレゾンデートルについて考えていた。どうしたら元の地球を取り戻せるのか? プーカはマジェスティと共に、自分の考えを行動に起こす。万物を抹消させる力で、世界に亀裂を走らせたのだ。

ここで子供向けアニメとは思えない難解な理屈が登場する。
シュプリームによって抹消されたと思われた地球は、実際には削除されたのではなく上書きされていた。プーカが世界に与えた亀裂によって上書きされたオリジナルの地球が部分的に表層化してくる。それらはプリキュアたちのかつての記憶や思い出としての地球で、それらは今、散在している。プリキュアの持つ力 (と、観客が持つミラクルライトの力) でそれらの思い出を集約し、「繋ぐ」。結果として、元の地球は修復される……。
(※ 映画を1回観ただけなので、細かい部分の理解が間違っている可能性があります。悪しからず)

ここで最高に面白かったことは、プーカ自身が善なる意志の下、キュアプーカとして変身した点だ。正直、信じられない展開だ。さすがにこれは予想できない。「シュプリームが偽物であることの暗示」さえもが、キュアプーカという存在への推測をさせないための目くらましであったかのようだ。上映中、前後左右の大人が「えっ」と声を漏らしたのを私は確かに耳にした。大人でもこれはびびる。度肝の抜き方がいくら何でも天才的過ぎる。

地球を修復する過程でシュプリームは成敗しておく必要があって、歴代キャラたちが集結し、全員で力を合わせてシュプリームを攻め落とす。いよいよクライマックスだ。このシーンでは、コンボ技がとにかく熱い。歴代プリキュアを知っていれば知っているほど楽しめるシーンだ。
個人的には、デパプリ×プリアラのコラボ技が大好きだ。食べ物シーズン繋がりということもあり、親和性が高い。これはもう、実質姉妹技みたいなものだろう。感動的で、かつかわいい。完成したケーキの頂点に某フルーツプリキュアが乗っているのには大いに笑わせてもらった。

決戦の後、シュプリームは「同じ釜の飯を食べた仲間」として、プリキュアたちに受け入れられる。プリキュアの結末は決まって悪役を優しく包容してくれるから、見ていて心が安らかになる。シュプリームは人類からすればあまりに度し難い罪を犯しているが、プリキュアたちは「強い」ので、それさえも軽々と許してみせる。
性善説に基づくこの結末が毎作品で半ばパターン化していることは子供向けアニメとしての定めというか、道徳教育的な観点と言ってしまえばそこまでなのかもしれないが、大人であっても学ぶところはやはり多いと思う。正義の本質とは単純な力の強さではなく、周りを薫陶し正しい方向へと牽引する指向性なのだというメッセージなのかもしれない。

プリキュアになれたプーカ自身もその指向性をきちんと持ち合わせていて、キュアプーカがキュアシュプリームにかけた最後の台詞の優しさが、そのことをきちんと証明してくれている。

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