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反省、反芻

やってしまった。
貴重な経験をした。仕事で"大事な"機械の"大事な"ネジをつぶしてしまった。一つ目の大事は値段が高いという意味だ。2つ目の大事はそのネジをつぶしてしまうと今後皆が困るという意味だ。落ち込み、励まし、やさしさ、落ち込み、報告、フォロー、どんまい、落ち込み。川を流れる葉っぱのように、いろいろなことに出会える日常。そして川の流れは絶対で、いろいろなことに抗うこともできずに流されていく。私、1か月後くらいにまたひとつ心が強くなることでしょう。ただまわりがやさしい。フォローが手厚い。それもまた申し訳ないやら救われるのやらこの複雑な感情、"疲れた"に集約させていただきます。

反省はここまでにする。最近、落ち込みすぎないようになったと思う。これが大人かもしれないと思う。大人って体力ないんです。何人かの人から聞いたことがあるので、実際にそうなのだと思う。落ち込むのも体力が必要。人の批判、自分の正義の見せつけ、眠ること、怒ったり、悲しんだり一時的な感情のゆらぎ。どれもが若いころより曖昧になっていて、私はとても楽になった。年々生きやすくなっている。3年ほど前にも同じようなことを思って、友達に言ってみたりもしたが、その友達もわかってくれた。私たち、生きれば生きるほど生きやすくなるガールズだね。よろしくね。

正義でいうと、私は長年自分の正義感に悩まされていた。長年というのは語弊があるかもしれない。正義感が邪魔だと感じたのは1年か2年くらい前のことだからだ。いろいろある。特に私は公共のものを汚く使う人が許せなかった。"汚く"といっても色々な状況がある。作業台に自分のサンプルを置きっぱなしにして他の人の迷惑になっているとか、実験器具や調理器具がしっかり洗えておらずべとべととか、ポット周りに珈琲が飛び散っているとか。自分が潔癖というわけではなく(自分の部屋はあまりきれいではないので)、公共のものを執拗にきれいにする傾向があった。
『だってみんながつかうものだから!』
そうでしょ?と人にブンブン正義を振りかざしていた。
しかし、最近になって、その正義感も薄れてきた。"いちいち人のことを許せない"ための体力がないのだ。ぴりぴりするのも疲れちゃう。しかもぴりぴり(いらいら?)するのをばれたくないとも思うので、"感情を顔に出さないぞ"エネルギーも必要になってくる。よく我慢してエネルギー費やしていたなあ。とてもえらいと思いますよ。それがあるから今の私がおりますのでね。いつか正義感が強かったエピソードで人を笑わせることが最近の妄想のネタです。5月11日。

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