オフパコに失敗した話

 インターネット経由で異性とセックスすることをオフパコという。何とも間の抜けたネーミングだが、オフパコのエピソードなら巷に溢れているだろう。皆は飽き飽きしているに違いないから、俺はオフパコに失敗した話を書き記すことにする。陰気な男の下世話な事情であるから、あまり面白いものではないし、不愉快に思われる方も多いはずである、と先に述べておく。
 2/7。新宿。俺はこの日、午前中に新橋で面接を終え、午後にはフォロワーの女の子と新宿で出会う手はずになっていた。女の子が遊ぼうと誘ってくれたのである。女の子は今年で卒業の女子大生である。就活の途中、という同じ状況なこともあって、先日通話をしたときは妙に話が合った。しかし、愛想笑いとか、何か自分から気を使うとか、そういったことはあまりしない人間のようだった。一抹の不安があったが、俺は異性というだけでノコノコとついていってしまう男だ。
面接の手応えは上々であったから、その気持ちに浸りたい趣もあったが、俺は間髪いれずに新宿へ移動した。オフパコするかどうかは、まだこの段階で決めていない。その場の雰囲気を伺い、いつもスタンスを決めている。
 新宿で指定した待ち合わせの時間までは、まだ一時間ほどあった。予定している遊びのコースの下見をすることにした。俺の中では、まず風変わりなアトリエに行って、二軒目として居酒屋に赴くつもりだった。昼からの酒になるが、こんなものでも飲まなければとてもじゃないが、初対面の親睦を深めるなんてことは出来ないだろう。
 途中、下見のコースを外れてゴールデン街を歩く。巨大なビルを背景に、幾つものバラック小屋が軒を連ねている。新宿の発展から取り残されたようなこの区画は、周囲の近代的なビル群との対比もあって、はじめて眼にする者は些か面を食らうに違いない。バラック小屋に見える建物には、ひとつひとつ所狭しと妖しげなBARや居酒屋が開かれている。これらが数百軒と並んでいるのだ。僅か2畳、3畳の空間にダイニングテーブルと椅子が置かれ、どの店も通りから中が覗けるようになっているので、ゴールデン街は歩いているだけで何だか楽しくなってくる街なのである。
幾つものフィクション作品の舞台になっているゴールデン街は全国の青少年の憧れの的だ。SNSでは、太宰治とか、退廃的な文学に被れた少年少女が、よくこの街を歩いている風景を写真にあげている。彼らは、東京という街の、新宿ゴールデン街という物語を生きているのだろう。俺はあいにく東京に住んではいないが、いつかはここに通いつめ、ここの風景の一員になれたら、ふと思った。
 下見を終えると、待ち合わせ場所で女の子と会った。一般の基準を満たしてはいたが、なかなかふてぶてしそうな顔をしていた。一緒に歩いていても、何だか楽しくないのだか、俺に興味がないのだか、よくわからぬのであった。「美術館好き?」と言っても、「別に…」とか、「さぁ…」とか、いまいち要領を得ない答えなのである。もしかしたら、やはりインターネットの印象とは違った俺の顔に失望しているのだろうか。しかし気持ち悪がってるのかどうかも、女の表情からは窺えぬ有り様であった。向こうから誘って来たのに…女の真意を図りかねる思いで、俺は他愛もない世間話を度々投げ掛けながら、下見したアトリエの方面に向かった。
 アトリエは新宿眼科画廊というところである。ホームページを見るに雰囲気が変わっていたので、一緒にみるのも面白いと思ったのだ。しかし、思わず閉口してしまうようなユニークな展示であったため、一緒にいる女がこれらをどう受け止めるのか、些か不安を抱く思いであったが、女はひとつ気に入った展示があったらしく感想ノートに書き込んでいたので、少しホッとすると同時に、ノートに感想を書き込もうとするとは、実はなかなか素直なところがあるのだな、可愛いではないか、と陰気な俺は勝手に好感を抱いてしまうのだった。チョロい男である。
 俺は女と相変わらずぎこちない、歯の浮くような表面的な会話を続けながら、今度は二軒目の餃子屋にむかった。先ほどの下見で、昼からアルコールをのめる店として、候補に決めていたのだ。女に「この店でいいか」と伺うと、さほど興味もなさそうな「はい」という返事が返ってきた。
 カウンターに座り、ビールを注文する。さすがにアルコールが入るので、女も多少は饒舌になった。ただし、饒舌になるのは自分の就職活動の話題である。女は内定先の会社との折り合いが上手くつかず、辞退しようと考えているとのことだった。女に就活の話題を矢継ぎ早に質問すれば、油の乗った答えが返ってくるが、女はそもそも必要以上に愛想を使おうとは考えつかない人間らしく、どんな話をしようとあまり手応えは掴めないのであった。俺ももっと自分の就活事情について話すべきか迷ったが、女の反応を見ていると、何かしら面白くしようとか、場を盛り上げよう、といった気持ちは萎んでしまうのである。俺は向上心の無い人間というものの存在を思った。やはり人間は向上心と好奇心、この2つを持たなければ楽しくならない。
