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スターライトパレード


眠れない夜 という言葉がすきだった。

布団に入ればすぐに眠れるし、眠くない夜を過ごしたことのない元気いっぱいだったあの頃、この言葉はまるで選ばれし者だけが経験できる、特別な夜のことを指していた。なんだか不健康なことはわかっていたけれど、いつか経験してみたいと夢見ていた。

SEKAI NO OWARIというバンドの、スターライトパレードという曲がある。
この曲にも眠れない夜というワードが入っていて、中学生だったわたしは好んでよく聞いていた。眠れない夜に秘密のテーマパークに招待され、夜空の煌めきに負けないほどのキラキラしたパレードを見せてくれるような曲で、眠れない夜って素敵なんだよと伝えているのではないかという気持ちになった。

そんな眠れない夜が、夢見たようなキラキラした夜ではないということを知ったのは、社会人2年目の時。仕事への適性の無さと、その現実を無視しがむしゃらに頑張れば成功すると思っていたアホな頭脳という絶望的なコラボを経て、わたしはうつ病になった。病気になり、不眠を経験したことで分かったことがある。

眠れない夜って、辛いんだ。
こんなに苦しくて報われなくて無力でしんどいものなんだ。と。

人は眠ることと食べることと推しを摂取することで生きるためのエネルギーを蓄えていると思う。当たり前だが、眠れないということはエネルギーを蓄えられずただただ消耗していくだけだ。そんな現実が、キラキラしてて魅力的なわけがなかった。

そんな現実、知りたくなかった。
できれば一生知らないまま、呑気に夢を見ていたかった。そのくらいの距離感でいたかった。眠れない夜にずっと憧れていたかった。

病気がひどくなるたびに、不眠症状もどんどんひどくなっていった。
食欲が旺盛で、おかわりだけでは足りず人の給食までもらっていたわたしがご飯を食べられなくなった時も、人生を捧げたくなるほど大好きな推しを見てもなんの感情も抱かなくなった時もかなり辛かったけれど、眠れない夜を過ごすということは、もっと絶望的な辛さがあった。その原因は“孤独“なんだと思う。

だいたいの人は夜、睡魔がやってきて自然と眠れるものだ。夜中にお酒を飲んで起きている人はいるが、睡眠薬を飲んでも眠れずに起きている人などわたしの周りには1人もいなかった。こんなにも辛いのに、この苦しみを分かち合える人がいない。もしかしたらこんなに辛いのは、地球上で自分だけなのではないかという思考でいっぱいになる。自分は孤独なのだと思った。そう思った時、体と心を支えている大事なものがどんどん冷たく固く凍っていく気がした。孤独は人を簡単に絶望へ連れていく。その感覚がしんどかった。


眠れない夜を実際に経験してから3年経った頃、久しぶりにふとスターライトパレードが聴きたくなった。最後に聴いた日から実に7年ぶりくらい経っていた。ドキドキしながら曲を流すと、眠れない夜を夢見ていたあの頃とは曲の聞こえ方が全く違っていた。

あの頃はこの曲を聴いた時、“眠れない夜って素敵で魅力的でワクワクすることだよ“と言っているのだと思っていた。でも今聴くと、“眠れない夜なのだから、こんなに素敵なパレードを見たっていいじゃない!素敵な夜をプレゼントするよ!“という、そういうメッセージに聞こえた。曲を作った人にそういう意図があったかはわからない。でも、眠れない人達を招待してくれているあの曲は、眠れない夜と戦っているわたしたちを応援してくれて、戦うエネルギーを与えてくれた。

眠れない夜って辛い。でも、あの地獄のように苦しんだ夜を素敵な夜にしてくれる人がいる。そうやってわたしたちを支え、応援してくれる人たちがいる。わたしは1人ではなかったのだと気づいた時、とても幸せな気持ちになった。冷たく固く固まっていた部分が、徐々に温まって溶けていくのを感じた。


今はだいぶ体調が回復し、それとともに眠れない夜を過ごす時間は減っていった。夜眠り、朝太陽の眩しさに目を細め1日が始まる。そんな当たり前な毎日を送れることこそが特別であり、キラキラしているのだと、その経験をしなかったら一生気づくことはなかっただろうなと思う。

今でも眠れない夜はたまにやってくる。
いつまでも夢の中へいけない焦りと孤独感で絶望することもあるけれど、
眠れないわたしたちを支えてくれる曲がある。1人で戦っているわけではないことを、もうわたしは知っている。

辛い時はいつだって夜のパレードを想像する。眠れないわたしたちだけを招待し、素敵な夜にしようぜ!と伝えてくれるあの曲を思い出す。温かい気持ちで瞼を閉じると、もう夜は敵ではなくなっていた。

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