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ロプノール日記 眺めのいい部屋

陽射しがどれほど大切か。どんな人でも、どんな状況でも。
たとえ短い時間でも、差し込む日光があるとないとでは?


新しい部屋。
教えても教えても子猫の小次郎に毎日おしっこをされて掃除洗濯でヘトヘト。でもおなかの所に来られてくっつかれてこの寝顔されると…。

小次郎。きみが幸せならいいよ。私だってトイレに行くしトイレ掃除はお手のもの。元プロだしね。子育てってきっともっとずっと大変よね。

腰もだいぶんいい。掃除も洗濯もいいリハビリ、運動だわ。
疲れ果ててふと、うんと走り回ってからコテンと横でまどろんでる子猫を見る。教えられる。
ああそうか。
休まないとだめなのよね。
午後の陽射しが子猫と私を包む。子猫は育ち、私は癒えていく。
そしていっしょに眠ってしまう…。


暖かさと、光がないとだめ。私たちはみんな。

ちょこちょこいただく二年目のパセリ。前のアパートの頃より段違いに元気。いつもありがとう。小次郎も食べてます。

『眺めのいい部屋』という映画があった。
眺めのいい部屋を探すのは、いまの私にはやさしい。お金なんてぜんぜんかけなくても。でもかつては「不可能」だった。これでなければというこだわり・執着が、どんな眺めを見る目もつぶしていたから見つけられるわけがなかった。

↑若い頃好きだったDeath Angelのバラード。歌詞の主人公には視覚がない。
行き交う人々の騒ぎや子どもたちの笑い声をおだやかに聴く。彼は見つめる相手など見通して、ただそこにいる。「眺めのいい」というのは視覚だけのことではないと、とうに知って。


空気は陽に暖められる。ベランダの鉢植え達がもしゃもしゃと若みどりに繁る。
けがも疲れも、ここで眠り、信じがたいほど早々と回復していく。心身の不具合など、実は頭で勝手に決めて勝手につらがってるだけだと分かってからは。


壁に散らばるプリズムは、光の正体をふしぎに美しく表している。
いつか私同様、ヒトの色が見える友達が言っていた。
「イオには綺麗な紫が見える」
驚かなかった。今はもう少し色々ある。変えることもできるようになってる。

プリズム

音楽、体を動かせて、相変わらず安上がりに作って食べて飲んで、花を摘んで暮らす。

めんどかったんでそこの直売野菜とありもん載っけただけ。パン自体は1斤89円。

小次郎到来でホクホクのT兄も、度重なるベッドおしっこ&凶暴っぷりに泣き笑い。それでも可愛くて仕方がないと言う。よく世話もする。
子猫が走り回り悪さをするのをこれー!と止めながら二人でごひんを食べる。子猫も食べる。私たちは笑う。おかしくて。おかしなことを言って。



やがて夜、私は眠くなって隣の部屋に戻る。その時私がするか、あとで私の部屋にT兄が来ておやすみのキスをする。恥ずかしいのですぐおやすみなさーい!と言って目をつぶるけど、ドキドキしてなんだか変な感じ。子どもの頃ママと毎晩してたおやすみのキスとは違う。

眺めのいい部屋はタワマン?帝国ホテル?私にはそうじゃない。
地の生き物であるわれらは春の陽の下で笑い、空には八咫烏が気候や変化を教えてくれ、トンビのセイタカとコンカラもそれぞれ悠々と現れた。相変わらず龍もたっぷり遊んでる。

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