noteのコンテストが私の「書きたい」に陽差しをあたえる
11月のある日、noteから通知が届いた。
「noteをはじめて1周年記念!」
連続更新にも無縁な私は、noteをはじめた日も続いている日数も意識にはなく、通知を見てはじめて「おお、そうなのか」と思った。
一年前、私は何をしていたのだっけ?
広報として文章を書くことに満足していた
一年前の11月。「広報」という新しい仕事に未経験でチャレンジをしてから、すでに一年半が経過していた頃だ。プレスリリースを書き、社員へのインタビュー記事を書き、メディアへの寄稿記事を綴る毎日。
学生の頃から文章を読むのも書くのも好きだったのに、いっときは忙しさを理由に遠ざかっていた。それが広報になってからは、仕事で飽きるほど文章が書けている。文章を書くことでアイデンティティを保つタイプの私は、この日々を心底気に入っていた。
文章を書くことが好きとはいえ、私には綴りたい想い、伝えたい言葉があるわけではなかった。日本語をこの指先から生み出していく作業が好きで、だから、自分の所属する企業の想いを編集して言葉に変えていくこの仕事は、あまりに私に似合っていた。
仕事に満足していた。いや、これで十分なんだと自分に言い聞かせていただけだったのかもしれない。
noteのコンテストが私の「書きたい」に火をつけた
自分のアイデンティティであった「文章を書くこと」を仕事にできて満足していた私が、なぜ私生活でnoteを書きはじめたのか。
きっかけは「美しい髪 投稿コンテスト」だった。
noteを書く人なら知っていると思うが、noteにはさまざまなお題やコンテストがあって、クリエイターはそれらに応募することができる。
審査員だったカツセマサヒコさんのTwitterを見て「美しい髪 投稿コンテスト」の存在を知った私は、ドキドキしていた。髪についてなら、書けることがあるかもしれない。企業の広報としての言葉じゃなくて、私生活の私が言葉にできるものが。
「書きたい」という欲求がふたたび心の中に生まれた。noteというサービスは知っていたけれど、そこで自分が書くことを意識したのは、この瞬間がはじめてだった。
書くためにはnoteのアカウントをつくらなければならない。つまり、私のページができるということだ。もし続けられなかったら、私のページは空白になる。それってはじめるよりかっこ悪くないか?私は書きつづけることができるだろうか。
さまざまな「書かないための言い訳」が頭をよぎり、私を数日悩ませた。それでも、私はアカウントをつくり、noteのクリエイターになった。一年前のことだ。
影を覚悟して陽の差す道を歩きはじめる
なにかをはじめるとき、それがたとえ自分自身の欲求からくるものであっても、逡巡することは枚挙にいとまがない。
私の歩きたい道には陽がさんさんと差している。けれど、今は見えない隅っこや横道に「影」が潜んでいて、いつ私の行く手を遮るように立ち現れるともしれない。
やりたいことを逡巡するのは、その道を歩く前から「影」に怯んで、最初から日陰の道を選ぶようなものだ。日陰に「影」は生まれない。けれど、求めていた陽も差さない。
この先出くわす「影」のことは一旦忘れて、その道を行く一歩目を踏み出す。そんな勇気が持てれば尊いなと思う。いざ「影」に出会ってしまったら、「なんでこの道を歩いているんだっけ?」と来た道を一度振り返れば、陽差しがまた理由を教えてくれるはず。
noteをはじめてから、私は仕事以外の文章もよく書くようになった。noteの場だけでなく、別のどこかでやっているコンテストに応募することもある。私の生活はふたたび言葉で満ちた。
私にとっての書く行為は、自分の頭の中や心の中と向き合うための時間。書いて、消して、書いて、編集して。自分の両手の指先から少しずつ遠慮がちに紡がれる日本語がいとおしい。
***
「美しい髪 投稿コンテスト」から一年。詳細に言えば、noteアカウントの開設から一年と五日後。私はnoteを運営するピースオブケイクの広報となった。私にふたたび書くことの幸せを教えてくれたnoteの体験を、今度は伝えていく立場になる。
新しい仕事のお話は、また別のnoteに書きましょう。
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