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お金のかかる神様かからない神様


数日前次女が言った
「人間て何のために生まれてくるんだろう」

うーん
何のためだろう
何のためだと思う?

「 神様のため
神様が何かしたいから
神様が何かするために人間作ったんじゃない? 」

なるほど
神様は
いったい人間に何をさせたいんだろう

神様という概念
私には次女の歳の頃には全くなかった
祖母が毎日仏壇に手を合わせるのを見て
漠然とご先祖様の存在は有難いものの様だと感じてはいた

以前近くのキリスト教の教会の子どもの会へ行った次女は
あなた方は神の子です
という言葉に感銘を受けたのか
たまに神様という言葉を口にする

度々クリスマス会へ行っていた長女は
工作やゲームに興奮し、そのあたりの話は右から左だったに違いない

私は次女の様に神様について考えた事はなかった
私の家族は神様について話したことが無かったに違いない
特定の宗教を信仰していない家庭では神様について話す機会はない様に思うが
どうなのだろう

身内に、教祖様のいる、とある信仰宗教にそうとは知らぬ間に入信させられた際
神様がいるとするならば私の中にいると思っていると伝えた

次女にはその考えは言っていないが
彼女にとっての神様とはどういう存在なのだろうか

1年間毎月月刊紙が送られてきていた宗教団体
翌年は年会費が支払われなかったのか月刊紙は途絶え私も自動的に脱会できていたらしい
この世には
繋がるためには年会費が必要な神様がいるという事を学んだ良い経験であった

八百万の神様たちがいらっしゃるという日本

お日様、お月様、海、空、土、風、米粒一つにも神が宿る

自然はとても不思議で
確かに神様がいるのかもしれない
私としてはこちらの方がずいぶんとしっくりくる
いつでもどこでも感じることができるものであるし
自分が今ここに在ることへの感謝にも繋がる

たまに神社に行くと清々しく気持ちが良く
自分の内なるもの含め全ての神様にご挨拶している気分だ

お賽銭は納めるが
年会費はかからない

しかし葬儀や法事ではお坊さんにお布施をお渡しする事を考えると
結局宗教団体にボチボチお金を出していることになる

そして私が救いを求めるのは

神様仏様お父さん

長女が脳症を発症した時
病院の廊下のソファーに座り
心の中で祈った

私はあの時初めて自然と祈り救いを求めた

2度目はどちらかというと願掛けだったのかもしれない
また助かりますようにと
 
本当に困った時は神頼みしかすることがない
いや神頼みできるうちは余裕があるということか
それさえもできなくなったなら
きっとそれが絶望というものなのだろう

絶望について考え出すと終わらなくなるので
おわり

写真は1週間前の朝焼け6時過ぎ
ひとりバルコニーで伸び伸びー

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