これからの人間社会は概念のぶつけ合いが加速するという話

人間社会を生きていくうえで概念の扱い方をわきまえているかどうか、
少なくともそれを理解できているかどうかは自分の人生を自分で、
能動的に形作っていきたいのであれば必須であると思う。

ここで言う概念とは複数の要素の共通点を抜き出したもの、
複数の要素を包括するなど抽象的な枠組みに対し、
名前や価値を付けたものです。

例えば現代の社会でほぼ全ての人間を包括している最も大きな概念は、
資本主義、つまりはお金です。

お金こそ価値でありお金を中心に回る経済活動こそが、
人間社会において最も大事だという価値観は、
自覚しているか否かに関わらずあらゆる人間の行動を縛る。

だけど、実際にはお金に価値はない。

仮に明日、世界中からお金が概念ごと、記憶などからさっぱり消えても、
社会は全体的に混乱するでしょうけどしばらくすれば立ち直り、
またお金に類似する、あるいは変わるシステムなりを生み出すと思います。

人間社会を回すのは生産力であり生産力さえ無事ならお金、
お金を軸とした資本主義というシステムは必ずしも必要ではない。

ないと困るのはお金を利用して他者の生産力を搾取するだけで、
自分では社会を回すのに必要な生産を一切とは言わずとも、
ほとんどしてこなかった人や集団だけでしょう。

しかし、いくらお金や資本主義に価値がなくても、
それに価値があるという概念が人間社会に浸透し、
それを軸としたルールが敷かれている以上。

お金を抜きに現実を生きていくことは難しい。

日本に住むなら税を納めるのに必ず日本円を稼がなくてはいけない、
土地等も住まう人や国家の持ち物である以上はそれを買う、
あるいは借りるためにもお金が必要です。

住みやすい場所では国家という人間集団がすでに所有権を主張していて、
資本主義という概念によって人を束ねてあらゆる力として運用している。

人間が生きるのに適さない、あるいは生きていきたくないと、
そう考えるような場所を自力で開墾する覚悟でもない限り、
お金という概念に本質的には価値がなかったとしても。

先に話したようにある日突然、理由もわからずお金や資本主義が、
この世界からきれいさっぱり消えでもしない限り、
人間はお金に縛られることから逃れられない。

少なくとも人間社会で生きていくうえでは。

と、このように自覚的、言語化されているか否かに関わらず、
ある集団に属している以上はその集団を成立させる、
何らかの概念に包括されて生きていくことは避けられない。

そして、この世界で力を持つ人間は例外なくこの概念を活用し、
うまく自分達に都合がいいルールなりを敷いていく。

その手順もそれだけ見れば単純です。

まず軸となる概念を生み出しそれに包括される人間を集めて、
集団を大きくして力をつけるだけ。

また資本主義と社会の関係を例に使うとお金持ちが人間社会で力、
権力等を握りやすいのは先に話したように社会に住まう人ほぼ全てが、
お金に価値がある資本主義という概念に包括されているからです。

ただ、お金という概念自体は昔から様々なところで生まれたけれど、
お金それ自体に価値があるという概念が生まれたのは、
実はそんなに昔のことではない。

色々な説がありますが前に『国家の逆襲』という本についてお話した時。

1970年代に生産力や資源の移動に伴うお金の動き、つまりは金融分野が、
それ以前はコストであると考えられていたのに対しそれ以降、
それ自体が価値であるとしてGDPに計測され始めたという説を紹介した。

何で1970年代以降に計測され始めたのかと言えば銀行など、
お金を扱う人や集団のロビー活動が一因としてあると言われている。

つまり、金融分野の価値を高めたい人ないし勢力がお金や、
お金が動くことそれ自体に価値があるという概念を、
人間社会に浸透させようと働きかけたわけです。

故に実質的な価値、知識や技術等を生み出さなくとも例えば証券会社が、
株の売買で手数料を取ることで生まれる売り上げが価値創造として、
GDPに計測され底上げする要因となった。

で、GDPが大きくなることは経済成長している証であり良いことだとして、
ますますお金やその動きに価値が生まれるという価値観を強め、
お金を持っていて大きく動かせる存在が力を持つようになる。

その様を見てお金を持つことが力を持つことという価値観が浸透し、
誰もが少なからずより多くのお金を稼ぎたいという欲求を持ち、
結果としてお金やその動きそれ自体に大きな価値が宿った。

元々、価値を生み出す手段として便利である程度のお金という概念が、
価値そのものとして人間社会に浸透したわけですね。

お金こそ価値という概念を生み出す、それを社会に浸透させる、
そこに包括される人を増やしていくという順序によって、
お金=価値の概念が軸となる社会で力を持てるようになったわけです。

他にも、差別においても結構概念が使われるケースが多い。

例えばある時代に何かしら差別の被害にあった人達が、
それを乗り越えて何かしら権利なり利益を勝ち取ったとする。

これはつまりある差別の被害者であるという概念を生み出し、
それに包括される人を束ねて1つの力をすることで、
自分達にマイナスに影響する概念を打ち破ったということ。

アファーマティブアクション、積極的格差是正措置などと呼ばれる、
特定の属性、ないしは勢力に配慮し時に優遇することなどはその典型です。

ただ、このアファーマティブアクションが問題になることがある、
例えばアメリカでは黒人に対して大きな配慮が行われてきましたが、
それが白人に対し逆差別になっているのではないかという意見が生まれた。

