良い創作、物語から学べないなら現実から学ぶことも難しい

創作、物語はしょせん作り物で現実感がなく実際には役立たない。

そんな意見をよく聞きますが個人的にはそう思わない、
良い創作、物語であれば特に精神的な要素の場合、
大いに学ぶもの、現実に役立つものがあると考える。

むしろ創作から何も学べなければ現実から何かを学ぶことは、
少なくとも意識的な側面においては難しいでしょう。

と言うのも、まず創作における現実感のなさとはどこから来るのか?

ここで言う現実感とはファンタジーなど世界観的な話ではなく、
世界観の中に存在する登場人物達の行動や心の動きです。

根本的な理由は1つしかないと思っている、
創作における人物描写は現実に比べ単純だからです。

創作、特に物語は基本的には1人、多くても数人程度で作り出すもの、
小説であれば著者が、漫画であれば絵と物語で別れる場合もあれば、
1人で作り上げる場合もあるでしょうがそこまで多くはない。

例外もあるでしょうが創作は基本、自らの内面を写し出し、
それをベースに練り上げ具体化していくものだと考える。

しかし人間は認識力、現実を捉える能力に限界があり、
それ故に現実の全てを把握することはできない。

つまり創作、物語とは現実の一部を切り取り具体化したものと言えます。

加えて表現する方法も文字や絵、文字数やページ数などの限界があり、
受け手との認識力の違いも相まって全てを描き出すことはできない。

ようは現実の一部のさらに一部を鮮明に具体的にわかりやすく表現する、
それが創作であり物語であると考える。

あらゆる要素が複雑に関係し作用しあう現実と比べれば、
基本的にあらゆる創作には現実感などないと言えるでしょう。

それでも、良い創作はその一部で一定の人々の共感を獲得し、
心を揺さぶり精神を乱し時にそれを乗り越えて成長させる。

ある人にとっては荒唐無稽でも別の人にとっては現実感がある、
そんな状況を作り出すことができます。

それは例え現実の一部だとしてもそれを正確に伝わりやすく、
何らかの形で表現することができているからでしょう。

それっぽいことを言ってるけどツッコミどころ満載な格闘漫画、
刃牙シリーズの作者である板垣さんの漫画を描く姿勢として、
キャラさえ魅力的なら必ず売れる、面白くなるというのがある。

これはすごい納得感があると思っていてキャラ、人物がしっかりしている、
荒唐無稽だろうと現実的じゃなかろうとその世界観の中で、
しっかり人間として動く人物が存在すればそれは人の心を揺さぶる。

現実のこういう状況であってもこうするだろうなという共感、
またはこういう動きをできるなら素晴らしいなという理想像、
あるいはそうなっても仕方がないという困難や厳しさ。

そういった要素を人物が持っているなら世界観が作り物でも、
それが現実の人間の要素の一部しか反映しないものだったとしても、
誰かにとってかけがえのない学び、尊いきっかけになれると思う。

むしろ一部だからこそ、それを鮮明に描き出すことによって、
現実の複雑さの中では見落としがちな何かを見出す助けになる。

逆に良い創作、物語から何も学べない、あるいは無駄だと切り捨てる、
そんな状態で現実という複雑どころか一生かかっても把握しきれない、
混沌とでもいえる状況から何を学ぶことができるのか。

特に意識的に何かを学ぶことは不可能に近いと考える。

人間は無意識という意識より多くの情報を無差別に取り入れる機能があり、
何かを学ぶというか要素を無意識的に常に取り入れ続けてはいますが、
それは反応や衝動として表れるものであって意識的、能動的ではない。

人間的な意思を生み出すのは意識の方、意識的に何かを学ぶことが、
無意識の反応や衝動を能動的に活かし時に乗り越え、
より良い何かを目指すのに必要となってくる。

ただ、意識は無意識より認識力、現実から情報を得る能力に劣る、
狭い範囲しか認識できず一度に1つの物事にしか向けられない、
時に想像によって現実を捻じ曲げたりすることもある。

そんな意識が現実という複雑怪奇な世界から何かを学べるのか、
学んでより良い形で取り入れられるのかと言えば、
訓練を積まなければ難しいと言わざるを得ないでしょう。

ですから良い創作、物語から単純化された現実の一側面を学ぶ、
それを自身の糧にすることには大きな意味があると考える。

とは言え勘違いしないでほしいのは創作を現実と混同する、
創作が現実に沿うと考えるわけではない。

繰り返しになりますが良い創作であってもそれは現実の一側面でしかない、
一側面が必ずしも現実において浮き彫りになるわけではない。

綺麗ごとが綺麗ごとに終わることだってあるだろうし、
逆にどれだけ悲観的に描こうと現実は楽観的なこともある。

現実という大きな流れの中では一側面だけが全てというわけにはいかない、
だけど自分が現実という複雑な世界観の中に生き、何かを思い選択する。

その過程で何を大事だと定めるのか、何を抱えていきたいと思うのか、
どんなことがあっても手放したくない思想や信念は何なのか。

そういったことの解像度を上げるための助けとして、
良い創作、物語から学ぶものはあると思うのです。

単純化され鮮明に具体的に一側面が描かれるからこそ、
自分が現実を歩んでいくための軸を暫定的であれ強固にしてくれる。

もちろんその軸は現実の流れの中で時に形を変えたり削れたりする、
あるいは何かが付け足されたり輪郭がぼやけて曖昧になったりする、
それでも残るものがある時、それは本当に大事なものなのだと。

そう思える何かを掴むことができる。

逆にそういう単純化された軸も何もない状態で、
現実という流れに飛び込んでもただ流され、
何も得られずに終わるということの方が多いと思う。

現実にしっかり向き合い不完全な認識力であっても様々な視点を持ち、
得るものを得て自分にとって重要な何かを見出すことができるなら、
それだけの意志、能力が自分にあると思えるならそれが理想でしょう。

ですが、そうでないなら創作や物語から学ぶこと、
きちんと現実の一側面を捉えた良いものに触れること。

それはそれで大事なことだと思うというお話です。


では、今回はここまでです。
ありがとうございました。

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