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#52 ひとりが半分なのに、言語は3つずつ話す子どもたち


ハーフというのは日本語になってしまった言葉だ。

だから日本にいれば、なんの抵抗も湧かない言葉だと思うが、
もしも日本人以外の相手に、ハーフという言葉を使うのなら、ちょっと意味を考えてみる必要があると思い、書くことにした。


ハーフと言うならば、半分で終わらず、half and half、つまり半分プラス半分でまで言ったほうがいい (例 : half English and half Japanese)。なぜなら、世の中に半分だけの人間はいないのだから‥‥

2つの国と文化を背景に持ちながら、ハーフ(半分)とよばれるのは確かにちょっと残念でしかない‥‥

もっとも英語ではそんな言い方はしない。

国際結婚というと、International marriageと訳したくなってしまうが、そうすると『国際的な結婚』になる。一国と一国が混ざるだけなので、Mixed marriage (ミックスドマリッジ) というほうが意味が近い。

同様に、そこに生まれる子どもたちは、Mixed child / childrenと呼ぶだろう。


このような家庭の親たちの間で、むしろ「ダブル(二倍)と呼ぼう」という声が上がったことも覚えている。

面白いと思うが、「それも違う」と言う気がする。
私の経験で言えば、ミックスであることが、1+1=2となるほど単純な話ではなかったから‥‥
2倍の部分もあるかもしれないが、1にさえなりきれない、どっちつかずな部分もあるのだ。

強いて言うなら、全ての子どもは等しく、1x1=1 だと思っている。

我が家の三人の子どもたちは、私から見ると、ちょうど夫と私の二つの国の要素を兼ねた顔立だちをしている、と思う。

ところが、イギリス社会ではその顔立ちはアジア人でしかない。
私たちの住むイギリス南西部の田舎町は、ほぼ白人社会と言ってよく、我が子の黒い髪はいかにもアジア人として目立つ。

学校でJap (ジャップ=日本人の差別的呼び名) やChink (チンク=中国人の差別的呼び名) と呼ばれる経験もしたと言う。

自分が納得しているいないに関わらず、他者からは人種という枠にはめられがちだ。ただの自分であろうとしても、そもそも自分が何なのか確認させてくれるような、同じ境遇の子どもがそばにいない。

私の子どもたちも「自分だけが違う」という葛藤を経て大きくなった。
思えば、プライマリースクール (小学校) 時代が特に、「周りのみんなとできるだけ同じでいたい」と切望した時期だった。

「私もお友達と同じ、ブルーの目とブロンドの髪になりたい」
たった一度だけ私にそう言ったことを、娘は今でも憶えていた。

一度しか言わなかったというのは、おそらく『それを言ってみたところで仕方ない』とわかっていたのだろうし、そのことを憶えているのは、何かそれを言わずにおれない心の疼きがあったのかもしれない‥‥


そんな彼らが日本に行った時には、ガイジンと呼ばれる。

そこが、どちらの国においても1+1になれないゆえんなのだ。イギリスに居てもちょっと異質、日本にいてもちょっと異質に見られるのだから‥‥


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30年前の話だが、夫が日本で与えられていた外国人登録証には、英語でAlien Registration Card(エイリアンレジストレーションカード)と書かれていた。

外国人(Foreigner)というのは中立的な言葉だが、外人というのは「外の人」。すなわちそれが「エイリアン」なのだと、夫も外国人の友人たちも感じていた。差別というよりも、エッ?と驚かざるを得ない待遇だったのだ。

ただ、調べてみると2012年の7月から、エイリアンカードが、Residence Card(在留カード)という名のものに形を変えたことを知り、ホッとしている。

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たとえ住まいがイギリスであっても、日本人でもある我が子たちが『ガイジン』と呼ばれて不本意なのは、もっともなことだ。そんな時彼らは「オカアサンは日本人ですよ」と仲間アピールをしないではいられない、と言った。

まだ日本に住み、小さかった頃の子どもたちは、外ではよく「可愛い~」と注目を浴びた。自意識過剰と言われるかもしれないが、親の顔までチェックされた気がしている。夫、私、子どもを見比べたあと、満足してその場を去る人もあった。

そのことで夫は、我が子が「自分は特別だ」という変な誤解をしないようにと心配した。それが、日本を離れイギリス移住した理由のひとつだったのは間違いないと思う。


ハーフ』といえば、続く言葉が『バイリンガル』かどうか?というものが多かった。


上の子どもたちは5歳と3歳で渡英、末っ子はイギリス生まれなので、3人とも英語がネイティブランゲージとなった。
英語では母国語のことを Mother tongue (マザータン) とも言う。『母の舌』つまり子どもが最初に習得する、母親の話す言葉ということを意味する。
ちょっと胸がチクリとする言葉だ

第一言語という意味では幼少から育った期間の長い英国の言語なのは当然のことだが、それは母である私の言葉ではないから‥‥

人からよく「ご主人が英語だけ、ミズカさんが日本語だけ話せば子どもたちをバイリンガルにできるね~」と言われたものだ。

「これ聞いた話だけど、お友達のお友達の家はメイドさんがスペイン語を話すので、子どもたちは三か国語を流暢に話すのですって!」
なんて具合に‥‥

いやいや~、そんなうまいこといくかいな‥‥
日本に住み、時間を共有しない父・母・メイドさんがひとりずつ子どもと別々に過ごす環境でならできる、かもしれない 。だが幼少の頃だけなんじゃないか‥‥と疑ってしまう。


