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もしも毎日がクリスマスだったら

水宮です。柊(ひいらぎ)の花が咲きましたよ。↑銀木犀に似ています。


で、イエスでもDr.高須の誕生日でもない冬至あたりが目出度いってことで。

サーモンのカルパッチョ


水宮の本日の気まぐれ掟

一つ、オニオンスライスは水に晒しよく水気を切って。
一つ、サーモン上に乗せたらハーブとオリーブ油だけかけ回してキンキンに冷やして。



酢関係は食べる際かける方が美味いねこ。あと、食べる直前にペンチで胡椒を割って振る。華やかな香り。
うわあ。酒止まんない。しばらくガマンしてたからいいかクリスマスなんだから。というのもね。

「もしも毎日がクリスマスだったら」なんて曲がありました。ROLLYさんもカバーしてましたが、あんな可愛らしい、楽しい曲があるでしょうか。
I wish it could be Christmas everyday。WIZZARDのヒット曲。


もしも毎日がクリスマスだったら。毎日が大好きなお祭りだったら。
そう願わずにはいられない、と半生願っていたが、ある日突然思った。
「じゃあそうすればいいじゃん」



そう考える人は他にもいるようで、某クリスマスグッズの専門店だの、他にもクリスマスをテーマにしたお店だのはある。
でも、個人的にそうしたらどうなんですよ、と。だんじりでもいいしねぷたでもワルプルギスでもリオでも構うもんか。
で、動画なんか見ると、やってますねみんなそれぞれの毎日の祭を。細分化しながら繋がっていく世界、オモロい風景。


どのお好みの祭でもいいが、クリスマスが大好きだ。子どもの時も独身の時もくっついても別れてもまたくっついても年増になっても、好きなんだもの。


何しろクリスマスはビジュアルが強い。そして光度も強い。期待感、盛り上がり度も申し分なし。子どもに返ってもエロに偏っても教会行ってにわかアガペー気取ってもいい。
騒いでよし、祈ってよし、スルーもよし。でも、こんな言葉もある。
「踊る阿呆に見る阿保、同じ阿保なら踊らにゃソンソン」

ご存知の通り、イエスは12/25生まれじゃない(5月とか、初夏だという説あり)。冬至を新年として祝っていた古代世界にキリスト教が入って行って
「太陽が生まれるお祭なんでしょソレ?だったらウチのトップ、太陽みたいな人だからさ。どう?You入っちゃいなよ」
で、取って変わられただけのことで、太陽のお誕生日的な。冬至を新年とする文化は世界的に多く、伝播もしやすかったのだ。
てここまで書いたら昨夜のマツコでやってくださっててその件。



ちなみにイブは晩、宵のことだが、当時その辺では日没を1日の始まりとカウントしたため、もう新年だよイェーイワーイ!という感じに、24日の晩はなっていたと。
ははぁ。
個人的には、クリスマスツリー(ドイツの森林地帯に北方から入ってきた民族が発祥とされる)は、世界樹=ユグドラシルじゃないかなあと思う。
前そんな名前をつけてた野良猫がいて、町いちばんの器量よしで町いちばんのいじきたなしだった。ユグ元気か。

冬至が新年、というのはすごい。現代には少なくなってきた発想だが、いにしえの地球各地じゃ別にそれが普通。ストーン変事。
天文学的に見ればはあ、そう言われればそうですねとしか言いようがないが、食べる物を得るにも作るにも全部大自然相手の頃に、太陽の「誕生」はすべての基準になる。


先のことは分からない。でもほら、ビートルズの歌のように、「ほらお日さまがやってきた!もう大丈夫」。
凍える闇の中で探し続けた光。ふるえる小さな。
それが生まれ、世界をあたため育み、運が良ければ生かしてくれる。自分を…ああそれよりもこの小さな愛しいものをどうか。生かして。


多神教の国は強かと言われるが、やおよろずの神さまたちがおわすこの国、他所からせっせと色んな神様の輸入OKしちゃったからたまらない。『不思議の国のアリス』の気◯◯いの帽子屋と三月兎じゃないが、なんでもない日を毎日祝うことに。薬はまぜるなと言うのに神様はどんどんシェイクして、サントリーカクテル図鑑の神様版みたいになっちゃって。元からリキュール無数に種類あるんだってだから。


