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#33 パーティーフードの悲劇


イギリスに来てまだ間もない、子育て真っ最中のこと。
5歳の長女が3歳の長男のナーサリースクール(幼稚園)のパーティーに参加させてもらっていた。


イギリスのパーティーフードで必ずと言っていいほど出るのは大きなお皿に盛ったサンドイッチ。
その中身は、子どものパーティーらしく、無難に大抵ハムだけ、卵だけ、おろしたチーズだけ、といったシンプルなもの。食材の数が増えるほど、嫌いなものが入ってるサンドイッチになるリスクが高くなってしまうから‥‥


それと小さく切り分けたピザ。あとは大きなボウルいっぱいのポテトチップスやほかのスナック菓子。ミニサイズのソーセージロール。おびただしい数のカップケーキやチョコレート菓子。全体の色のトーンは茶色系である。

色あいがカラフルなものがあるとしたら、スティック状のキュウリやにんじんにディップ。あとはさいころ状に切ったチェダーチーズと缶入りパイナップル、プチトマトなどをスティックに刺したものだろうか。

飲み物といったら、オレンジやブラックベリー味の濃縮された液体を水で希釈したスコッシュと呼ばれるもの。正直、なんだか科学的な味がする。

着色料や砂糖のせいだろうか、子どもたちはなんだかどんどんハイパーになっていき、早々に席から離れてホールの至るところで飛び回っていた。


私は食育をとても大事にしている。それは必ずしも、オーガニックの食品しか食べないとか、砂糖を一切使わないとか、そんな素晴らしいポリシーのことではない。
子どもたちに、いただいている食べ物がどこから来たのか、食卓に届くまでにそれだけの人の手を経ているかに思いを馳せてほしい。いただく『命』が自分の血や肉になるのだから、残さず無駄にせず、感謝して食べたい。

『共に食べる』ことがくれる力を大切にしたい。誰かと一緒に食べる、分かち合うってとても嬉しいこと。一人で食べても同じ力にはならないと思う。

食べることへの溢れる想いはある。それでも、信念に向かって進むあまり、家族を社会で孤立させるわけにはいかない。『こうでなくてはならない』というのは持たない方が世の中生きやすい。郷に入っては郷に従え、だと思っている。
内心、驚愕することがあっても、顔ではニッコリ受け容れている。


我が家の長女は食べることが大好き。
その日のパーティーでも、自分のペースで選んだものを、自分のペースでゆっくりと楽しんでいた。

そこへ園の先生が大きな黒いごみ袋をひきずりながら、食べ散らされた紙のお皿をどんどん捨て始めた。
お皿に取るだけ取ったけど食べきれなかったもの、一口かじって残したもの・・・そんなものが捨てられていく。
まだ座って食べている子どもたちの目の前で。

その行為はなんと言えばよいか、『繊細さのかけらもない』ものだった。

次の瞬間のことだ。呆然と座っている娘の目には涙がこんもりと盛り上がっているではないか。
口もきけないほどショックを受けている娘を見て、何が起きたか瞬時に悟ってしまった。
まだ食べていた娘のお皿を、先生がサッと「終わったの?」と訊きもせずにひったくってごみ袋に捨てたのだ。
多くの子どもたちが席を離れていたので、テーブルに残ったお皿を捨てながら、まだ子どもが座っていても、もう食べ終わったと判断したお皿も一緒に捨てていたのだ。
うちの娘のお皿の上のキュウリやトマトを見た先生は、子どもに人気のない野菜は、『お残し』だと思われたのだろう。まさか大事そうに食べている子どもが居るとも思わずに・・・
その瞬間に、「アーー!」っと言えなかったのが痛々しいほどわかる。私がそうだから。予測不能のことを誰かにされると、ショックで呆然とするしかない。

家の子どもは食べられるものを『捨てる』という観念がまったくないので、目の前でそれが捨てられていることは驚きだったと思う。さらに、自分の食べているものまで捨てられるという二重のショックは大きかったに違いない。
今思い返しても自分が不甲斐なかった。先生に向かって「子どもたちの前で食べ物を捨てるとはいかがなものか」とまでは言えないまでも・・・

抗議ではないにしろ、娘の気持ちを代弁してやりたかった。あそこで立ち上がってやれる母こそが、娘から見て頼りになる姿だったのじゃないかと思う。

不本意だと思うことをいちいち口にしていたら人間関係はきっとギクシャクする。

でも本当に言うべき時に大事なことを言う勇気が欲しかったな・・・
それが今でもちょっと悔やまれるのだ。

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