未熟者

この後大切な試験があると言うのに、前回の試験が頭から離れない。気持ちを切り替えないと行けないのに自分の未熟さがのしかかってくるので、ここで出しておきます。

少し前にあった試験。面接形式だったのだけど、言いたい事がうまく伝えられなかった。自分でも言ってる最中は何がなんだか分からなくなってしまったし、そもそも緊張しすぎて自己紹介を忘れてしまった記憶があるようなないような。

それももうがっかりなのだけど…1番ガッカリなのは、恩師の素晴らしさを伝えられなかった事だった。恩師は本物の先生だった。

授業はいつだって生徒が主役で、先生が投げかけた質問や問題に生徒が考え、話し合い、授業中喋ってるのはほぼ生徒のみ。どんな内容でもいつも生徒が主役だった。教科書は黙読させ、問題を与え、考えさせ、クイズのように楽しい授業をしていた。作文をかけば生徒間で回し読み、一言コメントを記入し、記入が多かった部分、記入のコメントの良さ…それが評価になっていたりした。

いつだって先生からは教えてくれなかったのに、先生に教わりに行けば嫌という程教えてくれた。中学生に対して1人の人間として対等に扱ってくれた。

そう、「あなたの為」と言って何かを強要することは一切無かった。「頑張ってダメならそれでいい。でも頑張らないのはダメだ。」それだけいつも教えてくれていた。いつだって頑張った事を評価してくれていた。頑張っても出来ない自分も評価をしてくれていた。それがすごく嬉しかった。

日常生活の中でも、些細な事でも気が付いてすぐ学級通信で配信してくれた。いい事も悪いことも。生徒が『中学生時代』を一生懸命生きてる中で、「ちょっと待て、考えてみて」といちいち突っついて来た。あの時は(そんな事…どうでもいいじゃん。)と思っていたけど、それが大人になった今どれほど大事なことか理解した。

先生くれたものは、今の私だ。良くも悪くも、今の私だ。そして、それが完成系でないこともやっぱり教えてくれたのは先生だ。

これが間違っていたら…と思って教育関係に携わったけど、間違っていなかったみたいだった。だからやっと私は覚悟を決められた。

あの授業が楽しかった。こんな事をできるようになった。という短期間のものだけでなく、先生は大人になった今でも成果がでる長期的な教育をしてくれていた。先生からしたら膨大な労力が必要な事だ。そしてなにより私達を信じてくれた。信じてくれたから表面的な教育でなく、根本的な・人間性に響く教育をしてくれた。先生を通して、自分を見つめたり他人を見つめたりすることが多かった。本当に本当に、本物の先生だと私は思う。




のに…ちゃんと言えなかったなぁ。次にチャンスがあったらちゃんと言おう。

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