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新しい靴が硬い

#タイトルが自由律俳句

主要な駅で人がごっそり降りると、正面の席が空いたので座ることにした。腰を下ろすと足の裏への圧力が緩んで足先がじんわり温まるのを感じた。今まで血の巡りが悪かったようだ。新しい靴を履いてきたせいだ。
靴はきれいな方がいいと、誰かが言っていたが、それはどんな場面の話だったか思い出せない。少なくとも今日はあまり元気もないし、柔らかで履きなれた靴を履いて来るべきだった。しかも行き先はただの実家である。(ただのと言っては失礼かもしれない。)両親に、美しい靴を履いて、少なくとも身だしなみは人並みであるところを見せたかったのだ。ただし、これまであらゆる屁理屈を唱える次女として活躍していたので、今更人並みを主張しても無駄なような気もする。
電車の中の人の靴を、怪しまれない程度に観察すると、みんな揃って『適度にきれいな靴』を履いていたので拍子抜けした。ただここで、私が履きなれてよれた靴を履いていたとしても、何も問題ないような気もした。

乗り換えた先の電車はまた惜しい程度に混んでいて座れない。やはり今日は履きなれた靴を履いてくるべきだったのだ。吊り革によりかかり目線を上げると、夕方の暗い曇り空の下に田舎の緑が広がっていて、それが目に、心に刺さって、靴のことはどうでも良くなった。

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