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「他人の気持ちが分からない」というより、自分の気持ちが分かっていなかったという話。

「あなたは人の気持ちが分からない人だから」
そんな風に、昔からよく言われました。


そんな事ない!
私、こんなに周りに気を使ってるのに!
みんなの為に頑張ってるのに!
そっちこそ、全然私の気持ちを分かってくれない!

そんな風に良く思ったものです。



他人なんだから、
テレパシーなんて無いんだから
本当の意味で他人の気持ちなんて、分からない。
この部分については譲れません。


でもね、
私に私の気持ちがあるように、相手にも相手の気持ちがあって、
それが相手にその言葉を言わせている。

ぶつけられた言葉だけでは、
相手の本音は分からない
のだ。


この部分が、ノートを始める前の私には分かってなかった。
そう、つくづく思うようになりました。

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例えば怒りを感じた時。

ノートにその怒りの感情を丁寧に書き切る。
どうしてそんなに怒りたいの?
何が嫌だったの?と、自分に聞く。

だって! 私の事をないがしろにした!
だって! 私の気持ちを分かろうとしてくれなかった!
私なりに相手の事を思っていたのに!
私だって大事にしたいと思っていたのに!
傷つけた! ひどい!!

こんな風に出てくる子供っぽい言い分を、
そうかそうかと聞いてあげる。


そうかそうか、ひどいって思ったんだね。
それで? 本当は何て言いたいの?

そうやって更に寄り添ってあげると、
奥の方からそっと別の感情が顔をのぞかせてくる。


私の事を大事にしてくれないって事は、
私の事はどうでも良いんだって、そう扱われたみたいで悲しかったの。
私には大事にするだけの価値が無いんだって、がっかりしたの。
……もっと大事にして欲しかった。
……理解して欲しかった。
そうやって私を安心させて欲しかった。


これらは
怒りという表の感情とはかけ離れたもので、
もし私が怒りに任せてその感情を相手にぶつけたとして、
伝わる事はなかっただろう。

そもそもが、私自身、
自分自身が怒りの奥にそんな弱っちい気持ちを抱いているなんて、
思ってもいなかったのだから。



こんな風に、
怒りやイライラに隠された、もう一つの想いを知る事を繰り返すうちに、
相手の裏側にも違う思いがあるのかもしれないと、
私が見ている相手の言動は、私が想像している動機とは全く別の理由に基づいているのかもしれないと、
そんな風に想像する事ができるようになったんです。



あの人も、
何かを守る為に必死に戦っているのかもしれない。

自分が大切にしたいものを守る為に、
正しいと思うことを言っているだけかもしれない。

そこに私を傷つけようという意図なんて、
無いのかもしれない。

ただ、私が傷つくという反応を選んだ、
それだけだったんだ。


こんな風に思えるようになったのです。


そういう意味でね、
以前の私は確かに「相手の気持ちが分かっていなかったんだ」と
こう思うようになりました。

私にとって大事なのは「私が傷ついた」という一点のみで、
相手にも大切にしたいものがあるのかもしれない、
相手も傷ついたのかもしれない、という想像すらしなかったんですから。

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他人の気持ちが分かる、と言うのは
他人にも他人の大切な想いがあるんだと、そう知っていること。
そう、今の私は思います。


決してテレパシーのように、相手の求めるものが分かることじゃない。
私たちの心は複雑で、喜怒哀楽どれかの一言で表せるような単純なものじゃないもの。


もし”人の気持ちが分からない”ってそんな言葉で悩む人は、
ノートして、もっと自分を知ろうとすれば良いと思う。

そしたら、
飛び交う言葉になんて、
見かけの行動になんて、
大した意味がない事に気づけるから。

さあ、ノートしよう。自分に潜ろう。
自分のまなざしを、研ぎ澄ませよう。


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