余暇ができたら何もしないをやってみるのも良い

長期休暇など余暇ができるとこれまでにないことをする人は多いと思う。

これまで行ったことない場所へ行って経験を得たり、
やったことないことへの挑戦、持ってない知識やスキルの獲得。

あるいは日頃のストレスの解消や忘れたい何かを上書きしたり。

そういった新しい刺激を取り入れ自分の思考の幅を広げていく、
必要ないと思われる何かを表面的とは言え自分の中から押し出す、
これらは確かに有意義で大切なことであると思う。

ただ欠点がもあると思う、それは新しい刺激を取り入れたとしても、
大抵の場合は一時的なものとなり逆に悪影響を及ぼすことです。

と言うのも成長した人間には意識と無意識があり新しいものを得るとは、
意識的、無意識的に関わらずした選択を無意識に積み重ねるということ。

無意識に積み重なった選択やそれによって生まれる意思決定や言動は、
1つのプログラムとしてある感情を生んだりスキルとなったりします。

中にはある刺激を受けた時に特定の記憶を呼び起こすみたいなのもある、
ある言動がストレスになるとか嫌な記憶が繰り返し呼び起こされるなども、
無意識にできたプログラムによって引き起こされるものです。

自覚できないほど些細なプログラムもいくつも存在し、
自分にどのような影響を与えているかを把握しづらいものもあります。

新しい刺激はそういうプログラム群にバグを生むことができる、
これまでにない刺激だからこれまでのもので構成された、
プログラムで対処できない何らかの作用を生むためです。

それが例えば新しいものへの興味や関心を生んだり、
それまでにないスキル等のきっかけとなったり、
ストレスや嫌な記憶を押し流したりする。

ただ、それはよほど強力な刺激でない限り一時的であることが多い、
ある経験等が人生を一変させてくれるといったことはそうない。

問題なのは一時的な刺激はいずれ慣れるものであり効果がなくなること。

無意識に定着させるにはそれなりに多くの積み重ねが必要ですが、
積み重ねるにはそれに足るだけのエネルギー、例えばやる気等が必要で、
だけど慣れることでいずれやる気なども枯渇し十分な積み重ねも得られず。

端的に言えば飽きる、飽きて時間や労力を無駄にしただけ、
得るものがなかったということにもなりかねない。

また嫌なことを忘れたいとかストレス解消などに新しい刺激を使うのも、
いずれは慣れて効能が鈍くなって効きが悪くなる。

これは麻薬をイメージするとわかりやすいでしょう。

麻薬を使用すると脳に直接作用して激的で様々な効能が得られ、
一時的に嫌なことを忘れたりストレス解消ができたりする。

だけど繰り返すうちに脳が慣れて同じ量じゃ満足できなくなる、
使う量が増えていずれ体全体に悪影響がで始めます。

だけど手軽に刺激を得られていたという経験に加え、
薬物的な副作用も相まって手放せなくなる、
依存症になって体がボロボロになっていく。

本質的に新しい刺激を経験から得ることも実はこれと変わらない、
直接脳などに作用しないため激的な刺激が得られない、
あるいは体に直接作用しないというだけで。

やってることは効果の弱い麻薬を精神的に、
間接的に接種してるようなもの。

ようは、新しい何かは大抵の場合に一時的な目くらましにしかならない、
新しい世界を開くにしろこれまでの問題を解決するにしろ、
根本的な原因を把握しない限り解決できない。

根本的な原因とは何か?それは今現在の自分自身です。

今の自分を把握しない限り新しい刺激は何の効果もない、
あったとしてもそれは偶然自分が把握していなかった、
何らかのプログラムと相性が良かっただけに過ぎないでしょう。

そのような運任せにはしたくないと考えるのであれば、
自分自身のプログラムを把握するよう務めることは大事。

そのために余暇ができたから新しい何かに向かっていくのではなく、
あえて何もしないことをするというのも有意義だと思う。

何もしない、新しい刺激に触れないことで今の自分の、
主に精神の動きをじっくりと観察することができる。

時には嫌な記憶などが蘇って感情が乱れるかもしれない、
だけど何もしなくても蘇る、感情がそれで乱れるというのも、
自分の中に今ある1つのプログラムであり自分を理解するカギになる。

良いものも悪いものもきちんと把握して自分自身に自覚的になるほど、
今の自分から生まれる何かに対する意志、あるいは問題を、
根本的に満たしたり解決するための方向性を定められるでしょう。

現代はネットの発展により触れられる知識や情報は膨大になり、
人とのやり取りも高速になったりととにかく刺激に溢れている、
余暇がなくとも新しい刺激が一気に流れ込んでくる。

それは自分自身の輪郭をぼやけさせるでしょうが、
いくらぼやけようと決して無くなることはない。

様々なプログラムはそれが意図的に構築したものでもそうでなくとも、
自分自身を構成し影響を与え続けている。

ですから余暇だからこそあらゆる刺激を1度断ってみる。

新しい何かに期待するのではなく今の自分をより深堀りすることで、
逆に道が開けたり根本的に問題が解決したりすることもあるでしょう。

人間は脳の構造的に持っているものに鈍感になりがちですから、
余暇という機会を利用して改めて目を向けてみるのも良いのではないかと。

そう思ったというお話です。


では、今回はここまでです。
ありがとうございました。

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