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終わりのはじまり

 わたしが小学校二年生の冬。両親が高速道路を交代で運転して、年に二回は日帰りでスキーに行くようになって、数年が経っていたと思う。

 お正月明けのその週末は運良く三連休になっていて、祝日の月曜の朝六時に家を出て、渋滞を抜けてスキー場に着いたのが八時頃。そこからたくさん滑って、帰りも渋滞に遭って、夜八時過ぎにやっとサービスエリアで夕飯を食べた。わたしと弟は普段は必ず夜九時にベッドに入るよう言われていたから、九時を過ぎても外にいるという非日常に興奮して、スキーの思い出をより一層楽しく彩った。
 ああ楽しかった、明日は久しぶりに学校かーー。そう思ってベッドに入り、疲れていたのもあってぐっすり眠った。目を醒ませばいつもの朝が来る、はずだった。


 カタカタカタカタ…何かが小刻みに震える音がして、わたしはぼんやりと薄目を開けた。数秒も経たずに、マンション全体が大きくぐらり、と傾く。え?これ何? 寝起きの頭に処理が追いつかない。二段ベッドの上段で小さな柵にしがみつきながら、もしかしてこのマンションこのまま横に倒れちゃうの? そう思った矢先、恐ろしい勢いで傾きが元に戻り、わたしはベッドの反対側の柵に叩きつけられた。
 何が起きてるんだろう?? そう思う間もなく、またゆっくりと大きく傾き、バネ仕掛けのように勢いよく元に戻る。記憶が確かなら、七、八回は同じ動きを繰り返したと思う。ベッドの隣にある棚の上から、ぬいぐるみを満載したカゴがわたし目掛けて落ちてくるのが見えて、慌てて布団をかぶった。カゴは揺れに翻弄されてこちら側には落ちてこず、ぬいぐるみを撒き散らしながら視界から消えた。

 それからどのくらい時間が経っただろう。しんと静かで、いつの間にか揺れは収まっていた。夜明け前の薄明るい空が、室内を少しずつ照らしはじめていた。
 パッと灯りがついて、父が「大丈夫か!」と子ども部屋に入ってきた。何が起こったのかわからず、ただごとならぬ両親の様子もなんだか恐ろしくて、わたしはただ黙って頷いた。二段ベッドの下段にいた弟は「おねえちゃんが上の段から落ちてくると思ってこわかった…」と泣き出した。


 両親は両親で、彼らの寝室からリビングに通じるドアの前に割れた食器の山が積み上がり、なかなか開けることができなかったそうだ。力づくで開けた父は裸足で割れた食器を踏みつけて子ども部屋に急いだと言う。母が「足をケガしたら危ない」と躊躇するのを、「割れた面は大体横向いてるから大丈夫だ」と言いながら。
 頭を守れ!という父の指示を受けて、母が幼稚園の制帽をひっぱり出してきて、わたしたち姉弟にかぶせた。厚手のフェルトのような生地は温かかった。卒園してもう二年も経つし、パジャマなのにきちんとした制帽をかぶっているのがなんだかおかしくて、弟と顔を見合わせてふふふと笑った。

 家族四人でリビングに行ってみると、聞いていた通り、食器棚の観音開きの扉が全開になっていて、中の食器という食器が滑り落ち、砕け散った破片が床で山盛りになっていた。扉は強力な磁石式になっていて、わたしのような子どもの力ではなかなか開けられない硬い扉だ。どうして揺れただけであの扉が開いたのか、わたしには不思議だった。
 「見て!レンジがぶら下がってる!」弟が大きな声を上げたので見ると、ダイニングの収納棚の上にあった重たいオーブンレンジが滑り落ちかけており、かろうじてコンセントが刺さったまま、一メートル下への落下をすんでのところで逃れていた。「すごい!レンジめっちゃ頑張ってる!」その時はそれが無性におかしく思えて、家族四人で笑った。

 無事だったテレビをつけると、早朝の音のないテレビ番組が流れ出した。「まだ何もやってない」一通りチャンネルを変えた父が、苛立たしげに言った。母は小学校に電話して、今日は休ませますと伝えていた。戻ってきた母は、「校長先生が電話に出たよ。他の先生はまだ来てないのかもね」と言った。
 しばらくして、テレビが少しずつ被害状況を報じ始めた。わたしと弟はいつもなら行っている学校や幼稚園に行かなくて良くなってどうしたら良いかわからず、ただ神妙にしてリビングのソファでテレビを見ていた。父はうちから少し離れた西の街の名前をあげて、どうやらその街が大変らしいと言った。そしてその街の近くに住む親戚に何度も何度も電話をかけていた。

 寸断された高速道路の端っこに、半身を乗り出した大型バスがかろうじて引っかかっているその映像を見たのは、いつだったのだろう。見た瞬間、わたしの意識は一気に前日に引き戻され、スキーに向かう時に走り去った高速道路の景色の中にいた。
 突然、景色はぐらぐらと歪み、目の前で道路が寸断され、崩れ去った。そして車は家族を乗せたまま、奈落に落ちていく。その時、車の中はどんな感じなんだろう。わたしは、弟は、お父さんは、お母さんは、いったいどんな様子で、どんな声をあげて、どんな表情をしているんだろう。あのバスの中の人たちは、その瞬間、どんな感じだったんだろう。
 テレビが数千人の行方不明者リストを読み上げている間、わたしは何度も何度もそのイメージを再生し、自分と家族の最期を夢中で想像し続けていた。

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