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「武相荘」訪問記

こんにちは!てか早朝地震、びっくりしたけど皆さんご無事?


先日、若い頃から念願の鶴川・武相荘についに行くことができました。


小田急線鶴川駅にて長年の友人、N子さんと待ち合わせ。


考えてみればT兄以外と外出すること自体、一年振り。久しぶりに乗る電車、車窓の風景、人々さえものめずらしかったほどだ。


内心、刃物を持った何者かが車内で暴れ出した場合を想定する。避難経路、非常ドアコック、窓の開閉の可否、体の弱そうな人や子ども、女性の座っている位置を確認する。


彼女が待ち合わせ場所に現れた。緑の風のように。
一年振りの再会とお互いの息災、そして風神雷神様が暴れていたのが嘘のような快晴を二人寿ぐ。

N子さんの今日のスタイルは、ステンカラーのシルバーがかったベージュのトレンチコート、白とネイビーブルーの絹のスカーフ、ブラウンのふんわりヘアに、毎回違うお手製マスク。凝った最近の作りで素材は細やかな白総レース。マスクチャームも手作りで、ペリドット色のビーズのチェーン。
いつもの田崎のダイヤのリングを重ねづけ(ずいぶん前に買った時、自分にご褒美ーと照れていらした。ボーナスで買ったのだそうだ。旦那様からのプレゼントも、時々つける)足元は歩きやすいフラットシューズ。パンツは無印やGUが多い。


「相変わらず非の打ち所がないっすねえ❣️」
「もお、からかわないでよー、来月73よ?」エレガントにほほ笑む。
彼女、手芸が出来るあまり売っているレベルだが趣味と言い張る。本業は主婦兼家事サービス兼体育館の受付兼シルバーセンターの手芸工作講師で役員。
リタイアは60歳の時であり、それまでは私と知り合った都内の設備会社でフルタイムの事務を勤め上げた。子育ては二人終了。むしろ、その男の子と女の子と私の歳が近い。お嬢さんのみ結婚したがお孫さんはいらっしゃらない。別に構わないたちで、今はお嬢さん夫婦が飼い始めたロシアンブルー猫のルーク君に夢中である。


ついでに言えば彼女、冬ソナの昔から筋金入りの韓流ドラマファンで、見過ぎたあまり今ではハングルがだいたい分かる。勉強したのではないそうだ。ご主人は四つくらい上、まだ現役。


N子さんネタは尽きないが、本題に入ろう。


バス2停留所めで降りる。俺ら、いかしてんだろ?ぐらいの閑静な住宅街。そのストリートを下っていく道の向こうに、紅葉に色づいた小山がそびえる。いかしてる下々の家々を優しく包み込むように、その小山の中、目的地は在る。


途中、道沿いの緑地でどんぐりを拾うとN子さんに笑われる。T兄といい、どうして人はどんぐりを拾うと笑うのだろう。クリスマスのかざりにぴったりなのに。


駐車場側に着いた。門の上には可愛いシーサー。
青空に透けるほどの紅葉のアーチが、大きく門の上にかかっている。薔薇よりも赤い。なのに天に透けている赤。こじんまりとした駐車場。すぐ、見上げるような黄葉の大木。抱きつきたくなるような。初冬の陽射しにぬくもった幹に触れて、奥へ入っていく。


竹林である。
孟宗竹であろうか。なんとふとく真直ぐに育ったことか。その周りを手で囲んでみようとしたが、もう一人大人がいても間に合うかどうか。丁寧な間引きと手入れのあと。


秋の竹の肌の手触りと優しさを、色を、なんと表現していいか分からない。昔から大好きだった竹林。ここは、小なりとはいえ年月のけたが違う。
整えすぎず、野放図でもない。
瓦を縦に埋め込んで仕切りに用いた小道をゆくと、木のデッキを降りて、梅の古木のある斜面を左にみながらしばらく進み、左手の階段を上がる。
と、突如、着いた。

右手は正門、その外はガレージと休憩スペースで、カフェも兼ねているらしいが今は休業していた。付近を女性が掃き掃除している。ご挨拶すると、笑顔を返してくれた。


ガレージに堂々たる黒い、鉄の馬…というよりは水牛みたいな、白洲次郎さんの愛車。次郎17歳の時、1916年製のものというからこうなるともう博物館である。なんだか、うふふ、と笑ってるようなゆかいな車だ。快活でやんちゃだったというかつての主に相応しく。


