いつも心にランタンの灯火を。劇場版「ゆるキャン△」が描く“大人”とは
劇場版「ゆるキャン△」を見た。とんでもない名作と出会えた感動の余韻に浸りながら、この物語はランタンの火だ、と思った。
社会人になった大垣千明ちゃんと志摩リンちゃんによる飲み屋での何気ない会話からはじまった、キャンプ場設営計画。途中まで順風満帆に思われたその壮大な計画は、思わぬ形で座礁を迎えることになる。
草刈りの最中に、土器が出土した。それがまさか、縄文時代の貴重な歴史的資料だなんて、当時は誰も考えもしなかった。市を巻き込んでの大規模な発掘作業が始まり、キャンプ場の設営は中止となった。
一方その頃、教師になった犬山あおいちゃんが勤める小学校が閉校した。灰色の雨が降りしきる日のことだった。校庭で遊ぶ子供たちのことを教室のベランダから優しく見守る彼女の姿が本編に登場する。閉校式の日も、彼女は最後まで笑顔を崩すことはなかった。
寂しい、と彼女は言った。うそやで~、というお決まりの文句で笑っていたのが痛々しかった。
大人になると、「できないこと」が自分の周りに増えていく。自分の力ではどうにもならない現実に打ちのめされる。かつて大人に夢を見ていた野クルは、いまや大人だった。理不尽な現実に足を止めざるを得ない大人。そういう苦さを飲み込んで、それでも作り笑いをして、自分の中で折り合いをつけながらどうにかこうにかやっていくのが大人というものの証だと思っていた。
けどそれは、とんでもない勘違いだったのかもしれない。なでしこちゃんは言う。自分たちには、今しかできないことがある。大人だからこそ、自分たちが今こうして感じているキャンプの楽しさを、多くの人に広めることができるんだ、と。
彼女の言葉に呼応するように、止まっていた計画が動き出す。遺跡とキャンプを同時運営するアイデアには、驚いた。歴史と文化を知り、学ぼうとするなでしこちゃんとリンちゃんが眩しかった。閉校した小学校から跳び箱などの遊具を持ち込むアイデアを出したのが誰なのかはもはや言うまでもない。
あれよあれよといううちに、気づけばキャンプ場が出来ていた。そして夜には、いくつもの淡いランタンの光が煌々と、真っ暗な闇を照らし出していた。
苦さを飲み込んで終わりだなんて、そんなのダサい大人がやることだ。どうせ大人になるのなら、こんな風に自分たちの「好き」を貫ける大人がいいと思った。
だから、これはランタンの火だ。たとえどんなに寒い日であっても、凍えるような寒さに身を震わせることになったとしても、決して光を失うことのない、情熱の炎。
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