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渇き「永遠に手に入れられない安心感を求めて」

わたしたちはいつも何か大切なものを忘れてしまっているそんな感覚を自身の中に抱えている。 それが何かはわからない。 でも、その埋められない何かを私たちは必死で探し求めている。 心の欠けてしまったその部分に何かを入れて私たちはその自分の心に安心を得ようとする。 毎日、自分の両肩を抱え込み、そして私たちは常に何かにおびえ震えている。 だから、そのよくわからないものを振り払うように私たちは必死で何かにすがりつく。 何度も何度もすがりつく。 でも、一旦何かにすがりついて安

認識する事の出来ない苦しみ

自分は虐待されていました。そう言えるだけまだまし。本当にきついのは、虐待されていたことを認識出来ない事。笑い話にしてしまう事。 他人が聞けば引きそうな事を淡々と笑い話にしてしまう事。虐待があったことをそう簡単に人間は直視する事が出来るんだろうか? 私は虐待されていましたという言葉をよく聞くが、そう言えるだけ、そう自分の頭で認識出来るだけまだましなのではないだろうか? 人間本当に苦しい事は意識から完全に消える。でなければ生きていけないから。辛い過去は心の深くに沈めてその上

相手の心が歪んでいれば、どれだけ親身になって話したって無駄。まずは心の歪みを当人が自覚しない限り・・・。

何を言っても、皆、自分に都合よく全てを解釈するんだったら、他人が、何かをいう意味なんてもしかしたらないのかも知れない。 人間ってのは、誰しも、考え方や物事の捉え方に何らかの偏りがある。その偏りがある人に、何かを話した所で、その人はその偏った価値観で、こちらの言う事を捕らえる訳だから、こっちが思っている事がまっすぐには伝わっていかない。 そうなると、何をいった所で何の意味もないんじゃないか?と思えてくる。 人間ってのは、結局自分に都合のいい事しか耳に入ってこない生き物。も

美を含む混沌と美を含まぬ混沌

何もかもがめちゃくちゃで混沌としている。その中に私たちは様々な法則や、パターンを見つけ、それを神が与えた美だという。 混沌の中には、一定の法則や、パターンが隠れている。それを見つけ出す事が楽しい。人間とは、混沌の中にその美を見出そうとする。 混沌とは、美を包括しているから魅惑的なのであり、この美を包括していない混沌など、何も魅惑的ではない。 混沌の中に何かがあるとそう直感するから、私たちはこの混沌に何処までも魅了される。でも、その混沌の中に何もなければ、それがただ何も含

あれもこれも全てを完璧にこなす事でしか愛されない私、関心を持たれない私。

こうしなきゃ、ああしなきゃというものを全部手放したら、私たちはどれだけ楽になるんだろうか? 毎日、毎日こうしなきゃ、ああしなきゃって事で頭が一杯で、時間があっという間に過ぎていく。夜になって、あれも出来たし、もっと、時間を詰めればこれも出来たと強い罪悪感を抱いてへこんでしまう。 私の人生とはいつもこんな感じ。 毎日、毎日頭の中はしなければいけない事で溢れかえっている。でも、その全てを一日の内に消化できるわけではない。だから、やらなくてはいけないと思っている事は自分の中で

自分の感情に寄り添い、理解する勇気を

何故、考えない?何故、考えようとしない?考えるという事を放棄するから、私たちは感情の奴隷になる。 自分の主導権を感情に握らせてはいけない。今こそ、しっかりと自分の考える力を持たないといけない。 感情のままに、振舞ってはいけない。感情に自分が飲まれてはいけない。 思考する事をあきらめてはいけないし、捨ててもいけない。 常に、自分について考え続けよう。子供に怒りをぶつけてしまった時、自分の大切なパートナーや、家族に心無い言葉を言ってしまった時、そう言った時は、何故、自分が

豚に真珠 猫に小判

自分の身を守るために、豚になった人間が 一体人間の何を説こうというのか? 自分の魂を売った人間に、人間が何たるかを何故解く事が出来るのか? 心を失くした人間が、一体人間の何を語ろうというのか? 人生に喜びを見出せない人間が、いかにして人生の喜びを他者に伝える事が出来るのだろうか? この世界はあまりにも矛盾している。 笑顔を知らない人間が、一体どうやって笑顔とは何たるかを伝える事が出来ようか? この世は、あまりにも矛盾している。 自分を知らないものがいかにして、

