【嫌いなアイツとゾンビと俺と】第6話

 剣道場を併設している和風の邸宅に到着する頃には、すっかり二人は濡れていた。
 空斗が呼び鈴を押すのを見ながら、歩樹は呼吸を落ち着ける。

「誰じゃ?」
「師匠、空斗です」
「入れ」

 空斗が名前を名乗ると、すぐに扉が横に開いた。空斗に促されて、歩樹も中に足を踏み入れる。そして靴を脱いでたたきに上がると、そばの傘立ての前にいた白髪の老人が、しっかりと扉を閉めて、施錠した。

「よく無事じゃったな」
「必死でした」
「居間へ。そちらは?」
「同級生の御神楽歩樹です」
「歩樹くんか。空斗に友達がいるとは、知らなんだ」

 皺がある顔に笑みを浮かべた老人が、歩樹をまじまじと見る。

「儂は、空斗に剣道を教えておる高杉慎治たかすぎしんじという。宜しく」
「宜しくお願いします」

 廊下を進みながら挨拶をした歩樹は、それから居間へと通された。
 座布団の上に座るようにと言われたので、空斗の隣で正座をする。
 そこへ高杉は湯飲みを二つ持ってきた。高杉の分は既に黒い卓上にあった。

 もう一つ湯飲みがあり、そちらを見ると、迷彩服を着た四十代くらいの男が、なにやら黒い計器とトランシーバーを弄っていた。歩樹がそちらを見ていると、高杉が微笑する。

「集中しておるようだから、声はかけるでないぞ。あれは、儂の愚息で、直人なおとという」
「聞こえてるぞ親父。誰が愚息だって?」
「――本土に連絡は付いたのか?」
「おう。今、やっと通信が繋がった。ゾンビの奴らは、電波塔も壊しやがったらしく、苦労したぜ」

 無精ひげを生やした直人の声に、歩樹がホッと息をつく。

「じゃあ、助けが来るんですか?」

 少しだけ気分が浮上した時、直人が首を振った。

「明後日、一機だけヘリが、本土に繋がる路にあるヘリポートに救出に来る。だが、それまで何人が生き残れるだろうな。ヘリまでどうやってたどり着くかも難題だ」

 その言葉に歩樹の胸が再び重くなった。

「自衛隊機が、定期的に武器と食料が入ったリュックを投下してくれるのは決まったから、銃やナイフは手に入る。リュックを拾えればな」

 直人はそう言うと、チラリと歩樹と空斗を見た。値踏みするような視線だった。
 ――生き残れるのか、その覚悟があるのか、ゾンビを倒し続けられるのか。
 眼差しでそのように問いかけているように、歩樹には思えた。

 その時、呼び鈴が響いた。歩樹がビクリとすると、高杉が立ち上がる。
 そして玄関へ向かった。少しすると、高杉は一人の女性を連れて戻ってきた。白衣を纏っている。金縁の眼鏡をかけている、肉感的な女性だった。

「あなた。見つけたわ」
「まずは無事に帰ってきて、俺は嬉しいよ、陽菜子ひなこ

 陽菜子と呼ばれた女性に、高杉がお茶を淹れる。それを受け取り陽菜子は一口飲むと、歩樹を見た。卓の上には、黒いアタッシュケースを載せている。

「こちらは?」
「空斗の友達だそうじゃ。して、儂にも分かりやすいように話してくれ。どうじゃった?」
「やっぱりこの学園都市の地下では、特殊なウイルスの研究がなされていたのよ。病院で聞いた噂は真実だった。病院に地下への直通のエレベーターがあったから、そこを経由して、レベル4の施設に降りて、サンプルのゾンビウイルスと開発されていたワクチンを持ってきたわ。はぁ、死ぬかと思ったわよ」

 アタッシュケースを開けた陽菜子は、そこにある五本のアンプルを見た。
 青い薬液が入る細長いアンプルが二本、赤い液体が入るアンプルが三本ある。

「青い方がウイルスのサンプルよ。赤い方がワクチン。ただしこのワクチンは、噛まれた直後の人間にしか効果がないそうよ。通常の人間が打っても効果は出ない。それに体の一部でも腐肉に変わっているゾンビにも効果は出ないの。だから本土で、きちんとしたワクチンの開発が必要になるわ。そのためにも、なんとかこのケースを、本土に届けなきゃ」

 それを聞いて、歩樹は両手で湯飲みに触れながら瞳を揺らす。

「自衛隊は、その研究をしていた他の施設を本土で発見したと言ってる。そちらには、ゾンビを死滅させる薬があったそうで、今量産しているそうだ。だが十日はかかると言っている。逆に言えば、十日乗り切れば、ゾンビは死滅する。だが、俺はこの惨状では十日耐えるのは困難だと思うが」

 直人の声に、陽菜子が指を組んだ。そこに顎を載せる。

「あなたはどうするの?」
「俺は連絡と状況報告に徹するから、ここからは動かない。誰かが残って伝える必要がある。お前は?」
「あなたが残るなら、勿論残るわよ。私は医師である前にあなたの妻なんですから」

 二人のやりとりを聞くと、高杉が喉で笑った。それから空斗と歩樹を交互に見た。

「若人の仕事だな」
「えっ」

 歩樹が目を見開く。それからゆっくりと横を向くと、決意したように空斗が頷いていた。

「必ずヘリポートに行き、アンプルを届けます」
「それでこそ、儂の道場の門下生だ。必ず、生き残るのだぞ?」
「――ええ」

 空斗が頷いたのを見て取り、陽菜子が歩樹の前に、蓋を閉めたアタッシュケースを差し出した。歩樹はゆっくりと瞬きをしてから、暫しの間そのアタッシュケースを見据え、そしてギュッと目を閉じた。自分に出来ることを考える。ここに至るまで、ずっと空斗に助けられてきた。だが、それではいけない。島のみんなにために、出来ることが、自分にもある。

「分かりました。必ず届けます」

 歩樹がしっかりとアタッシュケースを受け取ると、陽菜子と高杉が微笑した。
 すると直人が言う。

「リュックの落下地点はメモしてある」

 そう言って直人が丸めた地図を歩樹の方に差し出した。手を伸ばして、歩樹はそれを受け取る。

「見せてくれ」

 空斗に言われ、そのまま地図を渡した。その時、高杉が立ち上がった。

「少し待っておれ」

 そして奥へと歩いて行った高杉は、十分ほどして戻ってきた。
 手には、黒い鞘に収められた刀を持っていた。

「これは我が高杉家に伝わる御神刀じゃ。特別な許可を得て所持しておる真剣だ。空斗よ、お主ならば、この宝刀を持つに相応しい。なにせ、儂の一番弟子なのだから」
「師匠……感謝します。師匠の弟子として、恥じない行動を必ず」

 受け取った空斗が、少しだけ鞘を動かした。すると銀色の刀身が見えた。それを音を立てて空斗が再びしまう。空斗の瞳には、もう迷いが無いように見えた。覚悟が見える。

 負けてはならないと、歩樹は決意した。


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?