いやそこはハレとケが、なんてこと言ってたら何も出来ない。「奥さん産気づいてるけど日が悪いから今日は出てこないで赤ちゃん」なんて言ったら生まれることすら出来ない。お母さんそんな無茶な気張り出来ない。



かくして日々是お祝いお祝いで、怪談も大流行でうっかりお呪いと書いちゃっても分かんないよね。←分かるね。


うれしい時。楽しい時。くつろげる時。よろこびの時。
セロトニンもドーパミンも「いでよ」と念じりゃ出るのよホント。
「しあわせになりたいなら、なりなさい」とトルストイ。人の言うことには素直になることだ。
詐欺師以外には。


クリスマスを控えてT兄(夫)とも「いやーどもども」とメッセし合い。

愛する誰かがいるなら、どんな状況でも「忙しい」だなんて口が裂けても言わない方がいい。「心が死んでるんだ」などと。のち数十年は後悔することうけあい。実証済みだよ、試してみたい?自分を処刑しちゃう可能性もあるけどね。
心が死んでるのは、男でも女でもどっちでもなくてもお断り。そのかわり、紙や金属に数が記されたモノを見ると生き返るように見えるが、そんなもなリビングデッドなんでね。


シニカルが好きな人も、構ってこないように避ける。
愛が嫌いなの?文句が大好き?おあいにくさま私真逆。そっちでやって、なんかカキッとした知的でクールでシニカルなお祭り。お仲間いるわよ、大丈夫。


そっぽを向いて茂みに入って行く。私の祭へ。私の愛するものたちの輪の中へ。


なぜなら、生きてるあいだのその人のその祭りの輪には、一人入り、一人抜け、そういうもの。



そして、抜けたら、もう会うことは今生では二度とない。顔を見ることも話すことも謝ることもやっぱり大好きだと言うことも笑い合うことも。


あの時の、寂しそうな、涙だけで出来た泣かない顔。
それは私。そして離れた愛しい誰かさん達。
もう二度と、私はしないよ。しないよ。

もし「仕事」がイヤな意味なら。
日本人は「仕事=嫌い、やりたくない」と考える人の割合が世界的にトップレベルだそうだ。だからこんなケンカすんのよね。↓


「こっちはこんなに苦労してる【のに】」「こっちだって頑張ってる【のに】」
「こっちはガマンしてる【のに】」


これは世界最悪の『のに祭』というもので、私は何年も前にそこから出てしまった。飽きたのだ。
どSどMとかじゃないし。何が悲しうて老体に鞭打ち合っていじめ合わなきゃならないの。



だいすきだよ。
だいすきよ。
会いたいよ。
会いたいの。でも、そろそろ長くはないんだよねお互い。
必ず帰る。必ず。
分かっている。でももし途中で私が死んでも、貴方に恥じないように在るよ。そう思って毎日生きてる。貴方に会わなければ、こんな風に日々が大冒険にはならなかったな。
そうなの?俺は…
だいすきは、たくさん冒険して遊ぼう、毎日一緒に永遠に泊まってそばにいよう、の始まり。The Beach Boysの歌みたい。
俺は、怖くて。ずっと怖くて。怖くてたまらなくて、逃げ回って生きてきた。それも見ないように、実はしてた。歳とって、もういいやって思っていた。どうでもいいやって。ねこ子に会うまで。
釣り教えて。しゃぼん玉もしたい。バンドもやろう。
沙魚からな。全部やろう。しゃぼん玉も全部。俺ドラムやってみたい。


T兄。浮き方なら教えられる。人間は飛べないけど、それが分かれば大体、飛べるも同然だから。体は必ず滅ぶ、それはしょーがないけど、カンタンなんだよ、ホント!



猫もとんびも、雀も鳩もカラスも鷺もヒヨドリも虫たちも、笑ってその日その日の祝祭を生きている。

空が今日は静かだ。珍しい。冬至。
太陽の生まれた日。
ああ、そうなのか。



「永遠て、今のことだよT兄。ほら、私そこにいるものね。離れることも、くっつくことも、猫の真似すれば出来るようになるよ。
大丈夫。
おつかれさま。
毎日を大事に無事に笑顔でね。
愛してる、ありがとう。ねこ子のサーモンケーキは、おすき?」

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