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現実と名付けてみた妄想

今から十年以上も前で私が学生だった頃、私の友達はバンプ好きが多かった。BUMP OF CHICKENと正式名で言わなくても、今でも人気のあるバンドなので、バンプで伝わると思っているが、当時の私は友達の影響もあってか次第にバンプにはまっていた。
個人的に一番好きな曲が、アルバム『ユグドラシル』に収録されている「レム」という曲で、ボーカルの藤原基央さんが一人で弾き語りする曲なので、バンプらしさはないのかもしれないが、当時からこの曲は好きで、なんでこうも心をグサグサと抉る、いい意味でいやぁーな歌詞を書けるのかと思いながら「レム」という曲に聴き入っていた。

実際どんな曲かは聞いてくださいとしか言えないが、歌詞は本人は上手く取り繕っていたり、隠しているであろう部分を他者からビシビシと指摘されるような内容で、しかし実際は、自分自身の事を語り明かしているというか内面を吐露しているようにも思える歌詞である。自身の恥ずかしい部分を次々と暴露されて(して)いき、それは現代を生きる人にとってはどれも身に覚えのあることで、まるで自分自身の事を見透かされているように思えてひどく共感できてしまう。

しかし、実際の話自身の弱点をマシンガンのように指摘されようが、その行動は簡単に変えられるものではない。もっと素直に生きればいいのにと自分自身が重々承知しているが、他人の目を気にしない生き方というものに抵抗はあるし、ありのままの自分を出したとして果たして現実社会が許してくれるのだろうかという恐れもある。今まで生きてきた経験則も手伝って、所詮世の中はそんな風に出来ていると一人合点してしまい、そんな社会に適応しようと本人は間違った方向の努力をしてしまい、「レム」の歌詞のように変に拗らせてしまうという面も少なからずあると思う。けど、そんな誰にでもある(かどうかはわからないが)うらぶれた感覚を喚起させてくれるのはバンプの持ち味だと思っているし、バンプ好きの友達とカラオケに行くと、この曲や「才悩人応援歌」とか歌ってたりしていた事を覚えている。

誰もが感じる事かわからないが、私は二十歳前後位で自身の根っこの部分の成長が止まってしまった(この表現が相応しいかわからないが)ように思えて、いろんな経験を経て一見世間慣れしたようにも感じるけど、心の核のようなものは変わっていない気がする。だから、今でもこの曲は心に沁みる。そして、今日の日のように、これからも現実社会を生きていくためにたまに思い出しては「レム」を延々とリピートしてしまったりする。

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