見出し画像

鳥が太陽を運んでくるように

どうして創り物の物語に感動し、架空の登場人物の人生に感情移入してしまうのか。
それは、「(物語は)人々の生きる場所と生き方はまったく知らない異質な世界であると同時に、どこか覚えのある世界を示しているからだ」という、フレデリック・ブッシュの言葉に表されていると思う。

アリステア・マクラウドというカナダの作家がいる。31年のあいだに書いた短編はわずか16本という相当な寡作なので、あまり世間では知られていない作家かもしれないが、一部の読書家には評価が高く、短編の名手として知られている。

そんなマクラウドのデビュー作に「船」という短編がある。この物語は、七人兄弟の末っ子である主人公の視点で、父親や母親、家族との日々を回想するという形式で語られる。
父親は年老いてからも漁は休まない真面目な漁師だが、散らかった自室で本を読むことを愛する読書家という一面がある。母親はそんな父親と対照的に、生活に何も役に立たないと読書の習慣を嫌い、子供たちが読書をしていると、時間の無駄だと本を取り上げてしまう。そして、母親は父親の散らかった部屋を忌み嫌い、それが象徴する父親の全てを非難する。
時が過ぎ、ある日、末っ子の主人公は、父親が実は肉体的にも精神的にも漁師に向いていなかったのではないかと感じる。そう感じた時、主人公は年老いた父親へある一つの思いを馳せる。

自分本位の夢や好きなことを一生追いつづける人生より、ほんとうはしたくないことをして過ごす人生のほうが、はるかに勇敢だと思った。

世間には、好きなことで生きていく、自分らしく生きる、ということを賛美する風潮がある。実際、スポットライトが当たるのは、そういう生き方で成功したように見える一部の人達で、様々なメディアで紹介されることで、ますます世間の人達はそんな生き方に憧れを募らせ、そんな生き方こそが本来の人間の目指すべき生活なのだと煽られる。
しかし、実際に自分のやりたいことで生きられる人は世間にどれだけいるものだろう。毎日自分の生活や家族の生活のためとしたくもない仕事をこなし、そんな生活を何十年も続けて、いつしか人生を終える。そしてこの世界は事実、そんな仕事をこなす人がいることで成り立っているのだと思う。

私は「船」という地味な物語に感動した。そして、架空の人物である漁師以外の何者でもなかった父親にも感動した。自分には向いていない生き方で人生を全うしてしまう、そんな勇敢な人生こそが、この世界のリアルだと思ったからかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?