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運命図書館 第1章(短編小説)

土曜日の正午過ぎ、松原良太は馴染みの定食屋へ行こうと家を出た。
店までは歩いて10分ほどかかる。良太は学生時代、ラグビー部に所属しており、がっしりした筋肉質な体の持ち主だった。しかし、30歳を過ぎてからというもの、スポーツから遠ざかったせいか、筋肉がぜい肉に変わりつつあった。このままではいけないと、栄養バランスを考えたメニューを出してくれるその定食屋には、週に2、3度は通うようになっていた。

良太の住んでいる町は、これから栄える可能性の高い、逆に言えばまだまだ開発の余地の残された町のひとつだった。定食屋への道すがらにも所々空き地が点在し、ある日突然、工事の予定が記された看板が立ち、その1年後にはマンションやビルが建ち上がる。そんな変化を良太はこれまでたくさん見てきた。

定食屋へ向かう道の途中にも大きな敷地があり、そこに早く大型スーパーか、ディスカウントストアでもできればいいのに、と良太はその前を通るたびに思っていた。

「あれ、いつの間に?」
大きな空き地だったはずの場所に建物が建っていた。

この通りは良太の家から最寄り駅までの最短経路になっていたから、良太は毎日通勤に使っていた。昨日までは確かに空き地だったはずだ。
それなのに一日でこんなに大きな建物ができるなんてありえない。そのうえ、その建物は新築のはずなのに、歴史を感じさせる古めかしさがあった。

建物の正面には《運命図書館》と書かれている。良太は不気味に思いながらも、好奇心に勝てず図書館に入った。

「いらっしゃいませ」
カウンターの奥から品の良い白髪の紳士が出迎えた。
「運命図書館へようこそ」

歩くたびに床がギシギシと音を立てた。
こげ茶色にくすんだカウンターはニスも剥げかかっており、二階に昇る階段の手すりには細かなギリシャ風の彫刻が施されている。図書館特有の匂いの中にも、どこか歴史の重みが感じられる。

「すみませんが、この建物はいつの間にできたんですか」
良太は真摯に聞いた。
「はい。この建物は築200年です」
紳士が落ち着いた口調で答えた。
「そんなわけない。だって昨日まではここに建物なんてなかった。確かに空き地だったはずです」 「いいえ、この建物はここにずっとありました。ただ、あなたには見えなかっただけです」 「こんなに大きな建物を見逃すわけがない」
「この図書館は選ばれた人にしか見えないのです。あなたは今日、選ばれたというわけです」

紳士が冗談を言っているようには見えなかった。
「なぜ僕が選ばれたんでしょうか?」
「それは私にもわかりかねます。私の役目は、ただ訪ねてきたお客様に、この図書館の説明をするだけです」
とまどっている良太に、紳士が説明を始めた。
「運命図書館はそれぞれの町にひとつずつあります。あなたも不思議に思ったことはありませんか。なんでこんな立地条件のいい場所がずっと空き地のままなんだろうかと。そこには運命図書館が建っているのです。ただし、運命図書館は選ばれし人にしか見えません」
紳士は抑揚のない声で、淡々と話し続けた。

「運命図書館には、この町に住んでおられる方皆さまの運命が書かれた本が置いてあります。その町の住民の方の数だけ本があるというわけです。この町に生まれた時点で、その方の本が図書館に置かれます。この町から引っ越した方の本は、引っ越し先の運命図書館へ移管されます」
「死んだ場合はどうなるんですか?」
「お亡くなりになった方の本は焼却処分されます」
「僕の本もあるんですか?」
「もちろんです。あなたの本もここにあります」
「僕の運命が書かれているんですね?」
「はい、それが運命図書館なのですから。あなたの本には、あなたが生まれてから死ぬまでの人生の出来事が書かれています。ご希望ならば今日、お貸しすることもできますが。いかがでしょうか」
「いえ、急にそんなこと言われても」
良太は口ごもった。

「他の方の本も借りられます。こちらに置いてある本はどれでもお貸しできます。ただし、ご注意があります」
紳士はカウンター横の壁に貼られた紙を指差した。

〘運命図書館のルール〙
1.本の内容は絶対に人に話してはいけません。
2.自分の運命を知って、その運命を変えようとしてはいけません。
3.自分以外の人の運命を知って、その人の運命を変えようとしてはいけません。