社会にいれば、家族以外の周囲の輪の中に居ることは多くある。周りの人にも理解できる言葉で話すことは、子どもに教えられる社会性だと思っている。イギリス人の輪の中に居ながら、たとえ親子間だけであっても日本語だけで話すのは、感じのいいものではないと、私は思ってきた。

理論でいけば、バイリンガルを育てられたはずのチャンスを完全に棒に振ったということになる。
そうは言っても、「我が子が自然にバイリンガルの大人に成長した」という人は、私の周囲にはハッキリ言っていない。

そんなもんだ。(だから逆にそれを達成された人は、確かに尊敬に値すると思う)


我が息子に訊いてみると、これが意外にも、彼らにとって、言葉のプレッシャーが一番なかったと言う。

イギリスに居る限り、英語に問題はなく、日本語のフレーズをいくつか言っただけで、友達はみんな「へえ~」と納得してくれる。
日本へ行けば外人であることが前提なので、カタコトの日本語を話すだけで、むしろ喜んでもらえると言う。

ところが、日本に住む「ハーフ」たちはどうだろう。どんなに上手に日本語を話していても、英語や、もう一方の親の言葉が話せなければ、納得してもらえないこともあるのではないか?酷な話だと思う。

考えてみれば、人が話す言葉は、人種的背景よりは環境によって決まるのは当然の話なのだ。日本は、同一民族の割合が全人口の九十五パーセント以上を占める、単一民族国家だから、ちょっと想像力に欠けるのかもしれない。

よって、日本人の両親を持っていても他国の文化で育てば、上手に日本語を話せないのはあたりまえだと瞬時に理解しにくい。だいたいカタコトの日本語を話すのは『外人の顔』をした人で、逆に『日本人の顔』の人なら日本語が通じると思い込んでしまう。このように、話している言葉が見た目とマッチしなければ、偏見を生んでしまいがちだ。

ミックスで生まれた子どもたちがどこに住もうが、親の海外赴任や移住によって日本人の子の使う言語が変わろうが、その境遇を強みにしていく可能性は無限にある。ただ『英語(多言語)が話せる』ことを美化してしまう風潮は、時に行き過ぎた期待や偏見となり得ることを常々感じてきた。

私が日本に里帰りできるのは、良くても二年に一度、下手すると四年帰れなかったこともあった。しかも子ども抜きでということもあったので、彼らが日本に居る間に日本語が上達するような環境は与えてやれなかった。

もちろん日本へ行けば、面白いことや美味しいものがたくさんあって、日本が大好きなのだ。なのに、それを分かち合える友達はイギリスの学校には居ない。
プライマリースクール時代、興味を持たれることも、自分から話題にすることもなかった日本は、彼らにとっては封印されていたようなものだったかもしれない。

次男が言う。
「両手で目を吊り上げて”Chinese" (チャイニーズ)、目尻を下げて”Japanese” (ジャパニーズ)、両膝に手を当てて”dirty knees!” (ダーティーニーズ)*ってよくやられたよ」と。*(汚い膝。特に意味はなく、ニーズという音にかけた、他愛もないからかい)

そうはいっても、ティーンエージャーにもなれば、みんなそれぞれに視野が広がっていくものだ。友人達の態度が、無知とからかいだったものから、日本へ行けることや日本語がわかることへの羨望に変わる転換期というのが必ずあった。

そうして少しずつ、日本人としてのアイデンティティに誇りを持っていけたようだった。
悲しいかな、アイデンティティとは、これほどまでに周りの人の態度に左右されるものなのだと思う。


イギリスの学校では日本語を教えていなかったが、子どもたちは三人とも、自分の意思で、日本語科目を特別に受験している。これはひとえに、こちらでお世話になっている日本語の先生であるお友達のおかげだ。いくら母国語でも、私ひとりが、根気よく彼らのモチベーションを保ちながら教えるなど、到底できることではなかったのだ。


そして、上の二人は大学でも日本語学科を選んだ。

彼らに共通していたことは、外国語の習得にセンスがあったということ。複数言語を生まれた時から聞いていたことが、なんらかの脳の回路をつくっていた気がする。この回で書いた私と英語の出会いとは、なんと対照的なことか!

長女、長男、次男それぞれが、今では三つの言語を使いこなす。もっとも、日本語の読み書きには漢字という難関があり、聞く話すのとは大違い。彼ら自身は日本語がそれほどできるとは思っていないのだが‥‥

子どもたちは後々、私に「おかあさんがもっと日本語を教えてくれていたらこんなに苦労しなかったのに」と言ってくれた。

おいおい、この回で書いたが、日本語を拒絶したのはどこの誰だったかい?でも私は、日本語を話さなかったことも、日本語を勉強したことも、彼らが自分で決めたから良かったのだと思っている。

アイデンティティを模索して悩んだことが、多様性をしなやかに生きる力になってくれることを願っている。

これが不揃いなうちの家族の物語‥‥

捨てたり、顔をそむけたり、隠したりしてきたものの価値に気づき、今度は拾い上げてじっくり見つめるのだ‥‥

ようやく『自分』は見つかっただろうか?



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