ジェンダーと俳優


役者で、ネットフリックスのドキュメンタリー「トランスジェンダーとハリウッド」を
見た人はどれ位いるだろうか、どの位、関心を持たれているだろうか。
シスジェンダーではない私にはその感覚は掴みかねるものだ。

少し前にニュース記事からあれこれの反応があり、
俳優声優に限らず、なんとも短絡的な反論に終始して消えていった感が強い。
結局、立ち位置の問題というのが大きいのだろうけれど、
流石に、宝塚がある歌舞伎がある、宇宙人だの殺人鬼だのという極論詭弁は萎えるものだった。

仕方がないと言えばこれは仕方がないんだろうと思いつつ、
私はまったく「他人事」ではないので常に意識をしている問題である。

宇宙人を呼んでくるのはほぼ無理であろうし、元殺人鬼の俳優も…探すには困難であろうと。
架空の生き物は架空であり、しかしトランスジェンダーは現実に生きているのだ。

女性の登場人物を女性に、男性の登場人物を男性に、と配役することは誰も疑問を抱かない。
ここにトランスジェンダーがくるととたんに混乱する。
世は男女二元システムなのだと改めて強く感じる。
俳優は誰にだってなれる。
そうだろう。
ではトランスジェンダーの何を解ってる?

この辺はどうしても私は持論が強めになるのは致し方ないかもしれない。

ドラマPOSEが実際に制作できる世界になっている。
あのトランスアクター達の存在感は、トランスジェンダーがトランスジェンダーだから
持っている、出せるものに他ならないとすれば
女性の役を女性に、男性の役を男性に配役する事と何が違うか、それを考え続けている。

POSEを見てしまった後では、
ドラマの登場人物は、それを演じるのに最も適している人が演じればいい。
シスジェンダーの俳優でも、やれるものならやればいいという気持ちになっている。
架空の存在ではなく、トランスジェンダーは毎日、生きている。

役と役者。役への理解。
シスとトランス間のジェンダー感。
私は常に非シスジェンダーの立ち位置からしかそれを見ることが出来ないでいる。

どこまでも他人事にはならず、できない。

演技の勉強を始めた頃は本当に苦労した…
今よりジェンダーロールは強固であった。勿論、俳優を養成する立場の講師達の持つそれもだ。
今だって器用に立ち回れないままだ。
このまま声優としての自分を保っていけるかも不安な所は大きい。

しかしまだ来ぬ明日の事を思い悩んで、今を生きあぐねていても始まらない。
アタマでは解っている。

早くコロナ明けしないかな。