見出し画像

てぃくる 23 破れ蝶

 俳句では、『蝶』は春の季語。
 最近は温暖化のせいか、一年に複数回繁殖して真冬を除くどの時期にも蝶を見かけるようになりましたが、それでもやはり蝶は春に良く似合います。冬の縛めを逃れて自由と解放を象徴するように、ひらひらと軽やかに飛び回る姿には、同じく空を飛ぶ鳥とはまた違う柔らかな印象がありますね。

  獄にゐても我が手のてふはそらを飛ぶ

 さて。
 しばしば軽佻浮薄の代名詞にされる蝶ですが、現実はそんなに甘くありません。蝶は、蜂のように高速飛行に適したスタイルではありませんし、甲虫類のように自らを覆う鎧を持っているわけでもありません。

 とろくて、ぷよぷよ。

 捕食者にとってみれば、蝶がひらひらしている光景は、まるでわたしを食べてと標的が目の前で誘惑しているようなものでしょう。

 蝶の中には、幼虫時代に毒草を食すことによって自らを毒の塊と成し、捕食を避けるものもいます。ですが、ほとんどは無防備なままです。
 一生の集大成に見える美しい蝶の姿は、実際には生涯の中のほんの一部。華やかなドレスを着ている間に急いで恋人を探し、想いを遂げ、卵を産みつけて親としての役目を果たさなければなりません。本懐を果たせなかった者は、ただ捕食者の餌食になるだけです。

(ナミアゲハ)

 破れ蝶。
 鳥に襲われたのでしょうか。片羽が大きく砕けていて、飛ぶことができません。やっと迎えた春を、空の上から見回すのではなく、砕けた羽を抱えて草の中から見上げる。哀れではありますが、これも現実です。

 春。何もかもが暖かく、柔らかく、伸びやかに感じられる春。
 でも。一匹の破れ蝶は、その思い込みがただの幻想に過ぎないことをこれでもかと見せつけます。飛べないということが分からない蝶は、宙に舞い上がろうとひたすら羽ばたき続けます。はたはた、と。見た目には優雅に。

  宙はまだそこにあるのに蝶の夢

(2013-05-01)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?