誰の言葉を聞けるか

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こんにちは。

今日は、昨日のお話をしようと思います。

昨日、臨床心理士さんとお話をしてきました。

そこで、「いろんなことをやってみるといいよ」

というアドバイスをいただきました。

その意味としては、いろんな世界を見ていろんなことを体験して、「楽しい」と思うことがあったら、それを生活の中に取り入れたり、継続してみることで人生が豊かになるし、「嫌だな」と思うことがあれば、それは自分が苦手なものだと認識して他の道を探せるし、他にも色々学べることはあるから、とのことでした。また、私は塾講師のバイトしかしたことがなかったのですが、塾講師しかしたことがない、ある他の学生が、他のバイトをしたことで、なんとなく「生きていけるな」と感じた、と言っていたよ、という話を臨床心理士さんから聞きました。そのバイトは単純作業のバイトだったそうで、これでお金が稼げるなら、自分がやりたいと思っている仕事でやっていけないってなっても、バイトなどで食いつないでいける、と感じたとのことでした。私は、単純作業のようなバイトはやっても成長がないのではないか、と思っていたのですが、そういう感情を抱いて安心して生きていくことができる人もいるのだなと思い、何事も無駄なことはないんだなと思いました。

私はなんでもやる前に、「これをやって意味あるのか?無駄なんじゃないか?」と思って、やらなかったり、やったとしても、意味がなかった気がする、と後で悩んだり苦しんだりすることが多いので、そのように「意味があるのか、ないのか」で苦しんでも、それに意味を見出せるかは自分次第だし、意味がないと思っていても、後で意味が出てくることもあると考えて、気楽に色々なことにチャレンジしようと思いました。

ここからが本題なのですが、

これらのことは薄々自分でも気づいていたんですよね。私は塾講師のバイトしかしたことがないことで、親や友達から、「塾以外のバイトもした方がいいよ。接客とかさ。」とよく言われていました。塾講師以外のバイトもした方がいいのはなんとなくわかってるよ、と思いながら、やってませんでした。それに、塾講師のバイトはとても楽なんですよね笑

そこで、臨床心理士さんに、

「塾講師のバイトが楽すぎて他のことやろうっていう気にならないんですよね。」

と言ったら、

「楽なことばっかりやってたらダメだよ〜。嫌だったらすぐやめればいいんだからさ、他のバイトもやってみなよ。それで、みずなみさんが、どう思ったかっていう感想聞かせてほしいな〜。」

と言われました。

それで、私は、「そっかやろう」と思えました。

恥ずかしながら、私は他人の意見はあまり聞けない人間です。他人の意見より自分の気持ちや考えを優先して決断する人間です。

なので、親や友達の意見は軽く聞き流して、「なるほど、まあいつかやるか。」程度に思っていました。

しかし、臨床心理士さんの言葉は、「よし、やろう。」と思わせられました。

何が違うのでしょうか。

「自分がその人のことをどのくらい信頼しているか」

ではないでしょうか。

その中には、「臨床心理士」という資格を持っていて、心理学を勉強した人の言うことだから信じよう、という気持ちも含まれています。というか、それが大半だと思います。

もうひとつ、「自分が納得いく説明かどうか」も関係すると思います。具体的に〜だから、〜した方がいいよ、という理由付きの説得の方が意見を聞き入れやすくなります。また、「やってみた感想を聞かせてほしい」という言葉が嬉しかったというのもあります。

それでもやはり、日頃からの信頼関係があってこそ、言葉を聞き入れられるのだと思います。

臨床心理士さんは私のことを否定してきたりはしません。むしろ、たくさんのことを褒めてくれます。それはよくないということがあれば、

「あなたには、〜という良いところがあるんだから、〜してしまうと、その良いところが見えにくくなって損しちゃうよ。」

というような、肯定を前提としたアドバイスをしてくれます。

このようなやりとりなどにより、臨床心理士さんに信頼を寄せるようになりました。

そして、このような信頼関係がないのに、「あなたは社会性を学ぶ体験が不足しているから、接客のバイトしなさい。」と言われても、「なんかむかつく。無視しよう。」となると思います。(実際に親に言われて同じような反応をしました。)

これらのことから、まずは「信頼関係を築く」ことが大切なのではないか、と感じました。

私も、塾講師はまだ続けていくつもりなので、信頼関係を大切にして、生徒に言葉を聞いてもらえる状態を維持していきたいと思いました。

それでは。

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