門には臼。これがかつての郵便受け。入ると右手にレストラン。テーブルと椅子の並んだテラスを、フランスの給仕のようなスタイルの青年がここでも掃き掃除をしていた。どうやら早く着きすぎたのかもしれないが…時刻は10時であったから…


そして奥が、堂々たる巨大な茅葺き屋根の農家を改装(30年し続けた)した、旧白洲邸である。呑まれるほど、その屋根は大きい。


しばらく、二人で辺りをまごまごした。あんなに楽しいまごまごなら、いつまででも歓迎だ。それほど、その辺りを見ているのは楽しかった。


いつか写真で見た通りの、素焼きの大壺。生けられているのは、庭木をそのまま持ってきたほどの量の、朱色の実をたわわにつけた枝。


入り口には鉄製のカンテラが下げられており、カンテラにはこれも真紅の実を散りばめたつるうめもどきの枝が優雅にからめ垂らされて、白壁にくっきりと影絵を作っている。


土壁の純白と、赤い実と、灰色の枝、鈍色の鉄、黒い影の、陽のひかりの朝。


先ほどの女性が掃除を終えたのか、やってきた。おずおずと開館しているかを訊くと、物柔らかに笑顔ではいと答えてくださり、入り口で、脱いだ履き物を入れる袋を示してくれた。
そしてすぐ、受付に回ってくれた。拝館料は、ひとり1,100円である。


靴下に、かちりとした白いタイルがひやっとする。まず、そこが、かつて牛舎だったという応接間。


一度座ってしまったら誰でも二度と立ちたくなくなるような、囲の字に配された黒いソファ。中央テーブルには、さっそく夫妻の持ちものが並べられている。(建物内は、撮影禁止です。)


絵付き皿。日本のような、異国のような。
こいワイン色のゴブラン織の、あるいは南米風のカラフルなクッションが、黒い重厚なソファに浮きもせずしっくりおさまり、むしろ居心地のよさを引き立てている。愛らしい毛糸の人形は、犬だろうか。往年のハリウッド女優が表紙を飾るものを初め、恐らく目の飛び出るような値がつくであろう雑誌が、今もそこでくつろいでいるように見える。


応接間を左に見て、板の間へあがる。
う、鶯張り?懐かしい音、そしてこの艶々と黒い床のつるつるしていること!


ケースに収まった、銀の万年筆や、次郎の何かの記念にもらったらしいオールドパーのボトルとペアのガラスの盃。
やんちゃな英国紳士然とした次郎と、若い頃はまだ姫君感の強い正子の、初々しい婚礼姿、英語でやりとりされた熱烈な愛の言葉のカード。しっかりとした作りのスーツ。まだ全然使えそうなヴィトンのバッグ。
「N子さん。こんなのあのひとたちに取ったら、レスポサックみたいなもんですよきっと」


N子さんは写真の次郎を見ては、
「イケメンねえ❤️」。
たしかに、今の時代にメディアやスクリーンを彩る顔であっても全然いける。
だが、実は私は、次郎の存在を知ったのはずっとあとで、むしろ女韋駄天であった正子さんは独身だと思い込んでいた。


やはり何かのドラマで次郎が話題になって母が目を❤️にしていた時、「じろう?居酒屋?」とマジで訊いたほど物知らずだった。学のないねこはコレだもの。
すみません、次郎さん。最初にあなたの奥方に横恋慕してしまいまして。


居間にも、日用品が展示されている。
私は骨董に詳しくない。ただ、一点、とろりとした白磁らしい徳利は欲しいなあと思った。囲炉裏の大きな土鍋、器。茶のような、緑のような、森の動物のような。


座敷には着物があった。紅型かしら?果たして紅型だった。あいにく着物もぜんぜんだが、あの独特の色は、なにかの本で見たことがあった。紬、振袖、娘の婚礼に着たというグレーがかったシックな着物。なんとイカットまであった。イカットだ!あのナン万円もするやつね?なんでもアリだなあ。


