#7 メーガン妃の待遇に浮かんだマイクロアグレッションという言葉
普段からテレビを観ない自分にとって90分間はちょっと長かったのだが....
オプラ・ウィンフリーによるヘンリー王子とメーガン妃の独占インタビューを全て観た。
それは、何故これほどまでに日本の人たちがメーガンを嫌っているのか、それを解りたいと思ったということがある。
インタビュー全部観れば、どこかに彼女が非難されるに値する理由がわかるかもしれない.... と、メディアのフィルターを通さず自分で感じたかった。
彼女は英王室の直近の「仮にも自分の家族となった人たち」のことをおとしめるような発言はしていなかった。私には思いやりと真心のある人だというのが伝わった。
日本語で誰かがメーガン妃とヘンリー王子を非難するTweetをする。そこに多くの人が賛同している。ざっと目を通しても95%くらいの人が完全に批判しているような印象を受ける。
そこには、「私なら悔しくても我慢して暴露なんかしない」とか、
「人種差別を持ち出してルールをかえようとしたのはメーガン妃のほうで、人種は関係ないんだと思う」とか、
果ては「あれは自殺を考える人間の顔じゃない」とまで書く人がいる。
メディアサイトでは、「悲劇の死を遂げたダイアナ妃に自らを重ね合わせ、アーチーちゃんの肌の色という”人種”カードまで切ってみせたメーガン夫人のPR戦略は、大勝利を収めた。」と書かれる。
日本のメディアはどんな先入観を視聴者に叩きこんでいるの?
日本という国は何を大切にしている?
英国にとって重要な王室が病んでいる、と内部の人間が感じているのだ。誰も波風をたてぬようそれに触れなければ、いつまでたってもまた病んだ人間を産んでいくだけではないか。
すでにダイアナ妃がメディアによって痛みつけられた過去がある。メンタルヘルスを病んだ彼女を、王室組織が守れなかったのだ。
その痛みを抱えて育ったヘンリー王子は、自分の母の時のように心を病んでいく最愛の妻をどんな想いで見守っのだろう... 想像しただけで胸が痛む。
彼らがあのインタビューに及んだ真意は、私の知るところではない。
断っておくが、私はメーガンファンでも王室好きでもない。
きっとメーガン妃の人柄がこれだけ悪意を持って語られることが切ないのだ。彼女のかつての仕事仲間であるアメリカの人達がTwitterで語るメーガンこそに彼女の本質があると思っている。
彼女を「性悪で計算高い女」にイメージづけた英メディアや日本のマスコミの責任は大きい。書く人間、それをまた翻訳する人間の意図によって受け取る印象や人物像まですっかり変えることもできるのだ。
王室(エリザベス女王)が胸を痛めたという報道があった。ヘンリーとメーガン側の暴露のせいだとか、一方的だからという意見が大半のようだ。
でも私は、女王にとって家族である彼らが死にたいとまで追い詰められたことを知らなかったのが悲しかったのだ、と思っている。王室と言えども彼らは家族だったのだ。なぜ「身内の感情」だと思ってあげられないのか。ヘンリー夫妻に愛情を注いだ女王が「裏切られてキレている」と誰が言っているのだろう。
暴露によって王室が震撼しているというような報道は、かなりの先入観で書かれている気がしてならない。女王自らがふたりのことを『いつまでも家族の一員ですよ』と言われているのだ。わざわざおどろおどろしいドラマにする必要があるだろうか?
ヘンリーとメーガンは「外から見えている王室」と「内部での現実」はまったく違っていること、王室の住人はみな「囚われの身」だということを語った。少なくともそこに家族としての情や憐れみがあった。祖母であるエリザベス女王のことはふたりとも「とても敬愛している」と、愛おしさを込めて語った。
女王批判はまったくしていない。直近の家族への裏切りを意図したわけでなく、売名行為のようでもなかった。
ただ、英王室という制度が彼らのことを公平に守ってくれなかった、そこが王室を離れた原因だったと語ったのだ。
「人種カードまで切って」という軽蔑的な意見があるように、多くの人が人種差別があったことに否定的だ。皆あまりにも人種差別を理解していない。
例えば両妃が妊娠中にお腹をさすっている写真を撮られていた。キャサリン妃は「これこそ一般的なお母さんのあるべき姿」と大絶賛され、一方のメーガン妃は「妊婦腹を触りすぎ」と批判的に報道された。
またアボカドの話もある。つわりで食欲のなかったキャサリン妃が、それでも朝食でアボカドを食べていることが素晴らしいと書かれた。それに対しメーガン妃は「水不足、違法な森林伐採、環境破壊全般に関連する忌まわしいアボカドを食べている」と叩かれたのだ。
信じがたい待遇の差である。このような差別がまかり通るのは、人種と関係ないと言うなら、何と関係があるのか教えてほしいと思う。
日本でしか生きてこなかった人には、自分のような有色人種が白人社会に生きることがどういうことかわからないだろう。それなのに「人種差別なんて」と否定するのがおかしい。
マイクロアグレッションという言葉を紹介したい。
マイクロ = ちいさな、アグレッション = 攻撃性、という言葉のとおり、ほとんどの場合が発言する側に 「差別している」という意識すらない。見る人によっては差別に見えないような微妙さである。そのために、多数派が簡単に無視できてしまうのがマイクロアグレッションの不公平な構造だと言われる。しかも、発言する側にとっては些細な日常の会話なのだ。むしろ本人なりに褒めたつもりだったりすることさえ多々ある。
初めてマイクロアグレッションという言葉を知った時、
『ああ、これだ~。私ひとりじゃなかった』と安堵した。同時に、私が20年間イギリスで抱えてきた違和感を、やっと言葉にして代弁してもらえた気がした。
ちいさな雨粒が一滴、一滴、ゆっくりとゆっくりと落ちていても誰も気にも留めない。しかしそれは、地層を浸食し、時には土壌を決壊させることもあるのだ。マイクロアグレッションとはそういうものなのだ。
と言っている自分も、マイノリティ(少数派)として生きている自覚は正直それほどなかった。なぜなら、日常、自分自身の姿は見えていないから、意識していない。ましてや被害者意識を持って生きてきたわけでもない。
人から見るときっと能天気に見えている私だったが、ある時「ちょっと壊れた」ことで、一滴一滴の浸食に気づいたのだ。
私が経験しているマイクロアグレッションは、所を変えて、形を変えて、きっと日常に潜んでいる。
このメーガン妃の身に起こった出来事をきっかけにして、まだあまり一般的に知られていないこの言葉が、これから日本でもっと浸透されてほしい。
もし私が国際結婚をしていなかったら、マイノリティの気持ちに寄り添うことは難しかっただろう。
世の中、わが身で経験しないとわからないことだらけだから....
もしイギリスに移住せずずっと日本に住んでいたら、マイクロアグレッションに疲弊しているのは、きっと夫の方だった。
単一民族ではないにせよ、95%以上が同一民族国家に生まれ育った日本人は、まず人種の面で多様性への免疫力がまだまだ足りていないのだ。
もっともっと想像力を働かせて、エンパシー*(共感力)を磨いていかなきゃと思う。
(*自分 が その 人 の 立場 だっ たら どう だろ う と 想像 する こと によって 誰 かの 感情 や 経験 を 分かち 合う 能力)
これまでの偏見に満ちたメーガン批判報道。それが許されてきた空気は人種差別の根があるからだ、とそろそろみんなが気づけばいいのにな。
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