鶏飯の思い出

鶏飯(けいはん)、いまでは奄美大島の、というより、奄美群島、それどころか鹿児島県の郷土料理のように紹介されているけど、一般的になったのは、ここ20年ほどのこと。
それまでは、奄美大島の北部の家庭料理でした。

出身が奄美大島の北部、笠利町の川上という集落で、島で一番大きな街、名瀬市(現在の奄美市名瀬)で育ったけれども、両親の親は川上に住んでいたので、子供の頃だから昭和40年代ごろでしょうか。祖父母の家に行くと、いつも鶏肉か豚肉料理でした。そして、鶏料理といえば鶏のスープ。丸ごとの鶏をコトコト煮て作った濃厚なスープにほぐした鶏肉やソーメンや豆腐などを入れたシンプルな澄まし汁。ときたま、お客さんが多いときに出るのが、鶏飯(けいはん)でした。スープをとった丸鶏を鍋から取り出し、身をむしって鶏飯の準備を手伝ったものです。

その鶏はどうしたのかというと、祖父母の家で飼っている鶏。卵を産まなくなった鶏を父が絞め、さばいていました。その後、鶏を家で飼わなくなると、同じ集落内にある知り合いの養鶏場にお願いして、鶏飯用にいわゆる”廃鶏(はいけい)”を譲ってもらって作っていました。

以前は名瀬の街中の肉屋さんでも”はいけい”として販売していましたが、ここ数年は名前が好ましくないのか、鶏飯のスープ用として”親鶏(おやどり)”という名称で販売してるはずです。

昭和28年に川上の手前、赤木名という集落に”みやとや”という旅館が出来、鶏飯を今のスタイルで出すようになりましたが、そのお店で食べたことはありませんでした。初めて”みなとや”で食べたのは母が亡くなって、家で鶏スープを作ってくれる人が、あの味を出してくれる人がいなくなったからのこと。懐かしい濃厚なスープで、当時のお店のおばさんが同郷のよしみで、川上の養鶏場の廃鶏を贅沢に使ってスープをとっているんだよと、教えてくれました。

やがて20年ほど前(平成10年頃?)に奄美空港と名瀬の街の中間、国道沿いに鶏飯専門店”ひさ倉”が開店。大繁盛し、鶏飯がもてはやされるようになったのはそれからでしょうか。

それでも、”みなとや”の濃厚なスープが無性に食べたくなり通っていました。人によっては鶏の脂がきつく感じたようですが。

自分で何度もトライするのですが、あの味は出せません。今では”かずみ”、西和美さんが作る鶏飯が唯一の味でしょうか。

もう、あの味は食べれないのかな。いつか、あの味を出したいな。

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