そして、作家白洲正子の、書斎へ。
本棚は、喉から手が出そうになる民俗学や昔の物語の全集、彼女の幼少からよくした能に関するもの、精神医学、etc.erc.。どれも整頓され、しかも読み込まれたあとがあった。奥に、机。


原稿用紙、万年筆、古い古い、ラジオのように可愛らしいポータブルテレビ。大相撲ファンでもあったので、観戦していたのかもしれない。
机の下は掘り炬燵ふうに切ってあり、脚を伸ばして座れるようになっている。
型の古いヒーター、ごろんと大きな火鉢。
北の正面に、緑したたる庭を眺めることのできるガラスの窓。


私はふいに下を向いて、少しだけ、泣いた。
憧れのひとが、ここで血と魂を燃やし、生きた。いまも。煙草の吸い殻を入れる、骨董の器。めぐる盃。
丈夫ではない体をも同様に削って同時代の文士・骨董の巨人らと、飲めなかった酒を呷って切磋琢磨した。


そして、どこまでも誇り高くあった。いつでも、いつまでも。そして走った。歯に衣着せぬ率直さでやりたいことに立ち向かったのはその誇りからだったろうし、無様なまねを嫌い、大切な人々を守り抜いたのはその優しい高貴さだったろう。


最後はゆっくりもう一度、歩いた。高い天井の黒い、夜の林そのもののような梁。
夜の川のような木の床。軋み。艶。翳りと光、さりげなく生けられた季節の植物。むかしと何が違う?
この、好ましい寒さや、つつましい光や。


リノベーションを、生涯二人は続けたし、農村地帯の鶴川にふと移り住んだのも別に戦火を避けてというのではなく二人が「そうしてみたいと思っていたから」。時代など、見てはいない。追いかけもしない。ただ、時代を作りはした。自分たち自身の人生を、常に創り出し、騒ぎ立てず、各々精神的にも生活的にも自立し、それでも恋しあい、穏やかに暮らした。


物たちは、古くて、生き生きと輝いて口々に言っていた。私たちはあのひとたちの手のぬくもりを、見つめるまなざしを、すべての日々を、憶えていますよ。憶えていますよ、とても大事に使って、愛でて、共に生きてくれたことを。
そうして、今も満ち足りていた。


居間の神棚に手を合わせると、ふと片隅に掲げられた一文に目が行った。


「何事非娯」
正子の祖父、樺山資紀の言葉である。
「なにごとも、たのしくないなんてことは、ないんだよ。」


動乱の時代を生き抜いた資紀が、やはり侍のように男勝りの孫娘に、ニコッと笑って話しかけているようだった。


「N子さん、なんだかおなかがすきましたよ?」
「もちろん、ここのレストランでいいかしら?」
「絶対ここよ!ここがいいんだもん!」


チャーミングなレディの友と、つきることのない「時」「ひと」「思い出」「この一年」そして、読んだ本たち、そして今と未来の話。私は、途中、ついワインを頼んでしまった。
人が混み始めた。
午後に差し掛かり、陽射しはさらに贅沢に、障子やステンドグラスの窓から差し込み、空間を明るく、歌のように染めていく。


彼女は、旦那さまに、と微笑んで、たくさんの美しいカードと、二人に一つずつ、チョコレートを入れた手作りの小さな、愛おしいような小箱をくれた。黄色のは旦那さんの、ピンクのはあなたの。ごめんなさいね、こんなもので。

手のひらに載せ、お礼を言った。いつもこのひとはこうなのだ。貧乏な私を気遣い、心づくしの、気づまりにならない贈り物をくれる。私が彼女にあげるとしたら。
これまで、一体。
ガーネットの、蜻蛉のピアス、たくさんの手紙のやりとり、私なりに案内できる冒険、でもそれっぽっち…

荘を出る時、神棚にもしたように、一礼せずにはいられなかった。


駅で別れて帰る途中、人と会うと却って寂しくなることを改めて思い出した。
N子さん。行ってしまうの。
N子さん。


T兄、プレゼントいただいたよ。送るね。


それから、武相荘、行こうね。絶対に一緒に行こうね。素晴らしい桜の木が、あったから。

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