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私が変わることになった最初のあの場面~子どもの「こころ」と私の後悔

昨日、息子の話を書いたので、5年前の悩み始めた頃のことを思い出しました。

「行きたくない」なんて一度も言わず、慣らし保育も秒で終わって大好きだった保育園を卒園した、春。
コロナが猛威をふるってなんと2か月の全国一斉臨時休校でした。
入学式だけ、親は1名限定で、行きましたね。
あとはステイホーム。

どうしても通勤が必要な家の子限定で、居場所として学校で預かってくれる制度があり、それを利用して私は通勤していました。
弁当をもたせ、自習するものをもたせ、息子は学校へ。

でも、遊びまわっていた保育園とは違い、
誰とも喋れない、
ずっと座って静かにしていないといけない、
だからといって授業というものも、ない。

ただただ1日中座る時間を学校で過ごすだけ。
「学校なんてつまんない、嫌い。」
・・・今思えば、確かにそう思いますよね。
学校というものを初めて知る1年生、本来の学校の姿なんて知らないから。

それでもしぶしぶ行っていた、ある日。
事件が起こりました。

恐らく、1日中自習をさせるのは先生がたも大変なので、学校で過ごす時間の中で「ビデオや映画を見る時間」というのもあったようです。
テレビを見るのは好きな息子、それは楽ちんだろうと思っていたら。
ある日、泣いて訴えました。
「学校なんて二度と行かない!!」

よくよく聞くと、そのビデオ時間で流れたビデオが、「日本昔話」の「耳なし芳一」だったそうです。
昔話を知らない息子はとっても怖くて怖くて、泣いて「二度と行かない」「どうしてママはあんな場所に行かせるの」と。

確かに、怖いよね・・・。
怖かったよね・・・。

さすがにもう無理そうだと思い、
連絡帳でその件はお話して無理に見させないで欲しいとお伝えしました。
でも息子はもう「イヤな場所」になっちゃってた。

私は当時、自分がしごとに行かないといけないということに必死で、なんとかなだめて息子を学校に行かせていました。
今思えば、そこでしっかり向き合っていたら良かったかな・・・と思うタイミングのひとつです。

コロナは怖いししごと行かなきゃだし、
息子が行かないと言ったらしごと休まないとだし・・・
ついでに3歳だった下の子は喘息体質で、毎日体調にはぴりぴりしていました。

だから、気持ちの余裕はなく、健康な息子の気持ちに寄り添えなかった。
という後悔が、しばらくありました。

私は息子に、何をさせてしまってたんだろう。
なんてかわいそうなことを、したんだろう。
休んだっていいのに。
休ませたっていいのに。
でもでも、、、直接的にすぐ迷惑がかかるという方向にしか、考えていませんでした。

だから6月になってやっと学校の授業が始まってからも、まだまだ色々ありました・・・。

続きはまた、次に。

読んでくださって、ありがとうございます。
今、後悔している「あの時」は、ありますか?
後悔したけれど乗り越えたような「あの時」は、ありますか?

私にとってはここが最初の、
「子育てうまくいかない」と感じた時でした。
人間を物理的に育てるのはともかく、
「こころ」ってそんなに簡単じゃないのか、と実感した最初の時でした。

とはいえ、
全て無駄ではないと今は分かったから。
ここから私自身が変わることに、繋がったから。
大事な記憶の一場面です。

おやすみなさい。


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