マガジンのカバー画像

生きる

90
ー破壊そして再生へー
運営しているクリエイター

2020年12月の記事一覧

色をもっと効果的に使おう!

もっと生活に色々な色を取り込めばいいのに、意外に皆色々な色を取り入れずに、なんとなく無難な色でまとめてしまっている。皆が着ている洋服も、外に出れば、田舎なんて特に、黒やグレーばかり着ている人だらけだったりする。色は効果的に使えば、沢山いい事があるのだけれど、その色の効果を知らない人は、何故だか意外に生活そのものに色を取り入れずに、なんとなく無難な色でまとめてしまう。これってすごくもったいない。 人間というのは、自分の目にする色というものから多くの刺激を受けていたりする。色を

創作という名の自己解放

自分の好きな事をしていると、いつからかそれが自分の重荷になって気づいてみたら、その重荷で自分が右にも左にも身動きが取れなくなっている事がある。 これ好きだなーと思ってやっていた事も、気づいてみるとそれが自分にとっての苦しみになってしまっている事が私には多々あった。楽しくて、それが好きでやっているはずなんだけど、いつしかそれが自分の中で嫌いになっていく。そのものに近づこうとすると、そのものは私から離れていく。そのものが私に近づいてくると、私はそのものから逃げたくなる。こんな事

混沌は傲慢を生み、秩序は謙虚さを生む

私たち人間というのは皆、自分というものを過信していると最近思う。コロナの事もあるけれど、私たちは自分で自分の事をコントロールする事が出来るというそう言った強い思い込みみたいなものを持っている。 私たちは意外にも、自分で自分をコントロールする事など出来ていない。自分を制御する事が出来ているとそう思うのは、単なる幻想でしかない。実際問題、このコロナ禍にあっても自分の中にある誘惑に負けてしまうという人がわんさかいる。 自分でそれなりに感染対策していれば、それで大丈夫だ!なんてこ

外部との比較、区別によってもたらされる曖昧な定義。

人間ってのは皆、自分てものをこういうものだとそれぞれに定義している。他のものと区別して、自分というものはこういものだ!と定義している。この自分をこういうものだと他と区別し、そして定義させているその全てがもし何もなかったら、私たちは一体どうやって自分というものを定義するんだろう? 私たち人間というのは、自分の外にある何かと自分を比較して、自分というものをこういうものだと定義する。つまり、自分の外に何か自分と比較するものがあるからこそ、そのものと自分を比較して、自分とはこういう