シンデレラ  私たちは完璧なものに嫉妬する生き物

これがよくない、あれが良くないと言って、私たちは他人を批判してその人を潰そうとする。その人から、その人らしさを奪おうとする。 これが良い。あれが良い!といってその相手を肯定し、その人を潰すのではなく活かそうとする人が本当に少ない。 あれは駄目、これは駄目、直しなさい!形を変えなさい!とそういう人はたくさんいる。でも、何も直す必要なんかない!そのままでいい!とそう言ってくれる人は少ない。 何故、私たちはありのままを否定され、変更を余技なくされるのだろうか?私たちは完璧な姿

ネガティブ、それは慈悲深い高貴な光となる。

ネガティブ、それは必ずポジティブに転化させることが出来る。 ネガティブなものは、その姿をいかようにも変える事が出来る。変幻自在。 自分の中にネガティブなものを抱えているというのなら、それは宝の持ち腐れ。ポジティブなものというのは、もうそれ以上変化する事はない。でも、ネガティブなものというのは、何処までも無限にその中に変化の可能性を秘めている。 ネガティブなものの中で苦しんで、苦しんで、そこにずっとしがみついて、その中にあるものをしっかりと目を凝らして見つめるのなら、その

親の為に子は笑い、そして自分を失う

親の為に私たちは笑う。特に何もおかしくもない事でも、愛想よく笑顔を振りまく。 何も嬉しくない。何も楽しくもない。でも、一生懸命笑って、面白いという振りをする。何故、そんな事をするのか?と言われれば、親がそうした事を私たちに強要するからだ。 自分のしたことを認めて欲しい親は、いちいち自分のしたことに対して私たちから、ポジティブな反応をもらおうとする。 何も面白くないし、楽しくもない。でも、それが自分の親が計画、発案した事である場合、その全てに私たちはポジティブな反応を求め

天国への入り口を見つけられない私たち

物質なんてものに依存しているから、そんなものに自分の心を補償してもらおうとするから、私たちは、おかしくなっていく。 本当は何も自分の心など補償などしてはくれない。物質はただその時、一時的に私たちの心を満たしたような気にさせるだけ。 物質は私たちの心を永遠に満たしてくれる訳じゃない。 なのにどうして私たちは物質に依存するんだろう?物質を日々狂った様に追い求めて街をさまよい歩くのだろう? ものが欲しくてものがほしくてたまらない。だから、意味もなく私たちは町に繰り出し、意味

昨日の友は今日の敵

昨日の友は今日の敵。これは、今まで親しかったものが、敵対してくる様になる事のたとえ。人の心は変わりやすく、人が集まったり離れたりするのは、あてにならないということ。 毎日、毎日いろいろな人の話す事を聞いていると、私たちが持っている人に対する評価なんてものは、全くもってあてにならないものだとそう感じてしまう。 今の今まで、かわいいかわいいとそう言っていたものも、そのものが何か自分に不都合な事を言ったり、したりすれば、その人の評価は一気に逆転し、これまでかわいくて、いい子だと

素直でいい子になっていたら自分は潰れる

そう簡単にこの世界にある色々な事に納得してしまわないで。もっともっと深くまで色々な事を疑って!!なんにでも、素直に反応するんじゃなくて、とことんまで、自分が納得いくまで自分の目の前にあるその事象を疑ってみて!!いとも簡単に自分のその目の前にある事象を自身に受け入れては駄目。 そんなにいい子になって、何でもかんでもすんなり自分に受け入れては駄目。何でもかんでも疑ってみて!!何でもかんでも自分のものにしないで!!自分の中に受け入れないで!! 自分を守るには、今自分の目の前にあ

甘くて優しい芳醇な香り漂うマイルドな嘘

みんなそうしなければいけないから、そうしている訳で、もしそうしなくてもいいのなら、そうしない。 みんな自分がしたくて~している訳じゃない。それをしなければならないからしてる。なのに、それをあたかも自分がしたいからしてるという言葉に置き換える。どうしてそんな風に言葉を自分に都合よく置き換えてしまうのか? しなければいけないから、している訳で、それは別に自分が望んだことじゃない。そうはっきりと言ってしまえばいいと思うけれど、何故か、皆それをしようとしない。 そんな事を言った