「意外だね」という言葉
昨夜、なんだか急に観たくなったので下妻物語を観ました。
おそらく、最初に観たのは小学生の時。
土屋アンナの特攻服と深田恭子のロリータ服がとてもかっこよくて、可愛くて、私もあんな服を着たい!!!と思ったことをよく覚えています。
しかし、未だにどちらも着たことはありません笑
けれど、イチゴと桃子のように自分の信念をつ貫き、やりたいことをやって、着たいものを着る、というのは実行できてるのかな、とは思っています。
ただ、信念を貫き過ぎていると自然と周りからイメージが固定されてしまいます。
そして、そのイメージと大きくかけ離れたことをしていると出てくる言葉が「意外だね」という4文字。
悪い意味の言葉ではないのに、言われると少し引っかかりが残ってしまうこの言葉。
ふとした時に、つい口から出てしまうこの言葉。
言った本人に悪気がないのはわかっているけれど、それでも気にしてしまい、1人で勝手に傷つくというのがオチ、ということは学生時代よくありました。
たとえば、ファッション。
私はよく赤や黒、グレーの服を着ているのですが、時々(主に夏)花柄やピンク色の服を着ているとよくからかわれました。
「意外だね、そういう服持ってるんだ。」
「今日黒じゃないの?めずらしいね。」
「大丈夫?具合でも悪いの?」
このような言葉を述べる人たちとの関係は良好で、本人たちにとってもコミュニケーションの1つだったと思います。
だけど、本当に気分は良くありませんでした。
笑いながら受け流してはいたけれど、
「また言われた。今日で何人目だろう。」
「このあと〇〇に会うけれど、また同じようなこと言われるのかな。」
「笑って受け流すの、もうめんどくさいな。」
「そんなに似合ってないのかな、この服。」
などなど、よく思っていました。
服を見て可愛い、欲しいと思っても、
「これを着たらまためんどくさい事になりそう…」
と、買うことを躊躇したこともあります。
でも、着たい服は着たいし、欲しいものは欲しいのです。
着るのは私だし、お金を出して買うのも私。
気にしても時間の無駄なのです。
だから、イメージに合わないと思われようと、私は私の着たい服を着る。
そう思って、今では服を買っています。
(もう学生ではないので、そんなことを言っていた人たちと会う頻度が減ったことによりストレスが軽減したという面もあるとは思いますが…。)
そして、このように思えたことは自分自身のメンタルの問題だけでなく、周りの影響も大きかったと考えています。
それは、「意外だね」と言う人と同じくらい
「可愛いね。」
「似合ってるね。」
「いろんなタイプの服を着こなせるんだね。」
と、言ってくれる人たちもいたのです。
もちろん、中には「意外だね」という言葉を言った人もいると思います。
でも、それ以上にポジティブな言葉をかけてくれたことが印象に強く残っているのです。
この言葉があったおかげで、ファッションを楽しむことができているし、新しい服にチャレンジすることができていると思います。
そして、私もなるべくポジティブな言葉を投げようと、人に対して「意外だね」という言葉はなるべく使わないように心がけています。
人間なので、時々使ってしまうことも誰かを傷つけてしまうこともあると思うけれど、そのような機会をなるべく減らせたらいいなと思います。
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