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マウント・不死

「マウントを取る」というのが嫌がられてるようだよね。勝者が敗者に跨るスタイルのゴリラから来ているのかな。ゴリラは高貴な生き物と思うけど。

天は人の上に人を作らず人の下に人を作らず。それが全世界で等しく機能してたかもしれない時代は残念ながら、縄文以前に終わってるらしい。
そこに戻れるというのなら、やってみたい。
ただ、それをやるという世界潮流が本気ならとんでもない代償を払わなければならないのは、みんななんとなく分かってはいる。
いきなりプラ全廃止とか電気無し生活出来るか?無理だよねえ。


マウント。誰かが、そして私がここに何か書く。それはどうしても自慢になってしまう。


なんか知ってる自慢、経験した自慢、頭いい自慢、リア充自慢、うちはよそとは違うから自慢。


幼少から書きたいという本能にも似た欲求を持って生きてきたが、プロになろうとすればそれこそMt.富士より高い壁を次々と教えられた。


も、ヤダ。書きたいこと書きたいから書くだけだもんね。
金?ないけどいい。生存そのものが問われてる人や生き物たちが数多いて、生きてられるだけでもラッキーじゃんね。皆を思いやれ、その上他と差をつけて稼げとか、もう正気の沙汰とも思えないや。


あれを言っちゃダメ、これをしちゃダメ。
ハイしません。

ベカラズ。


みんなに迷惑、ひっそり暮らす。そして死んでく。


peace of mind、心の平安を見つければいい。それで他をおびやかしたりいじめたりしないで、心身から満ち足りるように。



他を攻撃しないでいられる?
己を攻撃しないようになれる?
恐れも迷いも後悔も手放せる?
自分は何をしようがどうあろうが自分で、誰それより偉いとかそんな思いから完全に自由になれる?
そこで苦しんでるものがあったらたとえゴキブリでも救える?
頭を冷やして考えられる?
気分転換すぐできる?
内なる子どもはすこやかに生かしてある?


全部出来たら世界のどこにいても、何があっても平安。
もちろん、私はまだまだ。一生叶わないかも。でも、日々やろうとして、無理はもうできないからしないで、そのうちあははと笑いだして、寝る。
悩んで泣いても、寝て起きたら元気になってる。またいちからやる。


マウント取ってるかなあ、この文章。
やだマウント!と感じる人は、そういうセンサーをいつでもロックオンするようにし、より肥大化させてはいるものだ。それが「この野郎コロス」って攻撃本能に直結してるのも言える。IQなんか関係なく。
ねえ、笑ってみ。
もっと。

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