見出し画像

騙すより騙されたい

こんにちは,HARuです。今日は「人の本性について。わたしは性善説派」
というお話。

みなさんは
性善説と性悪説という話を知っていますか?


性善説とは
人間の本性を善とみる説。中国、戦国時代の儒者である孟子(もうし)が説いた性論である。

出典:コトバンク

一方で

性悪説とは
紀元前3世紀ごろの中国の思想家荀子(じゅんし)の説。
「人間の本来の性質は悪であり、善とされるものは、偽(い)(後天的に作為した結果)である」

出典:コトバンク

厳密には性善説と性悪説は対立する考えではないとのことなのですが,
一般的な認識としては対立する考えの方が広まっているのではないかと思います。
ですので,今回は,性善説は「人の本質は善である」とし性悪説は「人の本質は悪である」という前提のもとお話していきます。

では,いってみましょう!

騙すより騙されるほうがマシ

さすがにタイトルの「騙すより騙されたい」は言い過ぎですが
騙す側に回るくらいなら騙される側の方がマシだとは思っています。
ある意味筋金入りに人を信じてしまうので,昔はよく騙されてきました。

約束の時間,約束の場所に行ったら誰もいなかったり
親友にお金を貸して帰ってこなかったり
かなりの額のお金を騙し取られたりもしました。

私個人としては,おかげさまで,たくさん騙され,経験を積んだ分,
今では騙されにくくなっています。
ただ,人を騙したり悪いことをして自分の利益の最大化を図る人がいることは
理解しています。
痛い目は相当見てきたのですが,それでも私は
人の本質は「善」だと思っています。
特に子どもたちを見ているとその考えが間違っていないと思えるのです。

子どもを信じるか否か

子どもたちを信じられるかどうかは
教師としてとても大切なことだと思っています。

ただ,中には,子どもは悪だと思っている人もいます。
悪というよりは,
子どもは必ず悪さをする存在だ。
だから,大人の監視の目や指導がなければいけないのだ。
子どもを教え導く存在が教員だと信じて疑わない方が
いらっしゃるのも事実です。

ここからは私の個人的な考えですが
人を教え導くなんて実は誰も出来ないのではないかと思っています。
アドラー心理学の有名な言葉に以下のようなものがあります。
「馬を水飲み場に連れて行くことはできても,水を飲ませることはできない」
全ての教育はこれに尽きるのではないでしょうか。
いくら大人や教師が見ていても,
したくないことやできないことは出来ないのです。
大人はそれをガマンすることが大切だと言うかもしれません。
しかし,今までの多くの歴史が証明してきているように
自分の苦手なことをガマンしてやっても大した成果は得られないのです。
ピーター・ドラッカーも下記のように述べてることからもそれはもう間違いのない事実なのではないでしょうか。

何事かを成し遂げるのは、人の強みによってである。弱みによって何かを行うことはできない。できないことによって何かを成し遂げることなど、到底できない。

ピーター・ドラッカー

なぜ子どもは悪いことするのか

一部の先生方が子どもは悪いことをすると思っている原因は
おそらく,その先生の経験からではないでしょうか。
先日の記事にも書きましたが,最初から子どもたちを疑っている教師はいません。
おそらく,自分の知らないところや見えないところで問題が起き,
それが繰り返されてきた結果,子どもたちは陰で悪さをしたり,信用できない存在だと思うようになったのかもしれません。

私が考える子どもが悪さをする原因

は2つあると思います。
1 好奇心(悪さだと思っていない)
2 気を引きたい(注目を集める方法の1つとして)

1の好奇心は小さな子どもに多いと思うのですが
本人はその行動を悪いことだと自覚していないパターンです。
例えば,小さい子が石を拾って人に向かって投げつける
我々大人からすれば,なんと危ないことをするんだ!
ということなのですが,きっと子どもにはその感覚よりも
地面にあるこの硬い物体はなんだろう?
投げてみたら何が起こるのだろう?
という好奇心の方が強いのではないでしょうか。
命の危険がある場合や怪我をする場合,もしくはさせる場合の行為は
止めなければいけませんが
基本的に子どもが好奇心を抱いて実行していることは
やらせてあげた方がいいのではないかなと個人的には思います。
その行為によって起こる結果まで理解するには
実際に行動に移すことが大切だと思うからです。
もちろん,その行為をすることによって起こるリスクや
してはいけないことであった時は,教えさとす必要がありますが
子どもの好奇心は比較的温かい目で見てあげた方がいいのではないかと
思っています。

2つ目の理由は,気を引きたいからです。
これはいわゆるヤンチャ系の子どもにもいえることですが,
自分に注目してもらう方法を知らない
ということが根本的な原因だと思います。
生徒指導において
ヤンチャ系の子が逃げたら,必ず追いかけなさい
と先輩の先生から教えていただきました。
なぜなら,彼らは追いかけてほしいから逃げるのだからと。
そこで放っておいたら彼らをムシすることになる。
人からムシをされるのが人間は一番辛いのだからと。
自分が活躍できる場や得意なことが見つからない。
だから,気を引く手段として悪さをしてしまうのではないでしょうか。
そんな時は,子どもたちと腰を据えてじっくり話しをする必要があります。
もちろん,教員に時間がないことや学校生活において子どもたちに時間がないことは重々承知の上です。
それでも,彼らの話をじっくり聞くことは大切なことだと思うのです。
彼らが本当に望んでいることを聞き出し,
その実現のために手を貸すことができる。
それも教師の魅力の一つではないかなと感じています。

働き方改革が叫ばれる昨今ですが
子どもたちの才能を見つけ,引き出し伸ばすことが
私たち教員という仕事の大きな魅力の一つであることは間違いありません。
教員の働き方改革を進めるためには,捨てるべき活動を大胆に捨て
決して捨ててはいけないことに多くの時間を費やすことが
本当の意味での働き方改革なのではないかと思います。

ここまでお読みいただきありがとうございました。
スキ❤️やフォロー,コメントをしていただけると私自身の励みになります。
いつもお読みいただいている皆様,ほんっとうにありがとうございます。
それではまた😊


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?