愛のやり方
愛読してきた『コーリング』という漫画がある。岡野玲子さんの作画がひじょうに麗しい。
妖女サイベルは人間界の愛憎劇に巻き込まれ傷つき、復讐を企てる。が、ふとすべてを放棄してしまう。
そのクライマックスの場面が忘れられない。
彼女は深く愛したからこそ憎み、その憎しみはすべてを焼き尽くさんとした。
けれど結局心の中で、憎悪は愛に完敗する。彼女は完敗する。
彼女はふと大空に気づく。彼女は途端にすべてに気がつき、その場で魂の重力を失う。
「許します!」と、繰り返し天に泣きながら宣言する。憎悪の対象を、自らを、すべてを。
そして、すべてを知る…。
腰の怪我もほぼ癒えて、治ったら治ったで今度は暴れん坊の子猫に苦戦する日々を過ごしていた。
猫は生家で私の生まれる前から欠かすことなくおり、知っているつもりだった。
が、この子はケタ外れだ。
幼児にしてこの肉体のちから、あらゆる表現力、聡さ、あふれんばかりの率直さと野生、繊細さ。
子どもだって一人一人違うから子育ては大変なのだ、という。他の生きものだって当然そうなのだと思い知らされた。
掃除好きの私はつい毎朝本気で全力清掃してしまう。
かれは最初こそじゃれていたが、次第に挑みかかってくるようになった。
「痛い!」
けれど怒ったり、警戒しているのではない。隠れたり不貞腐れたりしないし、たっぷり食べて寝て遊ぶ。ただ、本気攻撃とベッドでおしっこするのをやめてくれない。
ところが数日前なんなく、まるで
(ぼく、できますけどね?)
とでも言うように私たちの目の前で正しくトイレにおしっこをした。
私たちはそれこそ狂喜乱舞せんばかり。誉めに誉めた。
「やっと。安眠できるな」
T兄がしみじみと言った。
はて?
この子はできるはずなのに?
これはパフォーマンス、そして表現だ。激しい噛み癖と引っ掻き癖にしても。
産みの親とはぐれ、拾ってくれた里親と離れ、遠くここへ連れてこられた小次郎。
かれには言いたいことがある。人間の為す勝手な理不尽に。
私は掃除や料理中、かれのひどいいたずらや粗相を警戒して部屋の戸を閉じて作業したりしていた。
(なぜ遊ばないの?水音はうちにいるのに。ぼくこうしてないて、言ってるじゃないか。ここを開けてよ。そっちに行ってみたいよ。ねえ!)
私は。
自分の利便のために、その声を無視した。作業中に洗剤をなめてしまったら。事故があったら。それは言い訳だ。効率のことばかり考えていたくせに。
小次郎はそんな理不尽(かれにとっての)はお見通しだった。
悄然とベッドに横たわり、今度はこっちが泣きはじめた。
ひどいのはあたし。ずっとそうだった。勝手でわがままで。いつかT兄とけんかした時、彼が言った通りなんだ。ほんとうは。
けれどT兄は疲れて帰って来ても、何か用事があっても、決してドアを閉め切ったりはしない。子猫のために。
涙がぽとぽと落ち始めて止まらなくなった時、小次郎が戸の間からするりと入って来て、ベッドに歩み寄ると、私のおなかのあたりに丸まった。
「ごめん。ごめんよ小次郎。悪かったのはあたし。ごめんね。大好きだよ。大好きだよ」
小次郎は目を細め、ごろごろ、ごろごろ、喉を鳴らした。
私はこの意味を知っている。
かれは私を許して、そのうえなだめてくれているのだ。
ひどいけんかをしても、すんなり私を許してくれるT兄と同じだ。
心を完全に読まれて、私は声をあげて泣いた。
「大好きだよ。ごめんね。あたしひどくて。でもあなたとT兄を愛してる。私の人生に来てくれてありがとう」
そう言いながら泣いた。小さなフアフアのぬくもり。たいせつな、存在。
世話をしていたのではない。
私は教えられていたのだ。
ずっとそうだったんだ。
その時ふと、窓の外の空を見た。
『コーリング』のあのシーンさながらに、全天にかたちのない巨大な雲が輝いている。
私を見ている。
断罪でも断定でもなく、ただ、巨きく。
私はそれを知っていた。忘れてしまうところだった。
許すと許される。認めれば受け入れられる。待たずに自分からそうするんだ。すなおに。
関わっていくすべての存在とは、自分の全存在も一緒に、そのように在ること。
相手と同じくらい自分も許し、受け入れ、認めること。相手がどうでもこっちからまず。
それが、愛、というもののほんらいの土台なのだと。
それがなければ上に何を建てようがダメだと。
切ながってうれしくて、でもいつまでも泣いていたら、また心配かけてしまう。
笑うんだよ。
体が痛い?
動かして中の水を対流させて欲しいって言ってるのよ、さあ立って。笑お。
大好きな猫の男の子。恋人兼夫でお兄ちゃんみたいなT兄のように、もうかけがえがない。きみがしあわせになるように。私はほんの力添え。きみもこうして私を助けてくれている。
嫌いになるなんてあり得る?
むかし、一時的にそうなったことがあったのは、自分の利便ばかり追求してほかの心を無視したから嫌われて、嫌いになった。違いを愛したはずが、自分とは違うと腹を立てて。
笑う。
まず体の欲してること…トイレに行くとか水を飲むとか好きな服を着るとか、をする。
好きな香りを少しつける。
好きな曲をかけて…一曲目は裏を取って踊れるのがいい。体が勝手に動きだし、立ち上がった視点は窓の上の方…光を見てる。曇りでも雨でも。夜なら星を。なければ灯りをつける。
私は1分後、にこにこでキッチンに立ってる。何を作ろう?もうワクワク!小次郎に勝手に話しかけながら。
来年のお正月は、みんなで『魚くに』の豪勢なお刺身にしよう!絶対よ?
小次郎をあやすと、噛みついた。
しかしかれが、もう強く噛まないのに気づく。甘噛みだ。
全くこの男は!なんでも分かってるみたい…完璧な金色のひとみ。
トカゲ?
レジー?
あんたの一族なの?
まったくもう!😘
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