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自信を持って「技術は手段」と言うこと

こんにちは。DIGGLEのCTO兼自然派ワイン部部長の水上です。部活のミッションは「テクノロジーで世界の美味しい自然派ワインを掘り起こす」です。しかし、前回部活で飲みに行ったときに何を飲んだかすら記録しておらず、部のミッションに対する理解度が甘かったと反省しています。
さて、今回はアルコール度数でいえば11%程度の、僅かな可燃性があることを書いてみようと思います。
「技術が目的化してないか?」「技術そのものが目的で何が悪い?」といった話は、ちらほらと議論の的になる話かと思います。この議論に関して、私個人の考えをお伝えしたいと思います。


「技術(を使うこと)は手段なのか?」という問いには意味がない

当たり前といえば当たり前なのですが、この問い自体には意味はありません。ある目的が与えられた文脈のもとで、私達は特定のものを初めて手段として捉えるからです。「これは手段か?」という問いに対する答えは、前提となる文脈に依存します。

もし無条件下で、私が突然技術を使いたくて使い始めたのであれば、もしかすると内在的なある欲求を満たす目的のためなのかもしれませんが、それが観測できない立場からすれば、技術そのものが目的となっていると考えて良いでしょう。内在的な欲求が実は存在するのだとしても、客観的に議論することはできないので、そこは深掘るつもりはありません。

多くの事業において、技術は手段である

営利企業という前提において、唯一普遍的な目的は「利益を出して株主に還元すること」です。ここに技術は登場していません。ということは、直接あるいは間接的に、技術を利益を上げる手段として採用されている、という追加の前提があるということになります。

企業の何らかの存在理由(ミッション)や差別化戦略において、例えば「テクノロジーで」「ITで」といった言葉を使っていたとしても、これは営利目的の文脈において、手段を意図的に技術に限定しているにすぎません。

大部分の事業において、顧客は課題解決などの目的があって、そのためにシステムや技術が手段の一つとなってくるだけです。それゆえに実際、手段として見直されることもあります。例えばスタートアップや新規事業としてある課題解決のために事業を展開し、何となくシステムの存在を前提に考えてみたが、よくよく考えてみたらシステムが無くても課題解決できた、人的支援の方が手段として合理的だった、と気づくような事例は多く見かけます。

目的からパーソナルコンピュータが作れるか

ところで、我々が普段使っているパーソナルコンピュータは、様々な目的の達成手段として、日常の多くの場面で使われています。もしPCのない世界で、ある課題解決という目的の達成”だけ”について普段から考えているとして、そこにPCという手段を見出すことはあるでしょうか?

世界初のパーソナルコンピュータと言われている、1962年にLINCというコンピュータは、生物医学用途だったとのことです。私の親の生まれとほぼ同時期です。それよりも前は、メインフレームの時代で、数億もする巨大なマシンを、複数人が共同利用する形で使っており、個人利用はよほどのお金持ちでなければあり得ない世界でした。

少しLINCについて深掘ってみました。MITのリンカーン研究所で開発されたもので、その目的は「リアルタイムの生物医学研究用のプログラム可能なコンピュータを提供すること」だったそうです。結果として、その後10年間で、LINCとその亜種は生物医学研究コミュニティに広まり、多くの分野の研究を大きく前進させました。

LINCの設計リーダーは、次のような言葉を残しています。

What excited us was not just the idea of a personal computer. It was the promise of a new departure from what everyone else seemed to think computers were all about, a corrective point of departure from an otherwise overwhelming mainstream. The need was entirely real, the opportunity was there, the resources superb. Just build and demonstrate a sound counterexample and see to it that it was used humanely, a complete if small computer that did interactive real-time work efficiently, one that could simply be turned off at night with a clear conscience, just taken for granted, no administrators. For us, it was the point of departure.

