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かるたの話

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かるたの話をしてるnote
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#競技かるた

苦しくて苦しくても楽しくて辞められないかるた10年

B級67大会19回の入賞。10年間かるたを続けてB級歴は8年間。これは、あまりにいつまでたっても強くなれない弱いわたしが、ありのままに自らの胸の内をさらけ出すnoteだ。 この記事に関しては、一種の鍵をかける意味合いとして、無料公開はしないことになると思う。不特定多数に見られるにはむき出しすぎる。 では公開せずに個人の日記にしてしまえばいいじゃないかとも思うが、大学生活4年間を終えた今、このnoteの「今このとき思ったことを忘れないために」というテーマにぴったりだとも思っ

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私たちはなぜ大会で札を並べられるのか

私たち選手は当然のように大会当日に番号の座席に着席をし、対戦相手と向かい合って札をかき混ぜる。そして札を並べて暗記時間が計測される。 でも当たり前のように集まる会場は当たり前に用意される訳では無い。当たり前に座る畳すら、わざわざ搬入して敷いて片付けていることも多い。 当たり前のように揃えられている何百組の札も自動札分け機械がある訳では無いし、何百人もの申込が勝手にリスト化されて対戦カードになるわけでもない。お金が湧いてでるわけでも勝手に計算してくれる訳でもない。 私たち

運命戦は運命じゃない?持論

運命戦は運命じゃない。 ちはやふるで主人公・千早の師である原田先生はそう言った。 運命戦とは競技かるたで互いに1枚ずつの持ち札になり、読まれた方がほぼ勝ちという試合展開の事である。 ただし読まれる札の確率は50%であるが、自陣を100%狙っていても相手がそれを上回れば守れるとは限らないし、お手つきという要素もある。競技かるたの奥深いところである。そういった意味で、運命じゃないと表現されている。 もうひとつの重要な意味としては、「最後まで読まれない札がなんとなくわかる」

わたしの大学選手権

去年の今日。ちょうど今くらいの時間、全ての片付けが終わったような気がします。勧学館浦安の間で、全てが終わった後に1試合だけ試合を取らせて頂きました。忙しさのあまり気が付かなかったけれど、2日間選手たちの情熱に浮かされてずっとずっとかるたがしたかったんだということに気がつきました。たった1試合だけだったけれど大切な1試合。私にとって選手として唯一の大学選手権です。その後、勧学館の食堂で余った賞状に名前を書いてもらってお疲れ様の表彰をしてもらいました。どんな表彰式よりも嬉しい、4