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自我が劈かれるとき:大学時代で演劇をしていた時に、舞台で「ストレングスファインダーの自我」が覚醒して爆発的な演技ができてしまった話。

まいど、みずみさんです。今回は、ストレングスファインダーの自我における僕のエピソードを投稿します。


自我の資質について

エピソードを話す前に、僕が9位に持っている、自我の資質について説明をします。自我は、他者から注目を浴びたり、賞賛をされることでエネルギーが働く資質です。だからこそ、そのために一生懸命活動もおこします。言ってしまえば、特別な存在でありたいのです。

資質のトップ10に入ると、最もやっかいに思う資質とも言われています。中には、診断結果を知って、気持ちが高まって書籍を投げつけた人もいたそうです。それでも、自我はエネルギッシュな資質です。ストレングスファインダーの産みの親であるドン・クリフトンは自我が第一位でした。

自意識を持て余していた大学時代

恥ずかしい話ですが、大学時代は自意識を持て余していました。それゆえに他者に意識がはたらきすぎてコミュニケーションをとることが困難でした。たぶん、いまでもその傾向は変わりません。

自意識改善のために交流関係に飛び込む

とにかく緊張してしまい人と話すのが苦手でした。とはいえ、大学生になったらさすがにどうにかしなければと思ったしだいです。彼女も欲しかったしね。クラスの何人かと仲良くもなれたので、一生懸命話すようにしました。バイトも接客関連の喫茶店を選びました。さらにはサークル参加もして交流も広げました。

交流関係の末、演劇にたどりつく

こうして、徐々にですが、他者ともコミュニケーションを取れるようになります。しかし、それでも無理をしている自分には気づいており、苦痛が取れません。さらにその先の段階にいかなければと思い、試行錯誤を繰り返します。

そんなときです、劇作家の鴻上尚史さんのエッセイで、竹内敏晴さんの著書「ことばが劈かれるとき」を知って読みます。ここには、演劇をとおして人がコトバを回復していき、人間関係を築いていくことが書かれていました。

なんと偶然にも、このタイミングで、竹内さんに師事された方が演劇教室をおこなっていることも知ります。僕はここに活路を見いだすとともに、運命的な出会いを感じて、すぐに練習生として入ります。この時の希望に満ちていた自分をいまでも忘れません。

説明会での先生との会話

説明会では簡単なレッスンをしました。その後に先生と一対一で面談になります。そこで先生からは、自意識に対してのことを言われた気がするけれど、いまはあまり覚えてないです。ただ、きびしい発言だったことは覚えている。その後には「君が気になる」と「まずは始めてみようか」ということを言われてその場を退出しました。

ままならない演劇のレッスン

こうしてレッスンが始まりました。しかし、持ち合わせの不器用さもあって、レッスンの内容にまったくもってついていけません。まわりのメンバーが何かを掴んでいく中、僕はどんどん置いてけぼりの気持ちになって焦ります。せっかく見いだした活路も袋小路になってしまい絶望感すら感じました。自分は、一生このままで生きていかざるをえないのかと。

きびしい舞台練習の開幕

僕が演劇に入って練習が始まってから6ヶ月後には、舞台で劇を披露します。こうしてレッスンの内容もままならないまま、舞台の練習も並行して始まりました。そう、ここからが地獄の始まりだったのです・・・

普段は落ち着いた雰囲気の先生がここで豹変します。舞台練習でうまくいかないと、とにかく怒鳴って生徒達を追い詰めていきます。分かりやすく言うと、蜷川幸雄さんの演技指導を思い出してください。まんま、あれ。一回だけ、灰皿じゃないけどタバコを投げつけられたことはあります。