引用元: https://digibarn.com/history/07-11-04-VCF10-LINC/index.html

力強さを感じますね。彼らがPCを作る以前は、おそらく徹夜作業に追われるほどの業務量に忙殺されていたのでしょう。そして、最初の製品を確認したとき、それが単に当初目的を達成するだけに留まらず社会を変えていくのだということを確信していたようです。

目的世界に気づきを作る

LINC自体は、やはりある文脈における課題解決を目的に作られたと言って良いでしょう。しかし一方でその汎用性と価値に、設計者はその時点で気づいていたことも分かります。もし手段に何の関心を持たず、ある課題解決という目的の達成”だけ”を見ていると、この点を見落としてしまうかもしれません。

この例における手段は、当初目的への貢献価値を遥かに上回るポテンシャルを持っていました。そしてそのポテンシャルは、一目瞭然でした。このことが、結果として新しい目的への適用や、市場機会の探索を大きく推し進めたと言って良いでしょう。

設計者はこの結果を「想定していた」のでしょうか?私の予想でしかありませんが、小さくとも可能性を常に期待し、色々な仮説を想像していたのではないかと推察します。そして、システムが現実味を帯びるにつれて確信に変わっていくような感覚を持っていたのではないかと思います。

エンジニアとしてコードを抽象化するときに、これに似た感覚を覚えることがあります。抽象化は、特定の問題領域からより広範で一般化された問題領域へ適用可能な要素を抽出すると同時に関心事を単純化します。その抽象化された要素を起点にすると、当初領域以外への再利用可能性に気づくことができるのです。

技術を担当する当事者にしか許されない最高のチャレンジの一つは、どのような文脈から求められた場合であっても、手段を基軸に拡張性を描くことにあると思っています。そこから新たなストーリーを生み出して、新たな機会に変える変化を作ることは、まさに手段世界にだけ許されたアートではないでしょうか。

「目的から考える」という言葉は「手段」を目的に劣後するものと位置づけるものではない

とはいえ技術の可能性のことばかりを考え続けることがいつも許されるわけではありませんし、優先順位・時間・予算という様々な制約の中に我々はいます。

技術に限らず、あらゆる職種において、ゴールを見失わないようにすることは重要視されています。人が目的から外れた何かに夢中になってしまうことは往々にしてあります。そのためのフィードバックや管理は当然業務の一環です。例えば、マーケティング担当者が売上に繋がる施策を考えている中で、いつの間にかインスタグラムでいかにバズらせるかに夢中になって、後から見たら全然ROASが高くないじゃんこれ、なんて話を聞いたことが。

営利企業において、そんな状況は日常茶飯事ですが、手段を否定されたように感じたこと・感じられてしまったという経験は、よくあることなのではないでしょうか。そしてその結果、技術を”ある目的達成のためだけの”手段としか思っていない態度に対して不満を抱いてしまうということが、時々炎上の的になっているのではないかと思っています。

しかしながら、目的に立ち返らせることは、技術を手段と思うことも、目的と思うことも、いずれを否定するものでもありませんし、目的というものと手段の間に優劣を付けようとするものではありません。ただ単に、営利という制約の中に生じる致し方ないメカニズムなのです。

手段から考えること

私は、手段として技術から先に考えて、当初目的だけでなく他の広がりを探ってみるということは、ビジネスにおいては”時々”必要と思っています。顧客課題のような目的から始まって、厳密にステップバイステップで手段を導出していくことだけでは、スケールの違いはともかく、パーソナルコンピュータを通じて出会ったような創造的変化を作れないからです。

あるお題目に対して長い時間を使って色々と頭でっかちに整理していく考えていくよりも、まずはいくつかのアクションを取ってみることが大事という考えがあります。アクションは手段ですから、手段から考えるという行為の一種といえそうです。アクションから実施することで、手段についてわかることが増え、組み合わせによる発展的な手段が思いつくようになり、視野が広がります。目的について長々と考えていても、そういった視野は得られないでしょう。

自信をもって「技術は手段」と言ってみる

私は、技術という一つの手段に程よく強く、想像力を用いて色々な適用場面に対して適切な組み合わせで応じることができ、ときどき意図的・偶発的に新たな可能性を提案できるという状態をとても楽しく思っています。技術は最高の手段であって、私達はそれを知らない人たちには出来ないであろう最高の楽しみ方の一つを密かに知っているのだと、誇りに思えます。その意味で、私は自信をもって「技術は手段」だと言っていきたいです。

私自身は企業でCTOとしてテクノロジーに責任を持っていますが、経営陣に対して技術の広がりを提示していくことは、その最も重要な役割の一つだと思っています。テクノロジーの企業として、意図をもって、パーソナルコンピュータにみるような手段の広がりを創出していくことは、一方でとてもむずかしいテーマで、私自身としてはこれから学ぶ必要のある部分だと思っています。この話はまた別の機会に。


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