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1.不妊治療③ 不妊生活1年目、私に限って。。。

こんにちは。
ジブリ大好き「みずき杏仁豆腐」です。 

ひとまず体外受精なんとかなってよかったーと、一息つきましたが、ここに来るまでに色々とありました。
そう色々と。。。

はじめに

3年目の体外受精をするまでに今まで何があったのか、時を遡りまずは《不妊生活0〜1年目》の詳細をアップしたいと思います。
体験談を読んでいただく上で、私たち夫婦の簡単な情報があったほうが読みやすいのではと思うので、記しておきます。

同じ年夫婦。夫:会社勤務、私:パート勤務、両親たちとは別に居住
趣味があまり被らず、それぞれがやりたいこと優先し、たまにやりたいことが被れば一緒に行動するという「パートナー」という呼び方がしっくりくる夫婦です。喧嘩はほとんどせず、家族会議と称した話し合いを月1でしています。

不妊生活0年目

20代後半で結婚し、共働きの私たちは夫共々まだ「新婚生活を楽しみたい!」「旅行したい!」とのことで、1年間はのんびり過ごしました。
気づけばこの時からレスになっており、「あれ?前回したのいつだろう?」と半年や1年していないのが普通となっていました。
誘うのも恥ずかしいし、まあ良いか、程度の認識でした。

この段階では、不妊治療といってもあまりピンとこなく、安易に「私は大丈夫だろう」と考えていました。(産もうと思ったらすぐ産めるものだと…)


不妊生活1年目

1年目

「さて、そろそろ子どもでも作ろうか」思い、最初に始めたのは毎日の体温測定。アプリにこまめに入力し、排卵日を排卵検査薬使用を用いて予想。
その時は排卵日にタイミングを取れば妊娠するのだと思っており、その日にタイミングを取るということを繰り返しました。

あまりにも夫の知識がないので、簡単な漫画を作り説明したり、この日が排卵日なのだと当日伝えるなどをしていました。
タイミングの日に夫が、先に寝てしまったり、お酒を飲んでいたりで、できなかったこともしばしばあります。その度に「今日なのに…子ども欲しくないのかな」と静かに枕を流す日々がありました。

今思えば、排卵日ではなく、月に2〜3日に1回としていれば、そこまでその1日に拘らなくてもよかったのですが、なにぶん知識がなく追い詰められていました。その頃は、

排卵検査薬をつかう

排卵日にタイミング

生理がきたら落ち込む
生理が少しでも遅れたら妊娠検査薬でチェック

陰性判定で落ち込む

という繰り返しでした。
この時が一番誰にも相談できず、本当に辛かった。

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さっさと不妊治療クリニックに行けばよかったのですが、なぜか1年は頑張ろうと、よくわからないプライドが邪魔をしてその時は耐えることしか出来ませんでした。
今思えば、それは「私は不妊なんかじゃない」と思いたかったのではないかと思います。


さてさて、こんな感じでどんより《不妊治療1年目》は過ぎました。
次回はついに不妊治療クリニックに向かう《不妊生活2年目》パートに突入です。
次回もお楽しみに!


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
ご意見・アドバイス・感想 等 頂けるとうれしいです!


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