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ソロー風ソロライフ

お一人様。DIY。ソロキャンプ。手作り。自然になじんで暮らしてく。


そんなこんながブームというか、必要にかられてやるしかない向きもあるかもだが、世相は個人を尊重し、自然を尊重し、ものを作り出し穏やかに暮らすことを光の速度で推し進めている。


日曜日、地域の美化運動があり、清掃が天職の私は喜び勇んでユラリと参加。あ、お隣の班長さん!おはようございます😃


でも顔が分かるのは新入りの私には一人二人。あとは仕事を思い出し、黙々とゴミを拾い歩き続けた。


皆、つるんで喋ってダラダラウォーキング気分でやってるようで、ゴミをたんと残して行っている。
私が来たからにはチリ一つのがさない。声をかけられてにこ挨拶はするが、ソロで作業。集中の度合いも違うし、仕事は本来分担する方がはかどる。


キリがないので自然に還らないものだけを拾った。みなさん拾いませんねえ、吸い殻とかお菓子の小分けのプラ袋。小さな金属片なんかも気をつけて拾う。
合わせるとすごい量だ。みんな、見えないだけだ。そして、ポイポイ捨てても良心がない人は、悲しいかな多い。べつに怒りはしない。私はそれを掃除し続けてお金をいただいていたのだから。


人は、密がダメと言われても仲良し同士はつるみたい。まあね日曜だし。で、固まってただオタオタしてる。指導したりまとめたりする人はいるが、作業に回ってしまっているため、回収場所で「コレどうするの?」「袋あります?」(持参しようね)とかやってる。

でも、愛しい猫たちや花々にとっては、うれしい日になったろう。とっとと帰り、きのこと豚肉のインドカレーを作った。

バタをのっけるんですよ。


あー食った食ったと鬼平・剣客視ながらウトウト。僻地でがんばってる夫・T兄には悪いけど、いいものね、一人暮らしって。実は初。


そして、ソロ推奨の時代、うるさい親もいないし、やりたい放題好き放題。
で、自炊したり部屋を掃除したりしながら、ヘンリー・デイヴィッド・ソローのソロな生活のことなどに想いを馳せる。


「森の生活」を読んだことはない。有名な一節とか、なぜそんな原始な暮らしをしたのかということしか知らない。西行とか鴨長明に近いセンスの人だったんだろう。


仕事、生活に追われるということ。
そこから、解放されていま、電気水道必需品は買えることを除けば、やってることはそういう古代のソロにいまは近い。


本を読んだり掃除したり洗濯したり寝たりしてたら、もう火曜日だ。雨の朝、ドビュッシー気分で朝ごはん。


スーパーで安かったオンシジウムの花束もいけなおし。


読書週間が今日までと知らなかったのに、異様に読んでた。読み直しばかりだが。
インディアン関係、白洲正子、杉浦日向子、高橋留美子、二ノ宮知子、猫ピッチャー(まんがも立派な読書だもん)、T兄の詠んだ句をまとめたノート、よしもとばなな、山田詠美、歳時記、これから池澤夏樹と中島らもなど。


読書もまた、ソロなことだ。二人以上で本を読むとか、親子か老人&ボランティアくらいだろうし。


本はボロボロで、小さな本棚に収まっている。一度、T兄が腕組みをしてその背表紙を眺めていたことがある。
「本もここまで読まれりゃ本望だろうな」


と、あまりに何度も読み古しすぎたので、中古を買い直していたのだ。新規開拓はあまりしない。


同じ木が、花咲き葉茂らせ実り枯れ、また芽吹いて成長していくように、同じ本もまた、読む年齢や環境によっていつも違うので飽きない。なんでこんなことが分からなかったんだ、というような発見はいつもあり驚く。


ソロで暮らしながら、ソローはどんなふうに木々やせせらぎや古いカップを見つめていたのだろうと思う。
きっと、孤独を見つめ直すなんて野暮をしたのかな。


ソロ生活の私なりに気をつけてる点は、注意して闇を持ち込まないこと。
だから明るんだ本、番組、音楽、花、すきと思うきもちと、ありがとうと、笑い発散することを欠かさない。
不安や恐怖や痛みは、添え物として役立てる。


てかいい加減、ソロー読んだらどうよ水宮。

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