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#126 物を破壊した先に見えたもの


サラダスピナー危うし


子どもの頃、友だちのあいだで「おとうさんとおかあさんは家でけんかをするか?」という話題になったことがあった。

その時に、聞いた一言が今でも忘れられない。「あたしの家、すごいよ。おかあさんが怒ったら、家のなかでお皿が飛ぶよ」
クラスで一番お金持ちだと思われている令嬢の口からそんな言葉がでたのだ。しかも悪びれるふうもなく。
あんなに品があって綺麗なお母さんが本当に食器を手当たり次第に投げるのだろうか‥‥と、にわかには信じがたかったのを憶えている。

私の父は本家の跡取りだった。
そのため、両親、特に母は同居する祖父母の手前、喧嘩をしても怒っているとわかるような態度は表に出すことはなかった。
さぞかし窮屈なことだったろう、と今にして思う。

人間腹の立つこともあるのだ。他人であれば許せることでも、親しい間柄ではなかなか寛大ではいられないものだ。

とはいえ、私自身どんなに腹が立っても、人にも物にも当たるということはしてこなかった。暴力をふるったり物に当たったりする人間をそばで見て育っていなかったから‥‥自然なことと言えよう。

ところがだ‥‥
今では私の機嫌が悪くなると、子どもたちが『サラダスピナーを隠せ』と言ってニヤッとする。
あるいは逆に『かあちゃんサラダスピナー必要やで!』とソワソワし出す‥‥ 

サラダスピナーは、ザル状のバスケットを回転させて遠心力で水分を飛ばす道具だ。
サラダの美味しさを左右する、縁の下の力持ちである。

https://www.syokuraku-web.com/column/3701/

我がファミリーウィキペディアというものがあるとしたら、サラダスピナーはこんな説明だけでは終わらない。私のあまり誇らしくない出来事があったからだ‥‥



イギリスで自分を探していた


独身時代、私は東京で看護師をしていた。
ある日イギリスへ行こうと決めてから病院を辞めた。
病院を離れても、看護師免許はとても役に立った。ナース専門の派遣会社のおかげで仕事には事欠かず、渡英のためのお金も貯められた。
その後イギリス留学で出会った夫とは日本で結婚した。

夫の休みの日の夜中に娘を預けて、夜勤のアルバイトをさせてもらったこともある。
そのような『つぶしの利く』日本の看護師免許だったが、イギリスに来た途端『使えないもの』になった。

『使えるもの』にするためには、6か月間の研修と、イギリス人でも受かるのが大変なレベルの英語の試験に受かり、その上に何千ポンドというお金を払う必要があった。
現在の試験はIELTSであり、7.0以上が求められる。恐るべき英語力だ。


IELTS7.0はTOEICに換算するとほぼ満点に近いスコア。
また英検に換算すると、英検1級に余裕で受かるレベルだと言われる。
このことから、IELTS7.0とはかなり高めの難易度で、取得には高い英語力が必要であると言える。

https://shikakutimes.jp/english/2136

ところが、実際に病院で働く外国人(例えばフィリピン人)の看護師さん達の英語を耳にすると、その英語力と IELTS7.0 はあまりにも結びつかない。何か、国同士の約束事が違うのだと理解した。未だによくわかっていない。

正確に言えば、私がイギリスに来てから、この資格書き換え要項は二転三転しており、日本の免許で働けた時期もあったのだと後で知った。
だがつまるところ、私には英語環境で医療業務にたずさわる自信がなかったのだ。
あれから時が経てば経つほど、自信がないのは英語じゃなく、代わりにブランクのできた医療行為そのものに変っていった。

外国の免許で資格業種にそのまま就けないのは、それ以上にチャレンジしなかった自分の責任だと分かっている。
ただ厄介なことに、青春をかけて取った資格が無効になったことに心が納得できていなかった

そんなひとつの『アイデンティティを失った』後に、新たな資格を目指し始める。

私はその頃、イギリスで子育てをしながらパートタイムでカレッジに通い、リフレクソロジーの勉強を始めた。
まだ幼かった末っ子が夕方出かける私に、
「マミー、Are you goin りふれっしょろじぃ?」と玄関でちょっと寂しそうに立っていたのを思い出す‥‥

ケーススタディを80件ほどやっただろうか‥‥
続いてインディアンヘッド &フェイスマッサージも学んだ。
若者たちとは話が合わなかったので、たのしいキャンパスライフとはいかなかった。
それでもようやく取得した資格のひとつひとつが、私にとっては自分を支える誇りのようなものだったと思う。
どんどん欲が出て、スポーツマッサージの資格も取り、全身の施術ができるようになっていた。

満を持して、自宅での自営業を始めた。

我が家のフロントドアを入ってすぐ左、書斎だった部屋をセラピールームとして使った。クライアントは家事の合間にポツポツとやって来る。大慌てで玄関からセラピールームまでに目に見える場所を片づけてクライアントを待つ。
トイレも気が抜けない場所だ。いざという時に使ってもらわなければならない。

