短歌➕エッセイ 亡母に捧げるhommage
我が母よ 息の緒皆を 慈しみ
娘孫に惜しまれ 雲となりぬる
わがははよ いきのおみなを いつくしみ
みなにおしまれ くもとなりぬる
※ 息の緒 → 命の限り 命がけ との意味の 大和言葉です
※慈しみ → 可愛がり 大切にする
※ 雲 → 亡くなること
雪が降る中 母は 亡くなった
父が亡くなった日も 雪が降っていた
父が母に 一目惚れした日も 雪が降っていた
父と母が 結婚した日も ひとひらの雪が舞い降りていた 日だった
出逢い も 別れ も 雪に ご縁が あったようです
私が幼稚園に行くまえから 母は朝 サイフォンで珈琲を落として飲んでいた
階段を降りて 茶の間に行くと 母は 定位置に座ってサイフォンを見ている
お母さん おはよう 母の横に座る私
おはよう 茉莉 パジャマ姿の私の頭を撫でて はくれなかった 笑
(この時間だけが 当時の母は 一人でゆっくり過ごせる時間だった)
サイフォンから落ちてゆく 珈琲の雫を静かに見ている母
香しい香りが 立ちこめる
幼心にも 珈琲っていい香りと 感じていた
起きてから 眠る直前まで 珈琲を飲んでいた母
私 珈琲飲まないと 眠れないの と母が言う
えー そうなの?お母さん
私が小学生の頃 母はごくたまーに 寝る前に 赤ワインを飲んでいた
ほんの少し 小さい小さいワイングラスで
母は素敵な陶磁器や食器を 揃えていた
素敵なカトラリーも
苺を頂く スプーン
グレープフルーツ頂く スプーン
エスプレッソ用の 小さい珈琲カップ
貴族御用達のような カップの淵と取っ手がゴールドのティーカップ
(うちは下町です。下町生まれ 下町育ちです。下町チャンピオンでしたが
母が陶磁器 好きだったのですよ 綺麗な硝子の器とか それと父
父は独身時代 社交ダンスを習っていたので そういう環境の中で
育ちました 下町で 幼い私に 毎晩 shall we Dance?)
あれはいつだっただろう
学校から帰って 二階の子供部屋に行き 宿題をしようとした
なんかいつもと 違う
ふと 天井を見上げた
そこには 葡萄 バナナ オレンジ 林檎 など
フルーツの形をした 飾り物がぶら下がっていた
装飾したのは 母です 独自のセンスとユーモアの宝庫でしたね
私が車の免許取得して ドライブした時 母は後部座席に座り
(あっ!母は元社長夫人です 父が社長でしたので 下町社長!)
「茉莉さん 運全安転 うんぜんあんてん でお願いします」と
母 一流の ジョークです 私をリラックスさせるために
へー なんか果樹園みたい
ご丁寧に 蔦の葉まで絡ませていた(多分 違うかなぁ)
姉のソフィアリエンヌに確認しようとLINEしたら 既読にならない
今日 仕事かな どうしたんだろう まだ8時なのに
邂逅してから おはようから おやすみまで LINE来るのに
今日は おはようLINEがない
なんか心配になってきた 倒れているのかしら 働き過ぎて
お昼過ぎ 漸く 既読になった お昼休みかなぁ
ちょっと わたくし事で お願いあるので大事な事 LINEした
ら
朝寝してた だって
いつも早朝に起きて 朝食とお弁当作って 満員電車に揺られて
休みの日は 眠たいよね
お疲れ様 ソフィアリエンヌ(莉絵さん ニンマリtimeです うふふ)
私の母 家事を含め センス抜群に良かった(過去形なのが哀しい)
人を(父)を頼らない
障子の紙を貼り替えるのも 母が手早くしていた 土鍋で糊を作っていた
脚立に乗って 壁や天井を ペンキで塗る 塗る 塗る
秋になると 屋根に登って 円筒掃除もしていた 命綱しないで
その時 父は 洗濯機をまわしつつ 掃除機をかけ
お砂糖ちょっぴり多めの 甘い甘い 卵焼きを焼いていた
ご近所のおばあちゃま 瑞さんちは 仕事 逆じゃないと笑っていた
数10年前から 両親は ジェンダーレス だった
父は下町で 工場を営んでいた
以前にも書きましたが とにかく子煩悩なんです 父ウイリアムは
出張に行くと 必ず 私達娘と 妻に お土産を買ってきます
母は いつも「真っ赤な靴 ハイヒール買ってきて」と言ってました
私は 心の中で(デパートに行ったら たくさん売っているのになぁ)と
思っていましたが 口にはしない
だって母は 我が家の 長女だから
父の来客があると 父は母を「うちの長女です」と紹介していた
えー? お母さん 長女なの? じゃぁ 私は 何女になるのかなぁ
長女の 母 実に嬉しそう 恥じらいながら 笑っている
母の父 つまり私の祖父はマザコンで 子供を可愛がらなかったようだ
故人を悪く言いたくないが
私も 母方の祖父に 可愛がられた記憶はない
父方の祖父ジョージには可愛がられたし 大好きだった
ジョージ サブ ミズキ(今も毎日思ってるよー愛してるよー)
愛されているって子供心にも 充分理解できたし 幸せ と思った
母は病気の父を見送り 祖母 伯母 叔父 孫にも慕われていた
孫もみんな みきこ姉さんと呼んで 慕っていた
いつの間にか ミッキーと呼ばれていた
母の最期は 以前にも書きましたが 音楽葬で送りました
父方の祖父 ジョージが 息子夫婦に 一軒家を建てた
二階建てで 一階 四部屋 二階 二部屋
新婚夫婦に 六部屋は 広かったようだ
母は 神田川が好きだった (3畳一間の小さな下宿♪)
親兄弟 娘 孫 皆に 尽くした母
出棺の時 神田川を流した
♪ 若かった あの頃 何も怖くなかった
ただ あなたのやさしが こわかった
母は 河岸の向こうで待っている 父の元へ行き 抱きついた
神田川を ゆっくり わたって 父は母を優しく抱きしめた (了)
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母は 神田川と木綿のハンカチーフが好きで よく聞いていました
南こうせつさんの コンサートも 二人で行きました
働きづくめの母に 心ばかりのプレゼント
母は会場が盛り上がってきたら ヒューヒューと歓声あげてましたね
横に座っている私に「茉莉さん 恥ずかしい?」と少女のように聞く母
「そんな事ないよ こうせつも 喜んでるよ」よ言ったら 恥じらっていた
父が病気になってから 母の頑張りは すごかった
専業主婦だった母は 昼間はハウスキーパー 夜は一回りサバ読んで
高級クラブのホステスの ダブルワークで 私達を私立の高校に通わせてくれた
母は三年間だけと期間限定で ホステスさんをした
父の病院代も捻出するために
スーパーレディだ 我が母は
誰にも迷惑かけず 雪が舞う中 静かに 神田川を渡った
いつも 身綺麗にしていた母が 懐かしく 逢いたい ♡
※ 子に対する母親の愛に匹敵するものは この世にない
by. アガサ クリスティ
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