確かに黒人がアメリカにおいて長きにわたり差別されてきた歴史がある、
だけど1964年に公民権法が成立、1965年に投票権を獲得した。

それ以降、入学の際に黒人を優先するような制度を作る大学もあれば、
優先的に雇用される制度があるところもあり。

そういった扱いが配慮ではなく明確な優遇ではないかという意見が、
1970年代後半から1980年代頃に出始めたとされている。

つまり1980年頃には優遇だと感じる人がそれなりに現れるぐらい、
黒人が利益を得やすい状況が生まれつつあったということ。

であれば、その頃や以降に生まれた黒人は社会的に差別されるどころか、
むしろ生きやすい状況にある人も多かったと考えられるわけです。

であるにも関わらず差別の被害にあわずむしろ利益を得ているような、
そんな人達まで差別されていたという概念に自分達を包括することで、
自分達に都合が良い制度やルールを残すように働きかける。

過去にそういう歴史があるという事実がある故に理性が働く人、
概念的なものを理解できる人ほどこれを否定しづらいため、
逆差別のような状況が許されることもあるわけですね。

差別など過去、被害を受けた人に対し配慮することは当然と言いますか、
少なくとも同じ社会の中で生きていこうとする中で、
円滑な関係を構築するために必要となるのは確かでしょう。

だけど、過去の事実を概念として抽象化し現代にまで適用し、
関係のない人達が自分達を包括して否定しづらい理論で、
都合が良い状況を生み出すように働きかける。

これもまた概念を利用した力の活用方法。

と、いろいろお話してきましたがつまり極論言えば人間社会は、
概念を利用して数という力を持った勢力とそれをコントロールできる、
少なからず干渉できる人間がそれ以外の存在を搾取する。

ある種のゲームのようなものなんだと思います。

人間の前身となるホモサピエンスは今から7万年ほど昔、
脳を特殊な方向性に進化させ認知革命を起こし、
概念的なものを考える力を獲得したと考えられている。

それによって他に様々存在したあらゆるホモ属より大きな集団を築き、
数の力によって徐々にホモサピエンス以外のホモ属を淘汰した。

ホモサピエンスが唯一の人となって世界各地でそれぞれ社会を構築し、
知識や技術等を発達させついには他の人の社会を征服し始めた。

じゃあなぜ征服される人達とする人達に分かれたのか、
命運を分けたものは何だったのかと言えば、
これもやはり数であったという説が有力。

多くの人をスムーズに包括できるほど余裕を持つ社会であるか否かにより、
知識や技術の発達具合による武器の性能などに差が生まれたりした。

また過去、人が他の社会の人を淘汰するうえでの最も大きな武器、
歴史上、最も人を殺したものは何かというとそれは人そのものではなく、
実際には病原菌、つまりは疫病だったと考えられています。

で、疫病を味方につけることができたのも数の力だったという説がある。

例えば現代では人間がかかる病気として有名なインフルエンザも、
その起源は解明されてませんがそもそもは人間ではなく、
動物にかかる病気であっと考えられています。

鳥インフルエンザとか豚インフルエンザみたいなのが先にあって、
そういった生物を家畜化できるほどの知識や技術を獲得した人間集団を、
繁殖のために活用できるよう適応したのが現代のインフルエンザだという。

そういう人間がかかる疫病が大規模な集団で繁殖して、
多くの人が犠牲となるものの生き残る人も出てくる。

生き延びて疫病に強い特徴、免疫を持った遺伝子が後世に引き継がれ、
そういう人達が病原菌ごと別の社会に進出していき、
現地人に菌を移して免疫を持たない多くの人が犠牲になるわけです。

知識、技術、身体的特質などそういったものを発達させる、
同じ人間という種の中で差を生み出す要因こそが数。

そして数が多いから発達するのか発達したから数を増やせたのか、
因果関係ははっきりしないものの増えた数を安定させる最大の要素が、
宗教、思想、理想などによる枠組み、つまりは概念だったわけです。

で、現代はもう知識や技術がかなり大きく発達してきて、
誰もがネットを通じて気軽に触れられるWEBシステムが整った。

知識や技術の差によって気軽に別社会を支配できる段階を超えた、
故に社会の中で力を持つうえで概念の扱い方がますます大きな要素となる。

うまく概念を練り上げ浸透させ多くの人を包括できた人ないしは勢力が、
先に話した資本主義社会の例のように力を握ることになります。

それを理解できる人も増え概念同士の衝突がますます激しくなるでしょう。

冒頭でお話したように自分の人生を自分で形作りたいのなら、
少なくともこのことは理解しておく必要があると思います。

理解できてないと運よく大規模な概念に包括されているでもない限り、
時に概念による力に振り回され疲弊していくことは避けられない。

理解していれば少なくとも何を選択するかは決めることができる。

有利な概念に包括されることで生きていくか、
自分で既存の概念を利用するか新しい概念を生み出す側に回るか、
現状の概念を打ち崩して小規模な革命のようなことを起こすか。

あるいは完全に概念の縛りから逃れることはできないと理解したうえで、
それでもできる限り自分自身の意志を貫くような生き方をするか。

何を選ぶかは人それぞれでしょうが後悔しない選択と生き方をするうえで、
概念という枠組みを把握しておくことには大きな意味があると思います。


では、今回はここまでです。
ありがとうございました。

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