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田口ランディ『ハーモニーの幸せ』を読んで 『身体に音楽を取り戻した日』

「音楽・・・・・・への憧れは、海への憧れと似ていた」
バリ島で海への憧れを満たした田口ランディは、今度は苦手だった音楽に興味を持つようになる。その媒介者が渡邊満喜子という不思議な音楽家との出会いだった。ここでも著者はすぐに行動する。早速手紙を書き、歌の教室に参加した。この行動力こそが著者の特性であり、いわゆる不思議な出来事との遭遇へと繋がっていく。

渡邊満喜子という人はオカルト的な経験から歌を歌うようになる。「私は言葉を司る精霊で、縄文よりも古い昔から存在していた」らしいのだ。彼女は七つのチャクラ(チャクラについては、簡単に言うと「気」のようなものだとしか私にはわからず、今キャロリン・メイスの『7つのチャクラ』という本を読んで勉強中している)に対応させながら、ゆっくりと声を出す。

神も仏も天国も地獄も信じていない私だが、「気」には興味があった。小さな頃、バラエティ番組の企画で気功師という人が相手に触らずに気の力で倒すのを信じていたからだろうか。今も鍼灸に通っているが、鍼灸などは実際に体の気を流すことで体の不調を治す仕事をしていると聞いている。

私自身は昔から自分の声が嫌いだった。初めて録音機から流れる私の声はかすれていて汚かった。小児喘息で咳ばかりして、喉を潰してしまったのだろうが、それをきっかけに小さな声で話すようになった。みんなからは聞こえないからもっと大きな声を出せ、と言われてきたけれど、恥ずかしくて小さな声しか出せなかった。
しかし、歌謡曲が大好きだったので、カラオケにはすぐにはまった。嫌いだった自分の声を大きく出すことができたからだろう。
驚いたことに、まわりの人からは、独特な良い声だねといわれた。確かに歌っているときの声は、いつもの自分の声と違っていた。私は自分の声に自信を持てるようになった。

「自分が筒になってた。身体が木管楽器みたいだった。私の声、私の歌だ。世界にたった一つの私という身体が出す音だ」と著者は自分の体験を述べており、「もしかしたら、歌とは自分自身のなかのもっともピュアな部分が表現される手段なのか」と考える。私も実感としてそう思う。

本当の「声を出しているとき、どんな考えも頭から消える。自分がただの音になる。月の音だ。そのとき、生まれて初めて「祈る」ってこういうことだったのか、って思った」と言っているが、お経や祝詞も音楽に聞こえるのは、そういうことなのか、と納得できた。
「自由に自分の声を出す」ことが大切なのに、私は自分の声を出していなかったことに気づかされた。

最後に、「人間の声は、風や、水の音とよく共鳴する。そのとき、私は、自分が鳥や、虫や、蛙になった気がする」と言っている。「音と、水と、光は、とても似ている」、「魂の領域に接するものだ」と感想を述べている。

人間は特殊な生き物でも、地球の征服者でもない。人間だって自然の生き物であり、自然と調和して生きていくのが本来の生き方なのだ。

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