 しかし、通話の時から他人に対して関心をみせないこの女である。女は何故オフ会しようと俺を誘ったのだろうか。俺はそれらを推測するに、ここで良くない癖が出た。今まで、散々自分で自分を苦しめた、陰気な顔にはおよそ似つかわしくない、グロテスクな面である。俺は女の顔に赤みが差したのを見計らって、二つ目の飲食店に行くことを提案した。
 個室居酒屋に来た。女と二人、敷居のある空間に閉じ込められるのである。個室居酒屋はその特質のせいか、あまり良い風紀としてみられないところがあるし、俺はその使い方のひとつをインターネットの悪い大人から知ったのだった。今日、まさにそれらを実践しようとしたのである。女とは次第に会話が続かなくなった。女は瞼を閉じ始め、眠るような姿勢を取り続けた。眠りたいのなら、一軒目の時点でさっさと帰ることを提案したら良いのだが…。俺はそろそろかなと思い、行動に出ようとした。何度も述べているが、俺は俗にいう陰キャである。あまり強引なことは慣れていないのだが、この日は決死の覚悟で及ぼうとした。
 俺は左手を女の肩に回すと、そのままの姿勢で抱き寄せようとした。が、次の瞬間、女の手が俺の左手をすかさずパッと振り払った。女は微睡んでなどいなかった。スッと機敏に立ち上がり、俺に2000円を渡し、「もう行こうか」と言った。何だか申し訳なく、この世のどの下等生物よりも情けない気持ちに至った俺は、女の2000円を返し、自分の財布から会計は全て払った。女の店を出た後の足取りは早かった。
 駅に向かう途中、「怒ってる?」とご機嫌伺いに俺が聞くと、「びっくりした。」と返ってきた。女はさっさと駅の改札をくぐり、振り返りもせずにいってしまった。俺はフラレたのである。残された、という感じがした。
 人が傷つくとき、それは大抵の場合、自分の関心を裏切られたようなケースが多いように思える。「好きだ」と前のめりになればなるほど、「嫌いだ」と言われたときに転びやすいのだ。今日の俺もそのような次第であった。負け犬の気持ちである。俺はインターネットで知り合った、就活に悩んでいる女の子を、酒を飲みながらハイエナのように窺い、タイミングを見計らって巧妙に二人だけの空間に誘いだしては、間抜けにもスキンシップを取ろうとして無惨に断られた、ダサさの極みのような男である。というか、それが今日完成してしまった。アルコールは、悲しいときに飲むともっと悲しくなる。俺は先ほど些かペースを早くして取りすぎたアルコールによる幸福感が、一気に逆流して鬱の状態へと下っていくのを感じた。暗い暗い闇の中へと、気分が沈んでいくのである。
 俺は新宿駅のトイレで嗚咽しながら、彼女に謝罪のメッセージを送った。「誰にも言わないので心配しなくていいです。私にも隙がありました。」と返ってきた。誰かにこの話をばらされるのを恐れてメッセージした訳でもないのに…という思いが一瞬頭をよぎったが、しかし、それは言い切れるものではないなとも思い、心の置き所が上手く見つからなかった。
 俺は今の就活が成功すれば東京の人間になる。東京で暮らし、東京という物語に生きていくことになるだろう。しかし、本当の俺はこの有り様である。とにかく、ダサいのである。それまで保っていた自尊心の、幻想で支えていた部分がみるみるうちに崩壊していくのを感じた。俺はやはり、ゴールデン街を歩くべき人間ではない。
 帰りの電車は小田急で帰ったが、行き先を間違えていることに途中で気付き、2回も余分に乗り換えることになった。アルコールが喉の部分までせりあがり、少しの刺激で吐いてしまいそうだった。全身が酒に浸かっているような気がする。目の焦点が合わない。過去に何度かこのような酔いかたをしたことがある。恐らく数時間でこの毒気は抜けるが、その数時間をどのようにして耐えようか。気持ち悪さと共に、女への所業が自分を苦しめてくる。女のふてぶてしい顔が何度も思い出されるのだった。
 時刻は19時を回っていた。夜の家路をとぼとぼと帰る。明日は休日だ。土日である。月曜日はまた面接の予定が入っている。嫌でも、立ち直らなければいけない。俺は、先ほどの所業による罪悪感で苦しめられていたにも関わらず、女によって空振りした性欲を、どう持て余したものかと、性懲りもなく考えていた。

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