普段から整理整頓が苦手な私である。
プロとしてリラクゼーションを提供するのだから、子どもが三人いる日常の気配はご法度だ。
生活感のない雰囲気を作るために、クライアントが来るまではなんだか可笑しいくらいに大慌てだった。

寝たきりの方や日常動作に支障のあるクライアントには、週に一度車で出張もした。

リフレクソロジーのセッション中は、熟睡されるクライアントも多い。会話がないと、無心になることができて私の手だけが動いている。脳もトランス状態に入ってるような気がしたこともよくあった。
セッションが終わって、クライアントが目覚めると、私もとても心地よく最高にリラックスした後のようになれたものだ。

おこがましいかもしれないが‥‥ 私は『人を癒すボディワークのセンスはあるかも‥‥』という手ごたえを感じていた。


やり場のない悔しさ


ある時、夜中の二時というような時間帯に家に電話がかかり、夫が出ると切れる。
別の日に私が出ると男性が「マッサージを受けたい」と言う。
こういうことが二、三回あったと思う。

自尊心が傷ついていた‥‥


あの日も昼間、家に男性の声でマッサージの問い合わせの電話がかかって来た。どんな内容だったかは憶えていないが、”Sorry! Ask someone else!” (悪いけど他を当たって!) と断った。
心が沈んでいく。『私は何だと思われてるの‥‥?』 


夫が私に何かを言ったのはその後だったらしい。
どうしようもない焦燥感と怒りがぐるぐるしていたのだ。
間が悪いとはこのことだ。普段ならちょっとカチンとくるだけで済んだであろうことを、彼が言ってしまう。

その一瞬でわたしのなかの何かが弾けたのだ。



私はサラダスピナーを叩きつけた・・・・

夫に背を向けて流し台に立った私の目の前にあったから。

ステンレスのシンクに渾身の力で叩きつけた。
これでもか、これでもかと‥‥


『とんでもないことをオッパジメテしまった‥‥』

妙に冷静にわたしを傍観していたのも自分だった。


サラダスピナーは見事に砕け散った。
私は床にうつ伏して声をあげて泣いた。
いったんむき出した感情だ、出し切るまでだ。

ただ悲しくて悔しくて泣き続けた。

夫はうろたえていた、と思う。
僕が悪かったと言って私を抱き起そうとしたのか、
立ちつくしていたのか、憶えていない。

家族が泣かせておいてくれたので、 
延々と泣いて気が済んだら、まるで憑き物が落ちたような自分がいた。

そのまま私はセラピーの仕事を辞めた。
なんとあっけない幕切れだったことか‥

とても惜しんでくださった人達に申し訳ないことをしたと思う。
友人たちからのたってのリクエストにさえも、もう応えることができなくなっていた。


封印した苦さを振り返って


あれから十年になるだろうか・・・・
あの時の葛藤と、一旦は封印した苦さを、今ふり返る。


自分が施術を受ければわかることだが、マッサージとは他者によって100%自分に意識を向けられ、その手で癒してもらうことだ。だからこそ普段省みることのなかった自分の体の状態に気づくことができる。

マッサージセラピーはそんな時間と空間を提供する仕事であった。なのに他者から歪められた、もっと言えば自分が汚されてしまったように感じたのだ。

実際には、応えられない依頼があっただけのことであり、私が性被害に遭ったわけでもない
それなのに、あの時は「女である事」も、「アジア人である事」も、「マッサージを仕事にしている事」も全てが誤解の対象になっているように思えてしまった。

今ならわかる。相手側の問題であり、私の問題ではなかった、と。

その境界線が引けずに、物を叩き壊すくらい精神的に追い込まれたのだ。「プロフェッショナルとして人の役に立ちたかった」私の意志なんて脆いものだったのだ。

 


夫が言う。家で独りでクライアントを受け入れる私のことが心配だったと。クライアントの中にはたくましい男性もスポーツマッサージを受けにきていた。

夫なりに、できるだけ自分の Size 12 (31cm) の靴を玄関の目につくところに置いていたそうだ。夫は細身だが、なぜか靴のサイズだけは並外れて大きい。そこで「この家には大男がいる」と思わせたかったらしい‥‥

それだけ心配していても、私があまりに真剣に取り組んでいたから、水を差すようなことはとても言えず、見守るしかなかった、と今ごろ教えてくれた。

今だから、無駄な潔癖さ、無駄なプライドだったと自分を笑える余裕もやっとできたような気がする。

これからの私は、他人の歪んだ評価などに動じない信念を持てる人間になりたいと思っている。

あの時、やっと手に入れたと思っていたアイデンティティを自分で捨てた。しかしそのリセットのおかげで、また違う仕事との出会いもあった。
アイデンティティは崩れても、自分で壊しても、また積み上げればいいのだと知った。

あれから買い替えられて、違う色になったサラダスピナーを使うたびに、職場の同僚が言った言葉を思い出して可笑しさが込み上げる。

「ミズ~よくやった!今度からは箱買いよ、箱買い!必要な時にいつでも叩き壊せるように常備しておくのよ!」

サラダスピナーを箱買いする発想はない。
幸いな事に、我が家のサラダスピナーは無傷で今日もレタスの水を切ってくれている。




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