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湖の記憶3(ミステリー小説)

残りふたつの湖の撮影は延期し、この湖がなぜ夢の中に現れたのかを調べるために、まずは車で湖の周辺を回ってみることにした。何か新しい発見があるかもしれない。

車で湖を一周しながら、ときどき車から降りて写真を撮った。すでに太陽は山の向こうに消えゆこうとしていた。サトルは残りの調査は明日に回すことにし、車中泊する場所を探した。

翌朝早く目覚めたサトルは、早速昨日の続きの調査に乗り出した。
道路は途中で湖を離れてしまい、湖の姿がまったく見えなくなった。徒歩で湖のほとりまで行こうと決め、最初に見つけた駐車場に車を停めた。湖を目指して歩くと、十分ほどで湖が見えてきた。湖のほとりで前方と左右の風景を写す。昨日撮影用の写真を撮った高台がすぐ左上に見えた。もう四分の三の道程を走ったことになる。しかし、新たにサトルの記憶をよみがえらせる風景はひとつもなかった。

駐車場に戻ると、湖と通りをはさんだ反対側に古いお寺があった。サトルはためらわず、お寺の境内に足を進めた。何か得体の知れないものがサトルを導いているように思えた。寺を歩いていると、境内の奥にひとつだけ粗末な墓標がぽつんと立っていた。墓標に歩みよって裏を見ると、そこには死者の名前と、その誕生日と死亡日が書いてあった。

 森本悟
 平成三年八月二一日生誕
 平成十年四月 四日死亡

自分の墓標がなぜこんなところにあるのか? サトルの誕生日は墓標に書かれているのと同じ平成三年八月二十一日。そして死亡日はたぶんサトルの記憶が始まった小学校入学当時に該当する。これがただの偶然ということがあり得るのか? もしかしたらサトルの幼い記憶が死んでしまい、これはサトルの死んでしまった記憶を葬っている墓標なのか? もしそうならば、この墓標の下にはサトルの幼い記憶が埋もれているはずだ。

駐車場に戻り、車のトランクからスコップを取り出して、墓標へ戻った。墓標のまわりに誰もいないのを確認し、すぐに墓の下をスコップで掘り始めた。

カチンと音がした。慎重に土をどけていくと、そこには骨壷があった。中を開けると白い粉に小さな塊が混じっていた。人骨のようだ。サトルは一番大きめの骨の塊を拾い上げ、丁寧にハンカチに包んでポケットに入れた。骨壷に土をかけ、スニーカーで土を踏みしめ、まわりの土で靴跡を隠した。誰にも気づかれなかったようだ。サトルは逃げるように車に戻り、すぐに車をスタートさせた。

最初に車を停めた高台の駐車場に戻り、ポケットからハンカチを取り出した。注意深くハンカチを広げる。
もし、あの墓が自分の墓だとしたら、この塊はサトルの骨ということになる。しかし、この塊を見ているのはサトル自身なのだから、サトル自身は死んでいるわけがない。それならばいったいこの骨は誰の骨なのか? 小学校入学前の自分は死んでいたのか? だからサトルには小学生よりも前の記憶がないのか? 六歳で死んだ子どもがまったく別の形の人間として生まれ変わることなどあり得るのか? 謎は解決するどころか深まるばかりだった。

写真スクールの仲間に、一人だけ変わり者がいたのを思い出した。彼は法医学者を目指して医学部受験の勉強をしながら、遺体の写真の撮り方を覚えたいからというスクール始まって以来の動機でスクールに入学した。名前は山口蒼洋。山口は東精大学医学部で助教授をしていた。あいつだったら何かわかるかもしれない。特に親しくしていたわけではないが、講師から将来横のつながりが大切になると言われて、卒業時に写真スクールの同期のほとんどは携帯電話の番号を交換していた。

「山口か。久しぶりだな。オレ、森本。写真スクールで同期だった、覚えてるか?」
「へえ、どうしたんだ、急に? 同期の出世頭である森本サトルを覚えていないわけないだろう。そのうえ僕たち同期のアイドルだった琴音ちゃんを奪ったんだから」
「お前らが消極的だっただけだろう。オレはただ好きになったから付き合ってくれって言っただけさ。そんなことは今はどうでもいいんだ。ちょっと相談があってね」
「カメラについて言えば、君のほうがプロだろう。僕が教えられることなんてあるかな?」
「いや、今回の相談はお前の専門に関係があることなんだ」
「いったいどんな相談なんだ?」
「それを直接話したいんだ。今からお前のところに行っていいか?」
「何時頃に来られるんだい。仕事柄、いつ呼び出しを受けるかわからないんでね。死者は真夜中に熟睡中だろうが、彼女とデートしていようが、そんなこっちの都合なんて考えてくれないんでね」
山口が飄々と言った。
「それはお気の毒さまだな。とにかくこれから三時間後にはそっちに着くと思う」
「わかった。急用が入らなければ待っているよ。もし出かけてしまったら、こちらからまた連絡するから」
「そうか、悪いな。とにかくすぐに行くよ」
サトルは東京に向かって車を走らせた。
                   <続く>

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