僕は、精神が常に追い込まれながら、否応なしに自分の殻を破らざるを得なくなります。それでも演技が上手くなっていくわけではなく。焦燥感が募るばかりでした。

追い込まれる自我資質

そして先生は、僕の精神性も追い込んでいきました。

本当は自分のことをカッコイイと思っているだろ!?」
「女の子にもモテたいんだろ!?」
「もっといろいろとやり遂げたいと思っているんだろ!?」

このように、僕の精神性は、衆前に晒されて恥ずかしさでいっぱいになりながらも向き合わざるを得なくなりました。ストレングスファインダーを知ったいまだからこそ分かるのですが、僕の自我資質が先生によってかなり揺さぶられていたのです。

実は、このとき僕は主人公の役を任されました。最初は脇役だったのですが、途中で僕が主役に抜擢されます。「主役なんて絶対に嫌だ」と声には出してメンバーに話していたのですが、ここも僕の自我資質を先生は見透かしていたんでしょうね。

特に、「カッコイイと思っているんだろ!?」はかなりグサリと刺さりました。

本番直前における変貌の兆し

こうして追い込まれながら、本番直前で、自分に無理をさせてやっと思い切りの演技をしだすようになります。しかし、演技力が追いついていかなくて、ぎこちなさしかありません。先生からも「本番直前でこれなのは、どうするんだ!?」と詰められる始末です。無理にやっているので演技がどんどん空回りしていきます。

それでも、執念だけで、無理やりの舞台練習を続けました。そうして、必死になれない今までの自分だったら感じられないであろう変貌の兆し掴めてきたのです。それでも時間は残酷です。僕は、演技がぎこちない状態で本番の日を迎えます。

公演直前の舞台裏で感じた「みんないっしょ」

ついに本番が始まりました。舞台練習中に僕は褒められることが一回もなく、不十分な状態でした。ただただ不安だけが募りだし、舞台裏で頭を下げて体を固めて緊張していました。

その時です。僕はまわりを見まわしました。驚いたことに、みんな頭を下げて体を固めて緊張しているのです。その時僕は思いました、「みんないっしょ」だと。そうして、僕は気持ちが少し落ち着くとともに覚悟を決めることができました。こうして僕は舞台に立ちます。

自我が劈かれるとき

僕は舞台に立ちました。そして、スポットライトを浴びて大勢の観客の目を浴びた瞬間、自分の中で何かが変わっていることに気づきました。ただ感覚の違いは分かるのですが、どう変わっているのかは全く分かりません。

とにかく、演技をすすめました。やはり感覚の違いを感じながらも演技を続けました。ただその時感じたのは、妙に落ち着いているけれどエネルギシュになっている状態です。そうして演技の終わらせたときに、実に満たされた気分になりました。それは自我資質が劈かれた瞬間でした。

舞台公演を終えて

舞台公演を終えてメンバーはビックリしています。先生もビックリしていました。僕は、見事に役になりきりエネルギッシュな演技ができていたのです。「本番がスゴいよかった!」と、直接言ってくれるメンバーもいました。むしろ先生には「いつでもそれができるようにならないとダメ!」と言われてしまう始末です。

もちろん、自我資質だけでここまで爆発的な演技ができたとは思っていません。ただ、スポットライトに当たった自我資質が引き金となって、本番直前まで積み重ねてきた練習への兆しが、一気に開花したとは思います。

公演後の変化

この後、僕は少しだけ声も通るようなりました。自意識も若干ですが向き合えるようにもなりました。欲望に素直になってきたんですね。いま思えば、先生のおかげで、僕は自我資質に向き合って、少しは受け入れることができるようになっていたんです。

とはいえ、練習になるとやっぱりいまだに演技が上手くできません。もう少し演技を続けたかったのですが大学を卒業して就職をしなければいけなくなったので諦めました。

それでも、このときの経験は、僕にとってはかけがないのない奇跡の瞬間です。

そしてなんと、この演劇のレッスンで出会った女性とお付き合いも始まりました。女の子にモテたかった欲望も達成してしまったのです。そんな彼女と先生が、僕のことを話題にしたときの一言を締めの言葉にしたいと思います。

みずみと付き合っているのか!みずみってカッコイイだろ?

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