そう書かれていた。
「ルールはたったの三つです。このルールだけは守っていただきます。もし守らなかった場合は、あなたの身にとんでもないことが起きます」 「とんでもないことって何ですか?」
「それは私にもわかりかねます。ただ、マニュアルにそう書いてあるのです。来館者に必ず伝えなければいけない事項なのです」
「例えば僕の彼女は他の町に住んでいるんですが、彼女の本は借りられないんですね」
「はい。ここにはこの町に住んでおられる方の本しかありません」
「じゃあ、彼女の運命を知ることはできないんですね?」
「いいえ、あなたは選ばれた方なのですから、世界中の運命図書館で本を借りることができます。ただし、図書館の場所は自分で探さなければなりません。ちなみに、ネット検索しても何も出て来ませんので、その点だけはご了承いただきたいと存じます」
良太にもこの図書館のシステムが理解できた。それがウソか本当かは別として・・・。

「本日、何かお借りになりますか?」
紳士が質問した。
「今日借りないと、もう借りられないんですか?」「いいえ、そんなことはありません。先ほども申しましたとおり、あなたは選ばれし人なのですから。いつでも来館していただけますし、いつでも本を借りることができます」
「今日はやめておきます」
良太は少し考えてから、そう言った。
「そうですか。それではまたのご来館をお待ちしております」
紳士が丁寧に頭を下げた。

定食屋マルヤスで野菜のたっぷりと入った酢豚定食を食べながら、良太は先ほどの出来事を考えていた。

人の運命が書かれた本など存在するのか? どう考えてもあるわけがない。そんなの常識で考えればすぐにわかる。しかし、それならば空き地にたったの一日で、あんな大きな古い建物がとうてい作れるわけもない。でも、良太は確かにその建物を見た。そして建物の中にも入った。
あれは白日夢だったに違いない。よし、帰り道にもう一度確かめてみよう。良太は冷たい麦茶を飲み干して店を出た。

運命図書館は先ほどと同じ場所にあった。良太は呆然と建物を見つめた。そんな良太を通行人が不思議そうな顔で見て通りすぎる。

図書館に入る勇気はなかった。今図書館に入ったら、もうそこから出られなくなってしまうのではないかと思った。やはり頭がおかしくなっているのかもしれない。こういう日は早く家に帰って昼寝でもしたほうがいいのだろう。

ベッドに入っても、良太は寝られなかった。
自分の運命を知りたい気持ちは良太にもあった。でも、自分の本を借りる決断を簡単にはくだせない。例えば、「一年後に交通事故で大ケガをする」と書いてあったとする。それを読んでその場所に行かなかったとしたら、「自分の運命を知って、その運命を変えようとしてはいけません」というルールを破ることになる。そうすると、自分の身にとんでもないことが起きてしまう。そのとんでもないことが交通事故で大ケガするよりも軽い罰だったならば、交通事故を避けるのが正解だろう。でも、もしもとんでもないことが死ぬことだったならば、死ぬよりは大ケガしたほうがマシになる。とんでもないことが何なのかわからない限りは、やはり自分の本を読む勇気が良太にはなかった。

彼女の運命だったらどうだろうか。良太は彼女との結婚の準備をサプライズで進めていた。でも、彼女は自分と結婚するのか。そして二人は幸せになれるのか。確かに知りたい。でも知ったとしても、それを変えようとしてはいけないのならば、やはり読む勇気がない。実家の両親もしかり。自分に近しい人の運命を知るのは、やはり恐かった。だからといって、まったく知らない人の運命を知ったって、それが何になるというのか。それでは小説を読んでいるのと変わりはないではないか。そのうえ、その後その本人が本のとおりになったかどうか知りようがない。

試すのならば、近しい存在ではなく、かと言ってまったく知らないわけではない人を探さなければいけない。そうすれば、その人が本当に本に書かれたとおりの運命を歩んだかどうかがわかる。運命図書館が本物か、偽物か判断できる。

すぐに定食屋の親父の顔が浮かんだ。確か安田国丸という名前だっけ。衛生管理者として、店に名前が貼ってあった。安田国丸でクニヤスという店名にしたのだろう。それに気づいて一人笑ってしまったことを覚えている。
「よし、明日会社帰りに運命図書館に行ってみよう」
良太はそう決めた。
                   <続く>

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